誰得? シサマのハードボイルド作詞教室
「小説家になろう」サイトのユーザーの皆様、或いは暇潰しでお立ち寄りの一見の皆様、おはようございます!
私はこのサイトで、小説・エッセイ・詩を投稿して活動している、底辺作家のシサマという者です。
自身の小説やエッセイの創作論、或いは「小説家になろう」サイトの問題点などに関して、『唯我独尊なろう道!』という連載エッセイで自由に述べている私ですが、もうひとつの創作活動である「詩」に関しては、洋楽の歌詞対訳に触れた程度で、殆ど勝手気ままな活動に終始していました。
このままでは、私の詩は一部の好き者しか読んでくれませんよね。
カップ焼きそばや成型ポテチ、エナジードリンクのエッセイまで書いている私が、近い将来成人病で死んでしまった時(笑)、死人……いや詩人としての私の遺伝子を継承してくれる方が1人でもいるのかと、夜中に不安で飛び起きてしまったのです。(←嘘)
そこで私はこの度、自ら第1キーワードに「ハードボイルド」と明記する私の作詞マインドを、皆様にご紹介したいと思い立ちました!
これを読めば、成人病に近付く事無くシサマに近付ける……誰も近付きたくありませんけどね(笑)。
①ハードボイルドとは?
文芸用語としてのハードボイルドは、暴力的・反道徳的な内容にも批判を加えず、客観的で簡潔な表現で記す手法・文体の事を指しており、これは即ち、「過剰な情緒を排した、テンポを重視するドライ感」と置き換える事が出来るでしょう。
一般的には、組織のルールに縛られずに犯罪捜査に乗り出す事の出来る私立探偵にこの役割を負わせた、無頼派探偵小説とでも言うべきいちジャンルとして知られていますね。
しかしながら、元来固ゆでのゆで卵の事を指していた言葉だけに、感情に流される事無く、妥協のない強靭な意志を感じさせるキャラクターの存在そのものが「ハードボイルド」という見方も可能です。
その結果、私の考えるハードボイルドとは、先のキャラクターに加えて、小鷹信光氏の命名である「ネオ・ハードボイルド」(キャラクターの個人的問題を通して社会の問題を問い掛ける)の要素をプラスし、最終的に「私自身の経験と信念に基づいて生きる」キャラクターが主役を張る、ドライ感のある作品となりました。
②歌詞を作ってみよう!
私が「小説家になろう」サイトで発表する詩は、全て歌詞の形を取っています。
この背景には、私自身が長年アマチュア・ミュージシャンとして作詞・作曲に関わっていた事が挙げられるのですが、ハードボイルドの持つ「ドライ感」の演出の為には、自分の想いを幾らでも綴れる散文型の詩ではいけないという持論もありました。
歌詞の形を取るならば、曲に合わせてある程度文字数を揃えなくてはいけませんし、時には韻を踏んでテンポを重視しなくてはいけません。
そういった「制限や縛り」も、時に創作には必要であるという事ですね。
但し、韻に関しては、何でもかんでも踏めばいいという訳ではありません。
一般的な歌詞はヒップホップの「ライム・リリック」とは異なり、字面を見た時の芸術性も時には必要です。
韻を踏んでいなくても、言葉として魅力的であれば、時にはそこを優先しましょう。
私が歌詞を書きたくなる瞬間は、洋楽を聴いている時にイメージが降って来る時。
或いは、カーラジオを聴いている時にJーPOPの歌詞を耳にして、自分ならこういう表現にするのにな……という、対抗心に火が着いた時。
必要に迫られて、歌詞を作らねばならない状況に追い込まれた時は、50音の頭文字を取って、そこから連想した言葉をテーマにした作詞を自身に課します。
50音の最初の言葉は「あ」。
歌詞に幾度と無く使用され、作詞には必要不可欠な言葉としては、「愛」や「あなた」がありますね。
今回はベタもベタ、「愛」をテーマに作詞してみましょう!
まず最重要なのは、作詞者の価値観です。
ハードボイルド作詞教室に於いて、読者やリスナーの共感という、他者への価値観は二の次です(笑)。
皆様は「愛」という言葉に、何と返しますか?
