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桃の子

作者: 雉白書屋

 むかしむかし、おばあさんが川で洗濯していると、どんぶらこ、どんぶらこ、と……


 人が流れてきた。


 うつ伏せで、手足は力なく伸びきり、それが死体であることは明白であった。

 おばあさんは洗濯を中断し、両手を合わせ、お経を唱える。

 死体はやがて川の流れに呑まれ、見えなくなった。

 おばあさんはため息ひとつ。それで気持ちを切り替え、洗濯を再開した。だが……


 どんぶらこ、どんぶらこ。

 どんぶらこ、どんぶらこ。


 またもや死体が流れてきた。それも二つ。髪型からして落ち武者のようであった。

一体の背中には槍が刺さっており、もう一体の背中には大きな切り傷が。

思い返せば先程の者にも折れた矢が刺さっていた気がする。

 近くに合戦場はないはずだ。で、あれば戦の末に甲冑脱ぎ捨て髪を振り乱し

必死に逃げ落ち、そして狩られたのであろう。おばあさんはそう思った。

 最後に一口、水を……と川を探し、そして見つけたのかもしれない。

力尽き、そして落下。あるいは川の縁に追い込まれ……と、しかし。


 まだ誰か息のある者がいるかもしれない。


 おばあさんはあれこれ想像した末に、そう考えた。

そしてその時にはすでに立ち上がり、歩き出していた。

 おばあさんの息子は戦で死んだ。

それらしき亡骸とは会えたが息子だという確証はなかった。首がなかったのだ。

地位も無い、大した首級でもないだろうに、それでも狩られた。

 今でも想像する。その死に際を、鼻歌交じりに持ち去られていく恐怖の染まった顔を。

それを払拭すべく、息子と似た境遇の者を最後、笑顔で看取りたい。

おばあさんは自分のその本心にはまだ気づいていない。

使命感のようなものに駆られ、ただ、足は早まるばかり。


 林の中に入り、落ち葉を踏み鳴らしておばあさんは進んだ。暗く、湿った匂い。

その中に血の匂いは含まれていない。だが、途端に怖くなった。

 誰かいるのでは。いや、誰かいるのはいい。探しに来たのだ。

だがその誰かが落ち武者狩りや、あるいは気性の荒い落ち武者。

つまり危害を加えてくるのでは、と。

 当然だが自分はもう若くはない。まさか犯されはしないだろうが

刀はおろか拳の一振りであの世行きかもしれない。

そうなれば残されたおじいさんは悲しむだろうな。

 そう考えたおばあさんは悲しい気持ちになり、引き返そうかと足を止めた。

踏んだ落ち葉の一鳴き。それを最後に静寂がおばあさんを包み込む。

込み上げる不安。と、そこに一閃、斬り込みが。


 赤子。赤子の泣き声だ。


 おばあさんはその声の方に引き寄せられるように歩いて行った。

 長くはかからなかった。おばあさんの瞳に映ったもの。

薄暗く、やや霧がかった林の中に一部、憐れみの心から齎された仙界の花が咲いているように。

 

 桃。美しい桃色の着物。


 どこかの城の姫だろうか、木の根のようにいくつもの死体が地に伏し絡み合う中

その姫は花や果実のように美しく、そこにあった。

口からは血が一線を引き、青ざめた顔。

死んでいるようであったが目を引くのはそのさらに下の下。

 赤子だ。赤子が臍の緒と絡み合い、泣いているではないか。

 駆け寄ったおばあさんは臍の緒を引き千切り、赤子を抱きかかえた。

すると赤子は泣き止み、そして笑ったのだった。


 家に帰ったおばあさんは沸かした湯で血と泥にまみれた赤子を洗った。

そして形見にと持ち帰った桃色の着物をちょうどいい大きさに切り、包んでやると中々に可愛い。


 それは柴刈りから帰ってきたおじいさんも同意見であった。

目を細め、ほっぺたが落ちそうなくらい、とびっきりの笑顔を作り

かわいいのう、かわいいのうとしきりに言った。

 が、そのうち苦い顔をし始めた。


 敗戦の姫、その子、特に男児となればきっと命を狙われる。

勿論、匿った自分たちもだ、と。

一方、おばあさんはまさか死んだ姫から赤子が産まれたなどと相手は思うまいよと

ドンと胸を張った。


 まあ、そうか……いや、しかし……と、おじいさんが悩んでいると……


 ドンドンドン! と、戸が鳴らされた。

 おじいさんが立ち上がり戸の前に行くや否やバン! と開けられた戸から

甲冑を着た、いかにも偉そうな男が一歩、中に踏み込んだ。

 おじいさんはへこへことしながら男の前に立ち、次いで、男の肩越しに外を見る。

後ろには何人か家来がいるようだが夜なので正確な数は分からない。

当然、逃げるのは無理だとおじいさんは思った。

 偉そうな男は長々と自分の名前やら所属、おまけに武勇を語ったあと、言った。


「オホン、実はこのあたりまで逃げ延びた敵兵どもがいてな。

我々はそれを討ち取ったのだが、まだ他に隠れてはいないかと探していたのだ」


「へえへえ、そうでしたか、それはご苦労様です。

見ての通り、ボロ屋で老夫婦の二人暮らし。

恐ろしい敵兵がうろついているとなるとおちおち寝ていられませんでしたので

お侍様には感謝しかありません」


「うむ、まあ別に恐ろしくはないがな。所詮は負け犬だ、がっはっはっは!

