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第7話 サレ妻、諦める。

 目的の場所に到着したのだろう。馬車がゆっくりと動きを止めた。移動中も手紙の内容を確認していたハナが顔をあげるのを見て侍女のモーリンは心配そうな表情になる。


「お嬢様、大丈夫ですか? 顔色が良くないですよ。今日は〝聖獣の側室〟の試験をお休みさせていただいたらいかがですか」


「大丈夫よ、モーリン。昨日もアデレード様に会うためにお休みさせていただいたんですもの。今日こそはしっかりと試験を受けて、合格をもらわないと」


「ですが、お嬢様……!」


「昨夜はきちんとベッドに横になって休みましたし、今日こそはコカ様もブラッシングをさせてくれるはずよ。だから、大丈夫。それじゃあ、行ってくるわね」


「お嬢様、お待ちください。お嬢様……!」


 追いすがろうとするモーリンを拒絶するように馬車の扉を閉めて、ラーミとコカ、ルイが暮らす屋敷の玄関へと足早に向かう。


「ハナさん、いらっしゃい!」


 ハナがドアノッカーに手を伸ばすよりも早く、来ることがわかっていたかのようなタイミングで玄関ドアが開いた。ルイはニコニコ顔で、その後ろにいるコカはバッサバッサと音がするほどに黒い尻尾を振って出迎えてくれる。

 一週間ですっかり見慣れた光景だ。


「ルイさん、コカ様、こんにちは」


「ワフッ!」


「さ、こちらへ。早速、試験を始めましょう」


 歩き出すルイとコカのあとをハナはニコニコと淑女らしい微笑みを浮かべて着いていく。


「ラーミは今日も中庭で昼寝です」


「ワフ、ワフッ!」


「陽当たりが良くて気持ちいいですもんね、中庭」


 そんなことを話しながらルイとコカに続いて廊下の角を曲がると視界が開けた。庭の中央に植えられた大樹が作る木陰でラーミはゆったりと伏せていた。姿だけはノエルに瓜二つの巨大なオオカミは真っ白な尻尾をゆらり、ゆらりと揺らしている。


「……」


 前足にあごを乗せたまま薄目を開けたラーミはハナの姿を一瞥いちべつ。再び目をつむってしまった。そういえば以前、ルイはこう言っていた。


 ――試験、頑張ってください。

 ――コカはなかなかの強敵ですよ。

 ――それにラーミの試験はハナさんの苦手分野だと思いますし。


 コカの試験とは別にラーミの試験も行われるような口振りだったけど、いつ始まるのだろうか。やはりコカの試験に合格したあとだろうか。だとしたら早く――今日にでもコカの試験に合格しないといけない。

 ルイに差し出された犬用のブラシを受け取って、ハナはぎゅっと拳を握りしめた。


「ワフッ!」


「あ、はい! ただいま!」


 早くこっちにおいで、と言わんばかりに吠えるコカにハナは慌てて向き直った。

 と――。


「コ、コカ様!?」


「ワフッ!」


 いつものようにコカがハナの背中を鼻先で押した。この後、黒くて艶やかでもふもふな被毛に倒れこんだハナの頭を尻尾でふっさふっさとなでて眠りに誘うのがコカの常套手段。そうはさせまいとハナは体を起こそうとする。


