第1章:チャイムのあとで
「感じる……私にその秘密を明かして……」
ドラマチックにささやきながら、私は廊下の壁に手のひらを押し当てた。そこには、じっと目を細めれば顔のようにも見える暗い水の染みがあった。
サキがあきれたように目を回し、私の袖を引っ張る。
「リカ、それ以上に何か“明かす”としたら、また山田先生の授業に遅れて罰を受けることくらいよ」
しかたなく壁から手を離し、私は彼女のあとを追って走り出した。ちょうど二回目のチャイムが鳴ると同時に席に滑り込む。日の出高校の数学の授業は、まさに戦場――そして私はいつも敗北する兵士だ。山田先生の単調な声が二次方程式について語り続ける中、私はノートに小さなドクロの落書きを描いていた。
「神崎さん」
山田先生の声が私の空想を切り裂く。
「この問題、君に解いてもらおうか?」
顔を上げると、黒板には数字と記号がびっしり。まるで古代の呪文のように見えた。
「えっと……」
視界の端で、サキがそっと自分のノートを私の方へずらした。ページの上部には、彼女のきれいな字で答えが書かれている。
「エックスは……マイナス4?」
私はわずかな希望をこめて口にした。
山田先生は少し驚いたように眉を上げる。
「……正解だ」
彼は少し残念そうに黒板へと向き直った。どうやら、私を反面教師にするチャンスを逃したらしい。
私はサキに「ありがとう」と無言で合図を送り、彼女は「シー」と唇に指を当てて返した。
時間はあっという間に過ぎ、気づけば終わりのチャイムが校舎中に響き渡った。安堵と喜びのささやきが教室に満ち、生徒たちは一斉に荷物をまとめ始める。サキは笑顔で立ち上がり、また数学の地獄を乗り越えたことにほっとしているようだった。
「放課後、冒険に行かない?」
私はワクワクしながらノートをバッグにしまい込んだ。
「“冒険”って、家に帰って勉強することのこと?」
サキは片眉を上げて答えるが、その瞳にはかすかに楽しげな光が宿っていた。笑いをこらえているようにも見える。
「ふん、それは私の言う冒険じゃないよ」
私は首を振った。
「森のはずれにある古い神社を調べに行くの。あそこ、何かおかしいって噂があるんだ」
その神社の噂は、昔から幽霊や迷える魂の話と結びついてきた。真実を確かめたいという気持ちは、どんな警告よりも強い。サキは少し考え込む。
「……いいけど、今日はやめとく。用事があるから」
やがてそう答えた彼女は、少し笑って続ける。
「でも行くとしても、霊と話しかけようなんてしないって約束して。変なオカルト事件に巻き込まれるのはごめんよ」
私はわざと大げさに胸に手を当てた。
「そんなこと、するわけないじゃない!」
教室を出るころには、胸の奥に高鳴るような期待があふれていた。サキと一緒に冒険できる――そう思うだけで、自然と笑顔になる。
家へ向かう道すがら、私たちは他愛もない話を続けた。
サキは「母が新しい健康食の宅配サービスに申し込んだの」と話してくれた。彼女はあまり乗り気ではないようだ。ケールを食べることを想像しただけで顔をしかめていた。
「お母さんが“これおいしい!”って言う姿、想像できる?」
私が笑うと、サキも笑いながら首を振った。
そのとき、ひらめきのようにアイデアが頭をよぎった。
「ねぇサキ!」
私は叫んだ。
「ネットで見たんだけど、町の古い地区に新しいお店ができたの! アンティークとか、不思議なものばっかり売ってるお店!」
サキの表情がわずかに変わる。興味の光が一瞬その瞳に浮かぶが、すぐに冷静な表情に戻る。
「また“変な店”? この前行ったホコリまみれの店で十分でしょ。あそこ、絶対呪われた物が置いてあると思うけど」
「今回は違うの!」
私は少し身を乗り出して言った。
「もっと特別な雰囲気なんだ。もしかしたら、神社の伝説に関係するような物があるかもしれない。確かめなきゃ!」
「ひとりで行くつもり?」
サキが半信半疑の目を向ける。
「ちょっと“見るだけ”だよ。変なことはしないって」
私はウィンクをした。
「……ほどほどにしてね?」
サキはあきれたようにため息をつく。
「夕方までには帰ってきなよ」
「もちろん! すぐ戻るから」
私は元気よくうなずいた。
サキは微笑むが、その目にはわずかな不安が宿っていた。
「気をつけてね、リカ。呪いに巻き込まれたなんて話、聞きたくないから」
「それ、本当にすごいことになりそうね」
私はわざと芝居がかった口調で言い、笑いながら手を振った。
サキはただ首を横に振くだけだったが、最後にもう一度、優しい笑みを見せてから家の方へ歩いていった。
──今、私はひとり。
そして、この夕方の時間は全部私のものだ。
こういう“謎めいた感じ”がたまらなく好き。
古い町の中心へ向かうたびに、胸の鼓動が少しずつ速くなっていく。まるで、空気そのものが期待に満ちているみたい。
この通りを歩くたびに思う。とくに太陽が沈みかける頃になると、町がまるで別の顔を見せる。
昼間の日の出は、どこにでもある平凡な町――急ぐ学生、ちらつくコンビニの灯り、ラーメンの配達員が自転車でジグザグに走り抜ける。
でも、角をいくつか曲がって古い地区に入ると、すべてが変わる。まるで、古びた本の黄ばんだページの中を歩いているような気がするのだ。
私は想像をふくらませた。
その店はどんな場所なんだろう。
暗いのかな? 天井まで届く棚があって、何かを探すには梯子が必要なほど?