だが……敵の姫は子を身籠っていたらしくてな。

それもいつ産んでいてもおかしくはない状態だったのだ。

そう、城から逃げている最中もな。

それで……ん? 今、奥から赤子の泣き声がしなかったか?」


「え、ええと、それは」


「どれ、見せてみろ。わしはこのように髭面で熊のような男とよく言われ

子供から怖がられてはいるが実際は子供が好きで、そして味方からは頼りにされ

殿からもこうして重大な任を、とまあ見てろ、あやすのは得意なのだ」


 男はそう言うとおじいさんを押しのけ、のしのしと家の中へ。

 おじいさんは上手いこと言って追い返すと宣言していただけに

囲炉裏の前、赤子を抱きかかえるおばあさんがギョッとした顔をする。

 しかし、男もまたふむ? と首を傾げた。


「ううん? 老婆だけか。若い娘がいると思ったのに……。

そうだ、老人よ。そなたは先程こう言ったな。

老夫婦の二人暮らしと。なのになぜ赤子がここに居るんだ?」


 おばあさんはまたもや驚いた。

余計なことを言ったものだ、とおじいさんをキッと睨む。

 や、あの、その、としどろもどろになるおじいさん。


「ふーむ、ん? 包んでいるのは中々良さそうな布だがどこかで……」


「わたしが産みました!」


「ん? んん? わたしとはおばあさん、あなたか?」


「はい」


 いやいやいや無理だ! 騙せるはずがない! とおじいさんは目を見開く。


「ふーむ、で、相手はおじいさんか?」


「はい」


「ほほう、まだ男は健在というわけか。やるではないか。わしもそうありたいものだ」


「へ、へへえ、どうも……」


 無理だって……と先程とは違う意味で、おじいさんはおばあさんを横目で見る。

おばあさんは覚悟を決めた顔をしていた。


「わしも女はたくさん抱いてきたが、まさか老人が子を産めるとは知らんかったなぁ。

女体とは神秘、神秘。しかし、まあ、大変だったであろう。老体での出産というのは」


「ええ、まあ、ぽーんと」


「ぽーんか」


「はい」


「……ううむ、どうも腑に落ちないなぁ」


 それ見たことか! こいつは馬鹿面だがさすがにそこまで馬鹿ではない!

騙せんぞ! とおじいさんはおばあさんに目で言った。

 するとおばあさんは言った。


「実は最近、若返りまして」


「わか、若返った?」


「ええ、夫婦二人とも。それでちょっとええ、まあ盛りましてね、はい。

まあ、このように子を産んだらまた一気に老け込みましてね」


「そんなことが……して、どうやって?」


「どうやってと申されますと……」


「ある朝、起きたら突然ということもあるまい。何か理由があるはずだ。

ほら、仏さまが枕元に現れたとか、何か食べたとか」


「ええと……桃色、あ、桃を……」


「ほう、桃か……。確かに桃は不思議な力があると

耳にしたことがあるような気がするが……。

して、その桃はどこに生えていた? 殿に献上したい」


「ええと、川から流れて来たのでどこに生えていたかは……」


「ふうむ。川を辿ってみるか……」


 男はそう言うと家来を引き連れ、家を出て行った。



「ふぅ、どうなることかと思いましたねぇおじいさん」


「いやいやいやかなり無茶な話だったと思うよ、おばあさん」


「でもまあ、いいじゃありませんか。この子の名前も思いつきましたし」


「ほう、なんとつける」


「桃太郎。きっと立派な子に育ちますよ。

友達ができ、悪い人をやっつけ、そして世に名が広まる。そんな気がします」


「はっはっはっは! もう親馬鹿がはじまっておる!

しかし、そうなったら先程の桃を食って若返った話も息子にしてやらないとな。

出生についてきっとみんな知りたがるだろうしな」


「あら、うふふふ、まあ言い出しっぺの私が言うのも何ですが信じますかねぇ」


「まあ、無茶な嘘だったからなぁ。奴は騙されてくれたが」


「あ、いっそのこと川から流れてきた大きな桃を拾ったら中に、なんてしますか? 

その方が特別な子な気がするでしょう」


「ないない、そんな話はないよ」


「ですね、ふふふふふ」


「はははははは!」


 桃太郎はその後、すくすくと育ち

圧政を敷く新たな領主を打ち破りに行くことになるのですが、それはまたのお話……。

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