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この恋は劇薬  作者: 吉遊
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前編

 数百年前まで人々は愛を見失っていた。

 愛のない結婚をし、子どもに愛を与えず、愛なく生まれた子は誰も愛さず……愛の女神は己が愛する国の人々が愛を忘れたことを嘆き、愛を蔑にすることに怒り、ある呪いをかけた。


 ――我が守護するこの国にある限り、真実の愛のもとでしか子はできぬ、と。



   ◇◇◇



 午前の診察を終え、ラウル・アルジェントは一息つこうとすでに煮詰まってしまっている珈琲を自分のカップへと注いだ。この珈琲は非常に不味いが眠気を覚ますにはもってこいだ。

 わずか一口で二徹目の頭から眠気が消し飛ぶ。


「あら、ラウル。今から休憩?」


 同僚の女性医師の声に内心うんざりした。

 こうして度々絡まれる理由がわからないほどラウルは鈍くない。気に入った女性と一夜限りの関係を持つこともあるが、職場の同僚とどうこうなる気はないし、それ以前に彼女はまったく彼の好みではなかった。


「……なにか?」

「相変わらずつれないのね。そういうところも素敵よ。で、これはあなた宛ての手紙」


 差し出された白い封筒には”速達”の印がついている。

 記された宛名も医局の医師ではなくラウル個人のものだ。本来なら事務員が持ってくるはずの完全な私信であるこの手紙を彼女から渡されるのはいい気がしないが、文句を言っても無駄だと手紙を素直に受け取る。


「あなたってラキュテリオンの出身だったわね」


 国際便で届いたそれは、隣国に住む義父からのものだった。

 いつもの定期連絡にしては時期が早い。今年の春にラウルから時候の挨拶をしたためた手紙を送ったが、その返事にはとくに変わった様子はなかった。


(わざわざ速達で送るようなことが?)


 なにかあったのだろうか。

 孤児たる自分を引き取ってくれた義父母には感謝しているが、もう八年近く彼らの待つ家には戻っていない。医学院に通っていた頃は休みの折には帰ってくるよう催促の手紙も来ていたが、ここ数年はお互い距離を取り細々とした手紙でのやり取りが続いていた。


「ラキュテリオンって言えば……愛の女神ナヴィディアの呪いって本当にあるの?」

「ええ」

「真実の愛のもとでしか子どもができないってすごいわよね」


 他国の人間は必ず一度はこの呪いについて聞きたがる。

 あの国で生まれ育ったラウルからすると当たり前のことだったが、こうして自国から出てみればなるほど呪いだと笑ってしまう。貴族たちの真実の愛のあり方を知っているだけに。


(まさか結婚のことか?)


 ラウルももう二十五になる。そういった話が出ても不思議はなかった。彼はアルジェント家の跡継ぎではないが、なにか政略的な駒として必要とされているのかもしれない。


「…………」


 手紙を読めばわかることをぐだぐだと考えているのも馬鹿らしい。

 なんだかんだと理由をつけてそばにいたがる同僚を休憩室から追い出し、その予期せぬ手紙を開いた。


 ヴィオレッタ危篤にてすぐ帰国されたし。


 前置きも、詳しい説明もなにもない。

 ただ義妹が危篤だということが書かれたそれを、ラウルは知らず手のなかで握り潰していた。




 ヴィオレッタ・アルジェント。

 ラウルの義妹であり、アルジェント家の一人娘だ。アルジェント家は国王より子爵位を賜る貴族で、ラキュテリオンでも有名な医師の家系に生まれた彼女は、わずが十歳にして最難関といわれる王立医学院への入学を許可された天才だ。

 現在十八歳となったヴィオレッタは医師にはならず、研究者の道を進んでいると聞いていた。


 会いたくない。


 それがラウルの素直な感想だ。

 アルジェント子爵は生まれたのが娘で、その子が母親に似て病弱なことを憂い、王都でも噂になるほど優秀であったラウルを孤児院から引き取った。なのに、蓋を開けてみれば……実子たるヴィオレッタは天才で、わざわざ引き取ったラウルは所詮優秀止まり。