「分からない、不思議なもの」
「優しい、嬉しい、ありがたいもの」
「そんなもの要らない、辛い、悲しいもの」
多彩な解答の形があるとは思いますが、私自身は「愛は人間の生きる理由」であると考えます。
一口に愛といっても、幸せな家族愛や親友との友情の様な「無償の愛」がある一方、厳しい環境の中で、家族を金づるや労働力にしか思わない「やむを得ない愛」、まだ若く、恋愛の美味しい所だけを奪い合う様な「打算的な愛」、権力者や富裕層が現実の家族以外に求める「心の要らない愛」など、実に様々な形がありますよね。
しかし、それら全ての愛に共通している事は、「その愛無しに、人間は生きる事が出来ない」という現実です。
ちょっと書いてみますね。
「生きる理由」
大切な誰かがいた そんな時もあった
守れなかった 救えなかった
ふたり笑って 別れたけれど
あなたを憎んでいた 自分自身を憎んでいた
僕には待っているひとがいる
寂しさ埋め合うみたいな 虚ろな関係
でも僕は 恐れている
この愛をまた 失う時が来る事を
育てなければ枯れるのに 水を奪い合うばかり
この愛無しじゃ 生きられない
明日の事は 明日決めるだけ
……真摯ではありますが、沼にズルズルハマっていて、ウェットですよね!
ハードボイルドならではのテンポと、ドライ感が無いですよね!
タイトルの「生きる理由」が、重過ぎますよね(笑)!
ハードボイルド歌詞に作り替えます!
「生きる理由」
守れない愛 救えない愛
大事な誰かが いなくなっても
いつか綺麗に 笑って忘れて
互いの怒りも過去になる 新しい愛
ただ 寂しさ埋めるだけ
わがままに振り回すだけ だとしても
この愛無しでは 生きられない
腕の中に眠る 貴女もそうだと願いながら
夢見ていた あの頃の愛とは違うけど
今夜は 誰かを感じて眠りたい
明日の 愛を信じて眠りたい
……何処が変わったのでしょうか?
まず初期バージョンでは、前半にある過去の恋愛を後半にも引きずっていた主人公が、ハードボイルド作詞バージョンでは、前半で過去と決別していますよね!
更に、無責任に片方が忘却したのでは無く、両者の新たな人生を感じさせる描写が入りました。
中間部では、初期バージョンがネガティブ因子に囚われていたままなのに比べて、ハードボイルド作詞バージョンでは新しい愛とネガティブ因子を抱えながら、それが自身に必要であると訴える前振りに繋がっています。
ここでムードを変えてしまう、根拠無きポジティブ思考を持ち込まない事が、ハードボイルドならではのテンポとドライ感を作る上では重要ですね!
綺麗事やポジティブ思考は大切ですが、使う場所を間違うとシラケますから。
裏を返せば、使うべき場所では綺麗事やポジティブ思考を使わないとダメですね。
シラケた感想を送る事がカッコいいと読者に思わせた瞬間、或いはシラケて書く事がカッコいいと作者が思った瞬間から、文芸は死にます。
信じられないスピードで死にます。
……そして後半、不安に怯えるだけだった初期バージョンの主人公と比べると、ハードボイルド作詞バージョンでは、切なさや虚しさがうっすら薫りながらも(笑)、主人公が不安と対峙する覚悟を感じさせる描写になっていますね。
これらの作詞マインドは、私の経験と信念により、乗り越えられない失恋は無かったという確信と、迷いや悩みに終わりは無い事を隠していい振りこく事は出来ないという、年齢なりの心得が勝手に出てくる事で生まれました。
とは言うものの、悩み続ける事やネガティブ因子やポジティブ因子に偏る創作がいけないのか?と言われれば、決してそんな事はありません。
作詞、或いは詩を書くという事は、自分以外から生み出す事の出来ない真の私小説作業であり、そこに文字数や行間の様式美を取り入れる事によって、自分に思い切りカッコ付けさせたり、思い切り無様にさせたり出来る権利が与えられるのです。
さあ、皆様も「詩」のジャンルにレッツ・トライ!