([後]編-Episode.02)
転倒して顔面から地面にダイブしてしまっているその人は、帽子とマスクとサングラスで顔を隠し、だぶだぶで少し汚れが目立つスプリングコートを羽織りその襟を立てて肌の露出を極力避けていた。見るからに怪しい、小柄で体の線が細い人物。
その人物を、不憫そうに憐憫の表情で見やる人、数人。
その人物を、迷惑そうに困惑の表情で見る人、十数人。
その人物が転んでいる辺りを、不機嫌そうに嫌悪の表情で眺める人、多数。
そして。
その人物を、呆れた表情で一瞥して立ち去ろうとする、諸悪の根源である悪意なく迷惑ばら撒く厄介者が、一人。
「足元には、注意しないとな」
お前が言うか!
俺と、可哀そうな被害者の周囲で一部始終を見ていた数人が、心の中で声を合わせた。たぶん。
それ以外の人々は、整然と何事も無かったかのように、ただし漸く起き上がった被害者とその周囲に散乱した物品を避け、等間隔で等速な行進を再開させていた。
この地域の主要都市でもある往古の商都へと向かう街道の、絶妙な間隔で整然と一定の速度を保ちながら同じ方向へと向う多くの人々で構成される人の流れの、ど真ん中に一人で取り残される。
そんな状況で、彼女は茫然としていた。
そう。自覚のない厄介者の被害にあった人物は、幼い女の子だったのだ。
ブチブチブチっ。
と、俺の中で何かが盛大に切れた。
俺は、自分史上最速で、尚且つ、周囲に気付かれないよう慎重に、魔力を練る。
さて。どうやって、お仕置きしようか?
基本は、三倍返し。
だが、それだけでは、今回限りの事とするのでは、俺の気持ちに収まりがつかない。
だから。あまり風采の上がらない壮年のおっさんの顔など覚えたくはないが、じっと見て覚える。
不快だが、我慢。
彼女は、それ以上に酷い目にあっている。ガマン我慢、だ。
...っと、良し。覚えた。
次に見かけた時にも、必ず、当面は、継続して、天罰を加えてやる!
と、今後に向けた仕込みと同時に目先の準備も完了したので、本日分のお仕置きを、発動。
ボヤっとした顔で無意味にへらへら笑っている宿敵おっさんの、両足を強引に引っ掛ける。
顔面から地面に激突したところで、尻を盛大に蹴り上げる角度でぶっ飛ばす。
街に向かう人の流れから放り出されるよう細工した後は、緩い斜面へと誘導しながら更に後押ししてゴロゴロと盛大に転がした上で、たまたま近辺にあった大きな水溜りへと勢いよく放り込む。
以上の作業を風系統の魔法による連携技であっという間に終わらせると、俺は、茫然と座り込んだままでいた少女へと、手を差し伸べたのだった。
* * * * *
その少女の名前は、弥生ちゃん。
十五歳の、中学三年生。ただし、現在は学校に不登校。
街に向かう人の流れから抜け出し、街道の脇にあるちょっとした休憩スペース、というか空き地に数個のベンチがポツンと置かれているだけの広場へと退避し、俺は、彼女の怪我に治療を施しながら話を聴いていた。
勿論、彼女が不心得者の所為でバラ撒いてしまった荷物は、全て回収。彼女の傍に、揃えて置いてある。のだが、しかし。それらは、残念ながら、大変に悲しい状態へとなってしまっていた。
そう。彼女が転んだ際に、弥生ちゃんが道の凹みに足を取られて盛大に転倒し顔面から地面へとダイブしたのと同時に、弥生ちゃんが腕で大切に抱えていた荷物もまた容赦なく地面へとぶちまけられていたので、無事には済まされなかったのだ。
しかも。大変不幸なことに、その荷物は全て、壊れ易く繊細な割れ物ばかりだった。
つまり。弥生ちゃんが運んでいた物品は、全て破損し、物によっては粉々となって原形すら留めない単なるガラクタへと成り果てていたのだった。
そして。更に不幸なことに、その荷物は全て預かり物で、仕事として運搬を請け負っていた物品なのだと言う。
悲劇、だった。
