09 手を引いて、逃げて走ったその先に
ロープに通した輪っかを掴んで、体重に任せてすべらせる。
左腕で抱えた女の子の体は、びっくりするほど軽かった。
私の力が上がったからかな、それともこの子がやせすぎてるだけなのか。
あっという間に屋敷の塀の上を越えて、木にぶつかる前に手を放して着地に成功。
道路は石畳だし、着地失敗したら悲惨だな、これ。
抱えてた女の子を下ろすと、ジョアナさんも少し遅れて降りてきた。
「ちょっとキリエちゃん、どういうつもりかしら? 突然奴隷の子を連れ出すなんて」
「んー、何となく? いいじゃん、レジスタンスで保護してあげてよ」
「そういう問題じゃなくて、この後も逃げなきゃいけないのにそんな娘を連れて——」
言ってる間に、角を曲がって兵士が走ってきた。
右側から一人、左側から二人。
入り口に知らせに行ったヤツと、入り口警備してたヤツらだ。
「……っと、話は後にしましょう。こっち!」
降りた場所のすぐ近くに、薄暗い路地があった。
偶然、じゃない。
あらかじめ逃走経路まで計算に入れて、あの部屋から脱出したんだ、さすがプロ。
路地へと走っていくジョアナさんは、手加減なしの全力疾走だ。
「……走れる?」
「……っ」
奴隷の女の子はコクリ、と頷いた。
とりあえずは信じて、私も手を引いて走り出す。
もし追い付かれそうだったら、私が抱えるしかないか。
狭い路地裏を、あの人を見失わないように、必死についていく。
足速いな、あの人。
いや、それだけじゃない。
入り組んだ複雑な路地を、完璧に覚えているんだ。
どこを曲がってどう走れば、どこへ抜けられるか。
全部分かっているから走りに迷いが無い。
だから速いんだ。
ホント、脱出のための用意に抜かりがない。
まるで最初から、こうなるってわかってたみたいだ。
もしかして、敵に見つかったのもわざと……?
(いや……、だとしたら、いったい何のために……)
女の子の方は、なんとかついて来れてる。
けど、さすがに体力ないみたいだね。
すごく息乱れてるし、顔色も悪い。
「キミ、辛くなったら言って——あぁ、言えないか。腕引っ張ってね」
「……っ、……!」
大丈夫、と言ってるのかな。
じゃあとりあえずこのままで。
後ろを振り返った時、もう兵士たちの姿は無かった。
何回も曲がったからかな、私たちを見失ってくれてたら嬉しいんだけど。
靴音も、私たち二人の分と、ぺたぺた言ってる裸足の女の子の足音しか聞こえない。
「撒いたかな?」
「油断しないで、まだしばらく走るから」
プロフェッショナルお姉さんの緊張は、張り詰めたまま。
私も気は緩めず、後について走り続ける。
そうやってどのくらい走ったかな。
ようやくジョアナさんが止まってくれた。
噴水がある丸い広場を路地から覗いて、辺りを警戒してる。
で、この女の子、めちゃくちゃ息荒いけど、だいじょ——あ、しゃがみ込んでゲロった。
「この噴水広場を越えた先、武具屋があるでしょ。あそこで仲間と合流するから……、ちょっと、聞いてる? なに背中さすってあげてるの」
「うん、やっぱりおぶってあげた方が良かったかなって後悔してるとこ」
「話は聞いてたってことにしとくわね。行くわよ」
今回も先に歩きだすジョアナさん。
全部吐き出して楽になったっぽい女の子の手を引いて、私も続く。
噴水、あるんだね。
川から水引いてんのかな。
走り続けて火照った体に、水音と風が心地いい。
「ふぅ、やっと一息つける……」
「最後まで油断しないで。気を抜いた時が一番——危ないッ!!」
呆れ顔でこっちを振り向いたジョアナさんの表情が、一瞬で張り詰める。
私もつられて後ろを振り向くと、大剣を両手で構えた騎士が斬りかかってきてた。
やばい、真っ二つにされる。
「ぐっ……!」
女の子を抱きしめてかばいつつ、二人で倒れ込む。
ブオンッ!
