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第一の前提(創作論と目的)

 一つ目の例として、詩のような散文しか書けない少年が、太宰治のように読点を自在に駆使した文章を目指していたとする。つまりは「手記」的な文体である。読者と認識を共有するために、太宰治の「人間失格」の冒頭を引用させてもらおう。


 《 恥の多い生涯を送って来ました。

 自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。(中略)》


 ごく短い文を刻むのではなく、細やかな読点によってリズムを生み出していることがわかるだろう。


 これを最終目標とした場合、小説投稿サイトにありがちな「短文で区切って読みやすいようにしよう」というアドバイスは、果たして彼にとって有効だろうか。ここでの「有効」とは、少年の気持ちの問題ではなく、事実として太宰の文体に近づく助けとなるかどうか、という意味である。


 彼の文体が元々太宰寄りであったならば、短文化の助言は一定のブレーキとして機能し、過剰に模倣することを食い止めるかもしれない。太宰とて、読点を打つこと自体を目的にしていたわけではなく、文体を磨く過程で必然的に形成されたのであろう。


 まあ、そんな事態は稀である。大方、そのアドバイスは空回りし、単なる「型の押しつけ」に過ぎなくなる。「短文で区切る」というアドバイスには、「読まれやすくしたい」願望が前提としてある。しかし、それは太宰的文体を志向する少年の目的とは、根本的に噛み合わない。彼は「こんなの太宰じゃない」とそっぽを向くだろうし、もし無理に実行すれば迷走は避けられない。


 これは文体に限った話ではない。物語重視の読者が「言葉の美しさを磨け」というページを見つけても、読み飛ばしてしまうだろう。逆に、情景描写の上手さを重視する読者が「とにかくワクワクするストーリーを組み立てろ」という助言を信じ込んでしまえば、磨くべき感性を見失うことになる(村上春樹をストーリー目的で読むようなものだ)。方向性の異なる助言は、しばしば創作そのものを遠回りさせるのだ。


 誤ったアドバイスを鵜呑みにした者は、当初はその正しさを信じていても、やがて事実との齟齬に気づくだろう。「人間失格」と自作のあいだに、天と地ほどの差があることを痛感するのだ。そのとき彼を襲うのは、アドバイスを述べた誰かへの失望か、太宰治への羨望か、あるいは自身への絶望か。


 結局のところ、あらゆる創作論は手段であり、重要なのは背後にある目的である。普遍的な創作論が存在したとしても、すべての創作者に効くわけではないし、すべての場面で功を奏するわけでもない。それらが真価を発揮するのは、受け手が「たまたま」同じゴールを共有しているときに限られるのである。ゆえに、創作論における「正解」とは、その創作の目的によって変化するのだ。

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