 義父母はそんな彼に失望しただろうに、実子と区別なく優しく大切に育ててくれた。それがどれほどラウルの自尊心を傷つけるかも知らず。

 あの義妹を前にするとラウルは劣等感を抱かずにはいられない。

 七歳も年下の少女に嫉妬や敵愾心を向ける自分の滑稽さはよくわかっている。だが、アルジェント家に引き取られてから必死に目指していた王立医学院へあっさり入学されたとき、ラウルの心は折れてしまった。

 なけなしの自尊心を守るために隣国の医学院に入り、なんのためかもわからない医師としての日々を過ごすのにもようやく慣れてきたというのに。



   ◇◇◇



 およそ八年ぶりとなるアルジェント家の門をくぐると、待ち構えていたのか玄関から義父が駆けてくるのが見えた。


「ラウル! よく帰って来てくれた!」


 愛娘が危篤だという心労からだろう、義父の頬は()け身体は一回り小さくなったように感じた。ラウルの記憶にある頃よりもずいぶんと老けて見える。

 義父の変化に離れていた歳月の長さを改めて感じてしまう。


「お久しぶりです」

「ああ、ラウル。ヴィオレッタを、お前の妹を助けてあげておくれ」


 縋りつき今にも泣き出しそうな義父を支えながら、玄関までの短くない道を歩く。

 情けなく逃げ出したこの場所に戻ってくる日が来るとは思っていなかった。あの頃と同じ暗く苦い気持ちを抱えながら、ラウルは義父に見えぬようその口元に自嘲を浮かべる。


「手紙には危篤とありましたが、どのような状態なんです? 医師はなんと?」


 ちなみにアルジェント家の当主である義父は医師ではない。

 医学を学ぶうちに公衆衛生の重要性に気づき、人々が健康に生活できる環境づくりに取り組むため文官として働いている。


「……危篤? え、私、そんなこと書いていたかい?」

「はっきり危篤と書かれてありましたが」

「慌てていて表現を間違えたんだね。すまない。心配しただろう?」


 一瞬自分を呼び戻すための嘘だったのかと疑うが、義父はそういう腹芸ができるタイプの人間ではない。真面目で誠実な、まさに絵に描いたような善人だ。


「なにか重篤な病に罹ったのではないのですね?」

「いや……病と言えば、病かな」


 はっきりとしないその物言いからでは実際の状態が伝わってこない。

 それほどに言いにくいことなのだろうか。


「あの子ももう十八だ。そろそろ結婚相手を探してもいい頃だと話していたんだが」


 貴族にしては珍しい恋愛結婚を推奨しているアルジェント夫妻は、恋人の一人もいない娘にお見合いという出会いの場を用意しようと考えたらしい。

 ヴィオレッタ自身もとくに嫌がることなく、両親の選んだ男性たちと交流しており、この調子ならそのうち好きな人もできるだろうと彼らが安心していた矢先。


「なにを思ったか、あの子が惚れ薬を飲んでしまって……」

「飲ませたでも、飲まされたでもなく?」


 この国の貴族間の結婚において惚れ薬は必需品に近い。だがそれは結婚後の子どもを作る際に必要なのであって、結婚自体をするために使う必要はない。

 好きな相手に振り向いてもらうために惚れ薬を無理やり飲ませることや、その逆はあっても、自分から惚れ薬を飲む状況というのは今ひとつ理解できなかった。


「どうも、惚れ薬の効果が知りたかったらしい」


 そういえばヴィオレッタは好奇心旺盛な子どもだった。

 知識魔であり、気になったことは自分で調べなければ我慢できない質で、ラウルなど足元にも及ばない天才というに相応しい才能を天より与えられた少女。

 そんな義妹が惚れ薬を飲んだからといってどうなったと言うのだ。

 ラキュテリオンでは惚れ薬はそこそこ高価ではあるが、数百年近い歴史を持つ安全性とその効果を認められた合法の薬剤である。人体への副作用などないはずだが。

 疑問顔のラウルに気づいた義父は、ますます言いづらそうにしながら言葉を続けた。


 ――ヴィオレッタは今”惚れ薬中毒(れんあいジャンキー)”になってしまっているのだ、と。




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