88 イーリアとベル 逃避行の果て 後編
「ここはバルミラード王国の領内。貴君らは王都の魔族軍だろう。誰にことわって狼藉を働いている」
「狼藉とは人聞きの悪い。アタシはただ、迷子のお姫様をお迎えしようとしてただけさ」
「で、あれば、正式な手続きを踏んでいただこう。領内に兵を率いての侵入、そして荒事。これは戦争行為と取られてもしかたあるまい?」
この騎士殿、いったい何者だ?
姫様をご存じのようだし、ルイーゼといったか、魔族を相手に一歩も引かぬ堂々とした態度。
「聞けばそなたの主君、タルトゥス殿は戦争行為をかたく禁じておられるはず。そなた一人の勝手な現場判断で、今の均衡状態が崩れてもよろしいというのなら、我々も黙ってはいないが」
「……どうやらアンタんとこの国も、糸の切れた風船みたいなお姫様を捕まえときたいみたいだね。いいさ、波風立てるのはアタシらが一番避けたいことだ。居場所がわかってさえいれば、とりあえずは主も満足だろ」
ルイーゼが剣を引いた。
騎士殿の説得、というか脅しに屈したらしい。
「それに、あんたらの国はアレだし、ね。今さら一人増えたところでって感じかな。野郎ども、王都に帰るよ!」
撤退命令を出して、魔族兵とともに街道を引き返していく。
ひとまずは助かったみたいだ。
「騎士殿、助かりました。このご恩は忘れません」
「はは、堅苦しいな。知らぬ仲でもあるまいに」
……はて、やはりこのお方、わたしの知っている御仁のようだが。
「誰だかわからない、という顔をしているな。私だよ、私」
騎士殿が鉄仮面を取って素顔をさらす。
一瞬、やはり誰だかわからなくて固まってしまったが、
「あなたは……、第三近衛騎士団副団長、サーブ殿じゃないですか! 生きていらしたんですね!」
すぐに思い出せた。
失礼ながらイマイチ影が薄くて今まで忘れてしまっていたが、あの革命の日にダンスホール突入部隊の指揮を取った、ギリウス殿の騎士団の副団長殿だ。
△▽△
サーブ殿に案内されて、騎士団護衛のもと、わたしと姫様はバルミラードの首都までやってきた。
街の印象は首都というにはそこそこ栄えた、そこそこ大きな街程度といったところか。
わたしの比較対象が王都だから、小さく感じるだけかもしれないが。
聞けばサーブ殿、今はこの国で騎士団長をされておられるらしい。
「それにしても姫様、一ヶ月以上もの間、よくぞ捕まらずにいられましたな。いやはや、ご無事で何より」
「イーリアが守ってくれたおかげです。彼女がいなければ、私はとうの昔に捕まっていました。……いえ、そもそもあの日、断頭台の露と消えていたでしょう。あなたには感謝してもしきれませんね」
「も、もったいなきお言葉っ!」
しかし姫様、なぜに近頃わたしを見る時、青い瞳が妙にうるんでいらっしゃるのか。
妙につやっぽい表情で、微笑みになられるのか。
昨夜のアレといい、これでは勘違いしてしまうではないですか!
