「夢」テーマ(仮題)
最近、悪夢を見る。
***
転校してきたばかりで、空き時間に喋れる子はいない。喋りかけるにも何を話せばよいのか分からなかった。今まで話題は友人達が提供してくれていたし、貧乏な家の子である自分には周りの子達に合わせた話題などない。
やることもなく、ぼんやりと青空を眺める。先生の机の前から2番目。窓際だから許されるのんびりとした時間だ。バンッと叩かれた机に前を見る。不思議に思って前の同級生を向く。首を傾げたが、彼女も目を丸くしてこちらを見ている。
「どうしたの?」
思わず問いかければ彼女は驚いたように口を開く。まるで、こんなことも知らないのかと言いたげな表情だ。それがますます意味が分からない。机を叩くことに呼びかけ以外のなんの意味があるのか。むしろ、呼びかけであったとしても名前を呼んでくれればいいはずだ。ぼんやりとしていた自覚はあるけど、呼ばれて無視した覚えはない。
――呼ばれてないよね?
目も耳も良い方だ。
「テーブルに菌がついたら他の人を叩いて移さなくちゃいけないんだよ」
「そうなんだ」
これがここのコミュニケーションなのか。キンがなにを示すのか分からないが、とりあえず机や自分を叩かれたら『汚い』らしい。その『汚いもの』をすぐに誰かを叩いて移さなければならない、というのが彼女の主張だ。
――変なコミュニケーションだな
それを口にして変だと思われるのは自分だろう。そう察せられる程度には空気は読める。彼女達から仲間外れにされるのは困るので、従うことが普通のはず。
隣の机を叩けば、ごく自然と彼は周りの誰かを軽く叩いていた。本当にここではこれがコミュニケーションらしい、と察せられる。
「みかんちゃんは転入生だから知らないよね!」
にこにこ笑う彼女に頷くしかできない。彼女達のコミュニケーションをちゃんと理解しなければ、独りぼっちになることは分かっている。ここは登校も下校も地域ごとの集団だ。文化が違うことはよくよく理解した。郷に入っては郷に従わなければならない。
――きっと彼女の言うことは正しいのだろう
そう理解したので、きっと大丈夫だと思ったのだ。
親切な人を疑うことは悪いことで、仲間に入れてくれようとしてくれる人が悪いことをするわけがない。
とりあえず、役目は終わったので窓の外へ視線を流す。定期的に与えられるバンッという音に反応して、隣へ流した。何が楽しいのか分からないが、やっている彼等彼女等は笑っている。きっと彼等彼女等にはこれが楽しい出来事なのだろう。
数日。
「勝くんが悲しんでいることが分からないかな?」
教卓の前に立つ先生が言葉を吐く。その隣にいる彼が『勝くん』なのは知っている。
クラスの中でどこか浮いている子だ。何かあれば「先生に言う」が口癖で、事実、ちょっとしたことでも大人に頼っているところを見る。同級生の話をあまり聞いている様子はなく、ちょっと変わった子だ、と思う。
厳しい表情の先生は、クラスで流行っている「きんうつし」とやらが良くないことだと言った。何の話をしているのだろう、と首を傾ぐ。よくよく聞いていれば、いつもやっている机を叩かれたら他の人を叩くというのが「きんうつし」らしい。
今まで話題になっていた様子はなかった。他の同級生達も「今更?」と声を零しているのを聞く。本当に先生は今までそれに関して関わって来なかったらしい。それを同級生達は「勝が先生にチクったから面倒になったのだ」と言った。小さな声だが、それが広がればクラスはざわつく。
「静かに。ちゃんと一人ひとり話を聞くからね。先生にちゃんと教えてね」
その時間は道徳の授業に変更になり、廊下で一人一人話を聞くことになった。それを待つ間は総合の授業で作っているクラス新聞を作る作業に変わる。グループごとに向かい合わせにするために机を動かす。5人グループのために誕生日席になるのはいつものことだ。給食の時間だってこの並びだから、別にいつも通りのこと。