入り口には小さな鈴がついていて、来る人ごとに特別な音で迎えてくれる?
カウンターの上では猫が眠っていて、眉のとがったおばあさんが一目で人の秘密を見抜く――なんてこともあるかも。
……それとも、もっと奇妙で、物がひとりでに動いたり、誰も読めない印が刻まれたガラスケースが並んでいる場所だったりして。
想像するだけで、私は自然と歩く速度を速めていた。
最後の角を曲がったとき、遠くにその店のシルエットが見えた。
ほこりをかぶった窓ガラスが夕陽を受けて金色と赤に輝き、まるで建物そのものが息をしているように見える。
唾を飲み込み、口元に小さな笑みを浮かべ、私はその店へと歩き出した。
ドアを押すと、鈴がやわらかく鳴った。
まるで「待っていたよ」と言わんばかりに。
一歩中へ入ると、ひんやりとした空気と、少し湿った香りが私を包み込む。
古い木の香りが漂い、薄暗い光の中で世界が静かに呼吸しているようだった。
目を凝らしてあたりを見渡す。
天井まで届く濃い木の棚が並び、そこには奇妙な品々がぎっしり詰まっている。
中には何かが入った瓶や、こちらを見つめているような彫刻の像もあった。
近づくのが少し怖いほど、どの品にも不思議な“気配”があった。
「わぁ……」
思わず声が漏れる。
好奇心が抑えられず、古い本が並んだ棚へと足を運んだ。
背表紙はすり切れ、ページは黄ばんでいる。
その中で、ひときわ目を引くタイトルがあった。
『死者のカーニバル』。
――もしかして、幽霊の物語が書かれているのかも?
私はその本を手に取った。
すると、ひやりとした感覚が指先を走る。
表紙には不気味な影の模様が描かれていて、ただの本ではないと直感した。
引き寄せられるようにページを開こうとしたが、角に小さな金属の錠がついていて、開けることができなかった。
「これ……なに?」
私は本を回して眺めながらつぶやく。
その錠前はかすかに光り、まるで“秘密を解き明かして”と誘っているように見えた。
中にはどんなものが書かれているのだろう。
忘れられた幽霊の物語? それとも、霊と話すための方法?
考えるだけで胸が高鳴る。
そのとき、小さな鈴の音が店の奥から響いた。
顔を上げると、闇の中から白髪の老婦人が姿を現した。
その瞳は鋭く、まるで私の心の奥を見透かしているようだった。
彼女の後ろのカウンターでは、油のランプがゆらゆらと揺れており、影を作り出している。
その光景が、さらに神秘的な雰囲気を強めていた。
「その本はね、特別な価値があるんだよ」
老婦人の声は柔らかく、それでいてぞくりとするほど静かだった。
「ほんとうに……?」
私は興奮を隠せずにたずねた。
お読みいただきありがとうございます。
私は外国の作家で、この小説はもともと別の言語で執筆しました。そのため、この翻訳にはいくつかの誤りや原作との違いがあるかもしれません。ご理解いただけると幸いです。それでも物語を楽しんでいただければ嬉しく思います。
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