「昨夜はコカ様の言いつけをきちんと守ってベッドで横になりました。コカ様をしっかりブラッシングして今日こそは試験に合格してみせます!」


「ワフッ、ワフ?」


「〝ベッドで横にはなったみたいだけど休めていないでしょ?〟とコカが。……確かに顔色が良くないですよ、ハナさん」


「気のせいですよ、ルイさん。コカ様も大丈夫ですから。だから、背中を押さないでください。ブラッシングができませんから」


「ワフッ、ワフワフ!」


「俺もコカに同意です。ちょっと寝てください」


「コカ様もルイさんも過保護が過ぎますよ。今日こそはちゃんとブラッシングを……試験を受けさせてください。は大丈夫ですから」


 寝かせようと鼻先でつつくコカと心配そうな顔をしているルイをハナは微笑みの表情のまま見つめた。

 しかし、コカもルイも引き下がらない。


「ワフッ、ワフワフ!」


「コカの言う通りです。試験は明日も明後日も受けられます」


「ワフ!」


「だから、今日のところは寝てください。ちょっとでも休んでください」


「ワフッ、ワフッ!」


「コカが言ってます、〝そんな疲れ切った顔をしている子に試験を受けさせることはできない〟って」


 コカの言葉を代弁するルイの言葉を聞いた瞬間――。


「受けさせて、ください」


 貼り付いたような微笑みがぐにゃりと歪み――。


「受けさせてください!」


 ハナは金切り声をあげていた。

 ルイは目を見開き、コカとラーミは三角の耳をピンと立てる。


「ハナさん……!」


は〝聖獣の側室〟になるために……そのための試験を受けるためにここに来ているんです。それなのに毎日毎日寝てしまって、昨日だってお休みしてしまって……このままじゃあ……だから、今日こそはブラッシングをさせてください! 試験を受けさせてください!」


 ブラシを握りしめて叫ぶように言ったあと――。


「……ごめん、なさ……っ」


 ハナはハッと顔をあげた。怒らせてしまっただろうか。不合格になってしまっただろうか。そんなことを考えて青ざめていたハナはコカの表情を見て全身の力が抜けるのを感じた。

 黒いオオカミに似た姿の聖獣は小屋よりも大きな体を縮こまらせ、耳をペタンと寝かせていた。コカの様子を見てハナはふらりと後退った。


 ――〝聖獣の側室〟とはつまるところ猛獣のお世話係だ。


 そんな風に人々は言うけれど猛獣だと言うのならこんな風にハナの金切り声に怯えた表情を見せるだろうか。鋭い牙と爪を持ち、人間よりもずっと力が強くて俊敏な彼ら彼女らだというのに。


 ノエルもそうだった。


 穏やかな性格をしているけれど体格や運動能力的には人間を襲うことも噛み殺すこともできる。

 でも、ノエルは怜央に乱暴に扱われ、車に無理矢理に乗せられたときも襲ったり噛み付いたりはしなかった。マンションの地下駐車場に設置された監視カメラに映っていたのは踏ん張って抵抗し、怜央に怒鳴られて耳をペタンと寝かせ、大きな体を縮こまらせて震えているノエルの姿だった。


「コカ、様……あの……」


 コカへと伸ばしかけた手をハナが止めたのはラーミがのそりと体を起こしたからだ。ぺたんと耳を寝かせて落ち込んでいるコカをなぐさめるように額に黒い鼻を押し付けたあと、ラーミは真っ白な尻尾をゆらりと揺らしてハナに向き直った。


「……」


 ラーミの金色の目がハナをじっと見つめる。ノエルに瓜二つの姿をした白い聖獣に見つめられてハナはめまいを覚えた。


「ハナさん、ラーミが〝コカは〟……ハナさん? ハナさん!?」


 ラーミはなんと言ったのか。ルイがすべてを話す前にハナの体はふらりとかしいで意識は途切れたのだった。


 ***


「先日は倒れたお嬢様を馬車まで運んでくださり、ありがとうございました」


 ハナの侍女であるモーリンがルイたちが暮らす聖獣の屋敷にやってきたのはハナが倒れて三日後のことだった。そのあいだ、ハナからの連絡はなく、〝聖獣の側室〟の試験も一度も受けに来ていなかった。


「ハナさんの容体は? かなり悪いんですか?」


「お医者様は過労だろうと。高熱で意識が朦朧もうろうとしておりましたが昨夜から少しずつ下がり始めまして。それで……お嬢様から言伝を頼まれまして……」


「試験のこと、ですよね。体調が良くなったらまた来てください、コカもラーミも待っていますから、とハナさんに伝えてください。まずはしっかりと休んで……!」


「そのことなのですが……」


 ルイの言葉をさえぎってモーリンは暗い顔でうつむいた。


「〝聖獣の側室〟の試験は辞退する、と。ご迷惑をおかけしました、とお嬢様が……」


 モーリンから聞かされたハナの言葉にルイはきょとんと目を丸くした。

 そして――。


「試験を……辞退?」


 呆然とつぶやいたのだった。

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