「うむ、イーリアもご苦労だった。……姫様、王城が見えました」
通りの先に見えたこの国の王城。
王都ディーテのお城に比べるとやはり小さい。
あの王城と比べること自体、間違っているのかもしれないが。
城内に通されて、わたしの心は久方ぶりに休まった。
ようやく、ようやく姫様を、安全な場所まで送り届けることができたのだ。
「姫様、国王と宰相をお呼びしてきます。お二人も、姫様にずっとお会いしたがっていましたから」
ここは応接間。
ふかふかのソファーも、もう一ヶ月以上無縁のものだった。
ここまで座り心地のよいものだったとは。
「しかし姫様、この国の王とは誰なのでしょう。またもお知り合いのようですが……」
「見当もつきませんね」
さて、待つこと数分。
意外に早く、その二人が姿を見せた。
「ペルネ、無事だったようだな!!!」
「お前! そもそもお前が反乱なんて起こさなきゃ兄サマは死ななかったけど、それでも生きてたことは嬉しいぞ!」
登場したのは、王冠を頭に乗せて、真っ赤なふかふかマントをはおったバルバリオ。
そして、なぜか分厚い本を小脇にかかえたカミルだった。
「お、お兄様たち、生きておられたのですね」
姫様も驚いておられるご様子だが、わたしも同じくらいに驚きだ。
川から顔のない死体が上がったと聞いた時、もしかしたら生きているのでは、と思ったものだが。
「今は名前を変えているぞ!!! バリオ・バルミラードとな!!!」
「僕もだ、今はキムレと名乗っている。なんで名前を変えているかというとだな……」
「身元を隠すため、でしょう。入れ知恵したのはサーブ殿ですか?」
「失礼だな、女騎士! 僕が考えたんだからな!」
「ちょっと待て!! 俺が考えたんだぞ、バリオという名前はな!!」
「今そんな話してないだろバーカ!」
……このまま二人に好き勝手しゃべらせていてはキリがないので、サーブ殿に事情を説明してもらった。
まず、あの襲撃の日。
ゴーレムに追われたこの二人は、死んだ兵士に自分たちの服を着せて、囮にすることを考えついた。
二人が、というよりはカミルが。
そこに現れたサーブ殿。
まず体格が似てないと意味がないとツッコミを入れ、次に顔が違うからすぐバレると二度目のツッコミ。
似た体格の兵士の死体を探して服を着せ、顔に激しい損傷をくわえて、アローナ川に放り込んだらしい。
「死体に細工をするなど、いい気分はしませんがね。生き残るためにはしかたありません」
「なるほど。その死体が上がって、魔族軍はお二方を見失った、と」
「そして私たちは、身分を隠して逃げました。どういう成り行きか、私がこの二人を連れて」
あぁ、きっと苦労したんだろう。
サーブ殿、本当にお疲れさまです。
「逃亡の末にこの地へ流れ着き、たまたまここを治めていた貴族が逃げ出していて、王族も途絶えていたため空白地帯となっていたところを乗っ取らせてもらったのです」
「よろしいのでしょうか、それは……」
「いいのですよ。身分だけなら保証されていますからね」
たしかに、血筋だけなら申し分ないですもんね。
血筋だけなら。
「かく言う私も、騎士団長の座にはあこがれていました。ギリウス殿がいるおかげで、ずっとナンバーツーでしたから」
あぁ、あの人が上にいたら追い越せないだろうな。
強さもだが、他にも色々とすごいから、あの人は。
「もっとも、この国での私の役目は騎士団長におさまっていません。馴れない政務までやらされて、外交にも手を回して……」
あぁ、きっと苦労してるんだろう。
サーブ殿、本当に、ほんっとうにお疲れさまです。
「優秀な文官の登用を急いで、さらにあのお二人にも立派になっていただかないと、胃に穴が開いてしまいます……」
頭を抱えるサーブ殿を尻目に、あの二人、もうむこうの方で遊んでいる。
本当に大丈夫なのか、この国は。
「だから姫様、あなたが来てくださって本当に助かりました!」
「え、ええ。政務の方、微力ながらお手伝いさせていただきます。お城に置いてもらうんですもの、そのくらいはさせてください」
微笑む姫様の可憐でお優しいお顔、まるでこの世に舞い降りた天使に見えました。
今度はその笑顔、願わくばサーブ殿ではなくわたしに——。
いや、なにを考えているんだ、わたしは!
なにはともあれ、こうしてわたしと姫様の逃避行は終わりをむかえた。
だが、本当に大事なのはこれからだ。
いつの日か姫様が王城に戻れる日まで、お側で支え続ける。
それが姫様に剣を捧げた近衛騎士としての、わたしの使命なのだから。