更にその悲劇はそれだけで止まらず、彼女には、全損してしまった物品を弁済する伝手もない、らしい。
弥生ちゃんが、ぽつぽつと語ってくれた話によると、彼女は天涯孤独な身の上のようなのだ。
数年前まで家族三人で慎ましく生活していたが、両親が相次いで病死し、現在は親戚の家でお世話になっているのだ、と弥生ちゃんは教えてくれた。
ただ、その親戚というか家庭環境に少し問題があるようで、弥生ちゃんは、中学三年生でありまだ卒業前にも拘わらず、ここ数ヶ月は満足に学校に通えていないのだという。
彼女が明言した訳ではなかったが、お世話になっている親戚の家も裕福ではない上にその世帯主がお世辞にも人格者とは言えない人物のようで、彼女は自身の食い扶持を稼ぐことを強硬に求められてる、ようだ。
ある日、弥生ちゃんは、帽子とマスクとサングラスで顔を隠し、だぶだぶのコートを羽織って体格を誤魔化し、肌の露出などは極力避けて、少女であると露見しないよう工夫してみたそうだ。
そうすると、年齢と性別を隠蔽して日雇い仕事を請け負うことが出来ると分かったので、それ以降は更に、自身の食い扶持は自身で稼ぐべしという要求度合いが厳しくなった。と、弥生ちゃんは苦笑する。
だから、勉強は嫌いではなかったが中学校に通うのは諦めて日中も働いている、と言って少し悲し気に笑うのだった。
遣る瀬無い話だ、と俺は痛切に思う。
国家という概念が崩壊した現代に於いて、義務教育の制度は形骸化している。
形骸化はしているが、その必要性については万人が認めるところであり、暗黙的にその維持が奨励されているため、中学校までは全ての子供たちが通う、といった慣例が実質的には機能している。
その一方で。
何でもありのこの世界では、本当の意味で力が全てなので、弱肉強食が基本原理であり原則だ。
だから。
周囲の目が届かない場所や、周囲に保護してくれる目のない境遇では、零れ落ちてしまう者が少なからず存在するのもまた、現実だった。
人間社会と国家と常識が一瞬で崩壊した大騒乱から以降の、誰もが突発的に自爆しかねない魔素が普遍的に偏在する世界では、他者への信用度が危機的レベルまで下がったために親戚縁者を中心とした小集団を形成する傾向が強くなる一方で、食料の確保が容易ではなくなり自給自足が一般的となっていることも、子供たちへの皺寄せが発生する温床となっている。
一方で。コストをかければ何であろうと入手は可能な科学が存在し、他者を信用することが出来なくともコストをかけて信頼性を上げることは不可能でない。そんな、貧富の差が開くのと同期するかのように出来上がってしまった感のある格差社会が、この問題をより複雑化している。
つまり。理想と現実が乖離し、時と場所により正義が変化し、真実が一つではない、といった世界が出来上がっているのだ。
だから、えっと...まあ、何だ。
久方振りに難しいことを考え、理屈を振り回して自己正当化に取り組んでみた訳だが、要は、ある意味で反則技な存在でもある俺が弥生ちゃんを助けても全く問題がない、という事を言いたかったのだ。
そう。今一つ、論理的な瑕疵があったり説得力に不十分な点が見え隠れしているような気がしないでもないが、まあ、良いではないか!
困っている女の子を助ける。これは、紳士として当然の行いだ。
うん。問題ない。
こうして、俺は。
人里に降りて来て数日も経たぬ間に、早くも、三人めの子供を保護する事となったのだった。
ここまで読んで下さり、ありがとうございました。
この作品は、短めエピソードの連作形式で、不定期掲載となります。
各 Episode での一話完結。
いくつかの Episode を掲載し、次話の掲載日程は未定。
(続きが気になる中途半端な状態は極力回避させて頂きますが、遅筆なもので...。)
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