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長勤の秘訣 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 うー、さむさむさむ……くっそー、雨が降る日はなおのこと、きっついなあ。

 しかも週の初めの方となると、どうも気分も乗らなくてな。この仕事の日々、数十年後も果たして耐えられるのか? ときどき不安になってくるんよ。

 命あっての物種、とはよくいったものだ。命あって、健康で、ようやく色々なことができる。いくら頑張って積み重ねたものだって、休んだとたんにぽろぽろとこぼれ落ちていってしまうんだ。自然に情状酌量の余地はない。

 自分の本懐のため、働き続けること。そしてそれを維持すること。たとえ他人に広く知られなくても、裏では尋常ならざる努力があるかもしれない。

 その度が行き過ぎてしまった昔話、聞いてみないか?

 

 むかしむかし。まだ日本がいくつもの国に分かれていたときのこと。戦といえば刃物と弓矢が中心だった。

 とある家に仕えていた武士のひとりは、並外れた巨体を持っていたらしい。その身体の大半は脂肪ではなく筋肉で、小札こさね越しとはいえ、槍で突かれても刃先が通らず、皮膚の表面で止まってしまった、という逸話を持つほどだった。

 そしてその図体に恥じない、すさまじい膂力の持ち主。柄5尺、刃渡り5尺、全長10尺の大なぎなたを振り回し、敵陣に突っ込んだなら四人、五人とあっという間に宙を舞った。

 弓も強く、立った状態での射は、三人の足軽を貫いてなお、彼らを樹の幹へ縫い付ける。流鏑馬も達者で、相手方からすると直撃せずとも、一瞬前まで無事だった味方が、いつの間にか矢で貫かれて絶命しているのだから、おののくほかない。

 

 そうして死体の山を築いていく彼だが、家人からはあまりいい印象を持たれていない。

 彼は身体を、洗おうとしないんだ。それどころか、手拭いで拭くことすらも嫌う。彼は汗も脂も返り血も、身体についたものは自然に乾くのに任せているんだ。あまりにたっぷりついたものは、手で薄く引き延ばし、身体中へ塗りたくるように広げていくことさえする。

 ゆえに彼は普段、地下の座敷牢に自ら入り、人前へ出るときには香をふんだんに焚いて、悪臭をごまかしていた。そして彼の容姿は、数十年を経ても若々しいままで、実に三代に渡り、武働きで主家を支え続けたんだ。

 

 やがて彼に仕える小姓も親となり、その子が代わりに仕え始めた。

 小さい頃から主を見知っている子は、主の奇妙な癖を奇妙と思わない。純粋に、なぜ風呂に入らず、手拭いも使わず、日々の汚れを手だけで対処していくのか尋ねたんだ。

 すると彼は、こう答えたらしい。「より長く、この家に仕えるためだ」と。


 彼いわく、身体をしたたりおちる汗や油、垢などは、すべて自分の内より出でしもの。それらをそのまま捨て置くから、人はやがて寿命を迎えてしまうのだと。

 出したものは、ことごとく身体の中へ戻していけ。そうしたならば、身体が老いることはない。けれどもそれが叶わぬならば、同じ「ヒト」から補えよ、と。

 そう返す彼が住まう座敷牢。そこには用足しのために掘り抜き穴はもちろんのこと、おまるの代わりとなる、樋箱の用意すらなかったとか。


 しかし、この時代になると、戦の様相はじょじょにだが、姿を変え始める。

 鉄砲の伝来。種子島の異名を持つことになったこの武器は、各大名家の手へと渡っていき、実戦に投入されていく。

 彼もまた、鉄砲による狙撃を受けたことがあった。得意とする乱戦で、大薙刀による立ち回りを繰り広げていたところ、遠目にも分かるほどに、彼のこめかみから血が吹き出たんだ。これまで彼が弓で射抜いてきた者たちと同じ形で、頭部を横に貫く赤い矢が、何人もの目に留まる。

 近くにいた味方には、彼が倒れたように見えた。ひときわ目立っていた大きな身体が、瞬時に人の波の中へ埋もれてしまったからだ。討たれるか、捕まるかは時間の問題、されど助けに行くには周りに敵が多すぎる……。


 そのような窮地にあったものの、ほどなくあがったのは、明らかなとまどいと恐怖をにじませる悲鳴。

 見ると彼が、人の波の中で再び立ち上がったところだったんだ。先ほど銃撃を受けたのがウソのように、薙刀を振るう彼は、自らを囲う雑兵たちを瞬く間に散らしていく。

 しかし、間近で見ていた味方は思う。倒れる前と後では、彼の身体がひと回りやせているような気がしたのだとか。

 やがて囲みを突破し、ほどなく響いた引き上げの合図で、皆は退却を始めた。ところが、件の彼に関しては、どうしたことか。皆が退く方向とは反対へ駆け出し、なお敵が残る方へ突っ込もうとしていたんだ。

 その姿を見た味方だが、とがめられるだけの余力はない。自分自身、右腕に指が入ってしまうのではないかと思うほどの、大きな刀傷を受けていたんだ。応急の止血こそしたものの、まともに武器を振るえるような状況ではなく、馬もなかったから、徒歩でその場を離れるよりなかったんだ。


 そうして走りに走り、味方の本陣が間近に迫ってきたころ、ようやく彼が合流してきた。

 後から来たにもかかわらず、その健脚でもって先に行く人々を追い抜いていく彼の頭は、真っ赤だった。しかし、味方がちらりと見たこめかみ部分には、弾が貫通していったと思しき穴は、見当たらなかったという。もちろん、あったらあったで大惨事ではあるのだが。

 大薙刀を背中に負う彼は、空いた手でしきりに懐をなでていたという。本来、急所を守るべき胴丸を外し、露わになったあわせの胸元。はだけかけたその襟からのぞく胸板は、元の色が分からないほど、赤く濡れていたのだとか。



 以降、彼は太平の世を迎える直前に、誤って千尋の谷に落ちて行方知れずになるまで、実に100年以上に渡って、主家に仕えたらしい。

 その長い戦歴の中では、幾度も彼自身が狙撃、斬撃を受けて倒れかけたこともあったが、死には及ばず。間もなく立ち上がって暴れ出すや、戦慄の悲鳴があたりにこだましたんだ。

 この復活について、詳しく知る者はほとんどいない。立ち上がった彼の至近にいた者は、敵のみならず味方までも巻き込まれ、即死する者が大半だったからだ。

 ただ、彼の薙刀を逃げ延び、重傷を負いながらも数日を生きた者の話では、彼は倒れ込んだ拍子に、そばへ転がる兵たちの遺骸を掴んだというんだ。それが手であれ足であれ、彼に思い切り引っ張られた部分は悲鳴をあげ、実際にちぎれんばかりに肌が裂けてしまう。

 すると飛び散った鮮血が、はかったように彼の身体へかかり、腹の虫が鳴るような水音とともに、彼の身体がひと回りやせるや、薙刀を手に立ち上がるんだ。

 その瞬間の彼は、両目がほぼ飛び出し、口もまた馬のように前へ張り出すという異様な姿。目にしたものはおびえて、スキをさらしかねないほどだったとか。


 更に、見間違いでなければ、彼はそのまま以外から四肢を奪い、懐の中へ突っ込んでいたらしいのさ。


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