風切り音が耳元で鳴り、私の左の二の腕から勢いよく血が噴き出した。
「いった……!」
深々と斬られたよ。
かなり深い傷だよ、これ。
左腕動かせないかも。
「キリエちゃん!」
「避けたか、だが次はない」
おっしゃる通り、私はこの子をかばって倒れておまけに腕に大ダメージ。
その振り上げた剣を、避ける方法は持ってない。
あぁ、もうダメかな。
「……あ……れ? あなたって……」
この広場、街灯がいっぱいあってけっこう明るいんだ。
だから、騎士の人の顔もはっきり見えた。
その顔に見覚えがあったから、つい話しかけちゃった。
「あの時の、騎士さん……?」
「勇者、様……? なぜ、ここに……」
お城を案内してくれたり、訓練に付き合ってお水くれたりした、黒髪角刈りのごつい騎士さんだ。
向こうも私の顔を見て、とまどってる。
剣を振り上げたまま動きを止めた、その隙に。
ひゅんっ!
ジョアナさんの短剣が、彼の喉元を狙って振るわれた。
まあ、あっさりとかわされたんだけど。
「騎士さんお一人? お仲間は?」
「通報を受けて、俺一人で来た。一人の方が身軽だからな」
「あれだけ路地を逃げたのに、見つけるなんて大したものだわ。勇者ちゃんと顔見知りっぽいけど、そのよしみで見逃してくれない?」
「……ダメだな。カロン少将の暗殺は重罪だ。勇者様はともかく、下手人のお前には死んでもらおう」
「殺ったの私じゃないんだけどなー。まあいいわ、そのつもりなら抵抗させてもらうから」
あ、これ戦いになる。
それも、どっちかが死ぬまで終わらないやつだ。
……まあ、その間に逃げれば助かりそうだし、私にとっては最悪じゃない。
冷たいと思われるかもだけどさ、だってどうしようもないもん。
大剣をかつぐ騎士さんと、腰を低くして構えるジョアナさん。
二人が激突する、と思ったその瞬間。
ガキィ……ンッ!
風が吹いた。
突風に目を閉じて、開くと、二人の間に男の人が。
右手でジョアナさんの短剣持った手首を掴んで、左手に持った短剣みたいなので騎士さんの剣を止めて。
二人とも、その人の顔を見て驚いてた。
「よぉ、俺の店の前でケンカか、お前ら」
「リーダー……?」
「バルジ……、なるほどな、コイツはお前んとこのヤツか……」
正直なところ、私にはさっぱり事情が分かんない。
なので黙って見守ることにする。
「兄貴、そういうわけだ。ここは見逃しちゃくれねぇかな」
「……新入りが入ったなら、前もって知らせておけ」
騎士さんが剣を引いた。
兄貴って、そのままお兄さんってこと?
あの騎士さん、この人のお兄さん?
「カロン少将暗殺の下手人は見失った。逃げ足の速いやつだった。そういうことにしておいてやる」
「恩に着るぜ」
「早く行け、増援が来ないうちに」
騎士さんは背中の鞘に大剣を納めて、背中を向ける。
見逃してくれるってことなの?
急に?
ジョアナさんも事情はよく分かってないみたいだけど、とりあえず私の方に走って来て起こしてくれた。
「……さ、行くわよ」
「う、うん」
私と奴隷の娘は、ジョアナさんともう一人、バルジって呼ばれてたっけ、男の人と一緒に目的の武具屋さんへ駆け込んだ。
バルジさんはお店にカギをかけて、カーテンも閉めて外から見えなくする。
「……助かった、のかな」
「……っ?」
「安心して、二人とも。もう大丈夫、この人は味方だから」
ぽん、と肩を叩かれた。
青みがかった髪の男の人が私たちを見て、白い歯を見せてニコリと笑う。
「ようこそ勇者ちゃん、俺の店へ。俺はバルジ・リターナー、ここリターナー武具店の店長だ。そして、レジスタンスのリーダーでもある」
自己紹介をしつつカウンターの裏まで行き、地下へと続く隠し扉を引き上げた。
「歓迎するぜ、あんたは俺らの勝利の女神だ」