「汚いものに汚いって言って何が悪いんだろ」
彼女が言う。それを黙って聞いていれば、他の班員の子が口を開く。
「どうせいつものチクリだろ? ほっとこうぜ、いつものことだし」
彼の言葉に他の子達も笑っている。
――いつものことなのか
随分と変わった場所だな、と思わなくもない。今まで経験したことの無いことだ。誰かが悲しんでいるから全員から事情を聞く、なんて。ダメなことはダメだと言ってくれない先生なのか。
――分からない
ただ、その分からないことを聞ける相手も居なければ、聞いていい相手ももういなかった。今まで疑問があれば耳を傾け、答えへ導いてくれた友人達も今は居ない。助けてほしい時に手を差し伸べてくれる相手すらいないのだ。
「大丈夫だよ、みかんちゃん。勝くんっていつもあんなんだから」
「そうなんだ」
自分の番になって、廊下へ出る。真剣な表情の先生が椅子に座るように言う。それから先生は真剣な表情は変わらずに口を開いた。
「どうしていじめに加担するようなことをしたの?」
質問の意図が理解できなかった。
「転入生でもやって良いことと悪いことがあるよね?」
どうやらいじめをしていたらしい、と初めて自覚した。
***
「もう、本当に最悪の夢見……!」
じたばたと両手足を動かして隣を見る。隣の彼女はそれを困ったように見ているのは知っていた。彼女はいつもどうしていいのか分からないような、困った表情をする。それでも構わないと思うのは、別に彼女の反応を期待しているわけではないから。ただ話を聞いてほしいだけなのだから、彼女の反応は別に何でもいい。
だから、今日見た夢の話を好き勝手する。彼女が聞いていなくても関係ない。ただただ、最悪な気分の目覚めなのだ! と訴える。どうせ彼女以外は聞いていないのだから問題ない。乗っているブランコを漕ぎ始めれば、少しだけ気分も晴れる。
ブランコに座っていながら足を地面から離さず、ぶらぶら動かしている彼女に勿体ない、とすら思う。だが、彼女はブランコで遊ぶと気持ち悪くなると言っていた。そこまでして共有したい遊びでもないから、強制はしない。
「なんであんな夢見なくちゃいけないのって!」
最悪ー! 前に降り切ったタイミングで叫べば最高の気分だ。他の遊具で遊んでいる友人達には聞こえていないのかもしれない。こちらを振り返る様子はなかった。だからもう一度「最悪だ!」と前に降り切った時に叫ぶ。
「でも、結局、テキトーに過ごしたんでしょう?」
「当然でしょ! お姉さんだってそうするでしょ」
彼女の言葉に食いつくように答えたのは当然だ。自分だけ責められるようなことを言われて気分が悪い。
それを彼女も把握したようだ。また困ったように笑っている。
「ひとりは怖いもんねぇ」
零れ落ちたような言葉にブランコの鎖を持つ手を放す。ブランコジャンプは怖くてできなかった。最近できるようになったジャンプをして、着地。振り返ってお姉さんの方を見る。感情がよく分からない表情をこちらへ向けていた。
――この人はいつもこうだ
それでも話を聞いてくれるからいいのだけれど。
話を聞いてもらえない辛さは知っている。
――なぜ?
分からないけど、知っている。感覚的なものなのか、覚えていない記憶の欠片か。判断できるほどの情報を持っているわけではない。
「お姉さんはどう?」
ジッと見る。きっと彼女はこちらを見返しているのだろう。ただその表情は曖昧で、どこかぼんやりしている印象を受けた。
「私は――」
***
「お前みたいなクソガキ、見たくもねぇのよ」
最悪な夢見だ。
純粋で周りからの言葉に雁字搦めになって、善性の強いクソガキ。過去の友人達の愛情を心底大切にしているクソガキだ。
「なにがトリガーだ、最悪だろ」
仕事に行く気も起きなくなる、最悪の夢見だった。