僕らの汗と涙と血の青春ラブコメ
青木ミツオは目を開けた。黒い世界の中に、星のように、あるいは宝石のように、看板を彩る電球達、窓から漏れる灯りが、散りばめられていた。油のにおい。生ごみのにおい。血の匂い。頬を生温い風が撫でていく。リアルだ。五感が全て、忠実に再現されている。無限都市。それが、戦士、ミツオが暮らす街だ。朝が来ない、永遠に闇に閉ざされた街。これは、バーチャルリアリティーのゲームだった。エデルシュタイン。それがこのゲームの名前だ。
青木ミツオはどこにでもいる、中学生である。帰宅部。塾に行く以外、放課後やるべきことがない暇人だ。南第一中学校の灰色のブレザーは窮屈だ。背だけは、運動もしないのに伸び続けている。
学校の近くには、県内トップの中高一貫校の光明学園がある。制服は黒一色の学ランとセーラー服。南第一中学校の制服の方が洒落ている。それが、この辺の女子の意見だった。ネクタイもスカートも灰色がかった空色のチェック柄だ。
ミツオはファッションに興味がない。そして学ランが羨ましかった。
母親に入れと言われた学校だからだ。小学校の6年間を受験勉強に捧げた。
姉のアリサは光明学園の5年生だ。父親は医者だった。柔道をやっている。豪快で、弱者への思いやりを忘れない。母親は薬剤師だ。理性的で、ミツオは一度も怒鳴られたことがない。
全ては生まれたときから決まっていた。父親の母校に通うべきだと定められていた。しかし、ミツオは受験に落ちた。これからは、東條大学を目指して勉強すべきだ。
4月になって、ミツオは母親にそう言われた。東條大学も、父親の母校である。
ぼんやりと日々を過ごし、制服というものに慣れてきた頃だった。
不合格だったことを、家族の誰も責めなかった。ただ慰められた。その日ミツオは鰻を二杯も食べさせてもらった。翌日には、温泉旅行に連れて行ってもらった。
だから、受験という行事の存在をすっかり忘れていた。ミツオは、微笑む母親の顔を見ながら、これから、また頑張るよ、と言った。
それらから逃げたいと思った。受験から逃げたい。未来から、責任から逃げたい。そして、家族から逃げたい。そう思ったのだ。
エデルシュタインは、先月から公開されたゲームだった。ゲームセンターでしかプレイできない。仮死状態になり、脳を電子脳に明け渡し、夢の世界を冒険する。しかも、冒険している間は、記憶喪失になり、新しい記憶、つまり人格を与えられ、つまらない現実の自分から、自由になれるのである。
ゲームシステムがうまく働かなかったのだろうか。今、ミツオには、二つの記憶がある。