87 イーリアとベル 逃避行の果て 前編
「コルキューテ本国への食糧の輸送、滞りないか」
「万事、抜かりなく」
側近ノプトの報告を受け、タルトゥスは大きくうなずいた。
「モルドの練兵、ルーゴルフの本国での活動も、共に順調です」
「結構。王都の住民たちの心情も中々に良好だ。全ては俺が『正しい』からこそだな」
満足気に笑う第一皇子を前に、ノプトの表情は一切変わらない。
冷めきったまま、まるで、仮面でもつけているかのように。
「……報告の続きを。レヴィアはパラディに出向いています。戻るまで詳細はわかりませんが——」
「ブルムの姿が見えんが、ヤツは何をしている?」
「見当もつきませんね。私の【遠隔】の届く範囲、このデルティラード盆地の外にいることはたしかです。ルイーゼも、ですが」
「そちらは任務中だろう。さらわれたお姫様の救出という大切な任務の、な」
民衆に絶大な人気をほこる、ペルネ姫。
その行方がわからないとあって、一部の民衆から不安の声が上がっている。
ペルネの処刑が、やはり魔族による強制的なものだったのではないか、と。
小さな波紋が大きなうねりとなる前に、なんとしても捕らえなければ。
「彼女には、ぜひとも無事に戻ってきてもらわねばならん。どのようなつもりで処刑を願い出て、俺の顔に泥をぬったのか。優しく問いただしてやらねばな」
△▽△
「姫様、大丈夫です。怪しい者はどこにもいません」
小さな安宿の一室、その窓辺から、外の様子をうかがう。
こちらをのぞき見たり、探りを入れるような者は見当たらない。
とりあえずはひと安心だ。
「イーリア、姫様はやめて下さい。私はベル、お付きの剣士といっしょにお屋敷を飛び出した富豪の娘です」
「も、申しわけありません」
あぁ、またやってしまった。
これだからいつまでたっても青二才なんだ、わたしは。
……しかし、だ。
深窓の令嬢然とした、フリルワンピースにロングスカートのペルネ様。
なんと素敵なのだろうか。
きらびやかなドレスよりも、清楚さが格段に増している。
「どうしたのです。私の服がなにかおかしいですか?」
「あ、いえ、その……。なんでもありません」
しまった、そんなにジロジロと見ていたか。
王都にて姫様を処刑台から救いだしてから、はや一ヶ月と半月。
その間わたしたちは、独立した東側の諸国をあてもなく旅している。
王国の支配から解放された地域のうち、独立を宣言した国は十七。
今、わたしたちがいる場所が、そのうちの一つ。
王都から南東にある新興国、バルミラードだ。
……正直なところ、この国の名前の由来がわたしにはさっぱりわからない。
このあたりの地名は、グラッジだったはずなのだが。
「ひめさ——こほん、お嬢様。アテの無い旅ももう限界です。そろそろお話になってくれませんか。どうしてスティージュを頼ろうとしないのです」
あの国なら、ギリウス殿がいる。
ともに戦ったレジスタンスのメンバーも大勢いる。
姫様が身を寄せるのなら、これ以上ない場所のはずなのに。
「なぜ、スティージュ行きを拒むのですか」
「……言えないのです。その理由は言えない。ですが、私が行けば大勢の人の迷惑になる。あなたもきっと——後悔する。それだけは、たしかです……」
やはり、理由は言えないままですか……。
行けばどちらも不幸になると、何度たずねても、姫様はただそれだけしか教えてくださらない。
「ですが、資金面でも人目を逃れるにも、わたしたち二人だけでは限界があります。せめて、せめてスティージュに行けない理由だけでも……」
「ごめん、なさい……」
あぁっ、なにをやっているんだわたしは!
姫様に悲しいお顔をさせてしまったではないか!
主君を疑うなど、近衛騎士にあるまじき失態……!
「イーリア……? どうしたのです、とつぜん頭を抱えて」
「いえ、なんでもありません、なんでも……」
もう二度と疑うものか。
きっとスティージュに行けないのは、海よりも深い理由があるに違いない!
さて、夜も更けて、今日も就寝の時間がやってきてしまった。
姫様とご一緒の部屋で眠るというだけでも恐れ多いのに、
「イーリア、今日も二人で、いっしょに寝ましょうね?」
これだ。
姫様と一つのベッドで眠るなど、一ヶ月半続けても馴れるものじゃないだろう。
影武者の方の姫様は、なんというか勇ましかった。
わたしのイメージが崩壊するほどに、勇ましく勇敢で即断即決。
一方、ここにいる本物の姫様は非常にしおらしくいじらしい、野に咲く一輪の花のようなお方だ。
一人では心細くて眠れないとおっしゃるほどに。
「は、はい……っ、では失礼つかまつりまするっ!」
「ふふっ、おかしなイーリアですね」
笑みを浮かべるお顔も、可憐でお美しい。
緊張でガチガチになりながらベッドに入り、いつものように少し離れて横たわろうとすると、
「……ねえ、イーリア」
「なっ、なななっ」
姫様に抱きつかれてしまった。
体に手をまわして、たわわな胸を押し付けになられて、わたしの顔をじっと見つめて。
なんだ、この状況はっ!
「さみしい、のです……。ねえ、もっとそばにいて欲しいの……」
お顔が、お顔が近い!
甘いニオイがして、お顔がどんどん近付いて……!
これはまさか、誘惑……されている?
(いやいやいや、そんなバカなことが……!)
「ひ、姫様っ! 明日も早いので、わたしはこれにてお休みしますっ」
「あ……っ」
やさしく引きはがしてから、ベッドの中にもぐりこむ。
ダメだ、このようなこと、このような……!
(あぁ、でもこのまま流されていたら、一体どうなっていたのか……)
悶々とした思いを抱えたまま、その晩は遅くまで眠れなかった。
△▽△
街を出て、街道を行く。
この道の先は、バルミラードの首都だったか。
国の騎士団が演習しているのだろう。
馬に乗った数十人の鎧の騎士が、遠くを駆けていく。
「イーリア、もしかして具合が悪いのですか? 目の下にクマが……」
「なんのこの程度っ! わたしは平気です、平気ですともっ!!」
本当は足下がふらふらしていますが。
……それはさておき、そろそろ真剣に考えなければいけないな。
今後の身のふりかた、スティージュ以外に身を寄せる先を——。
「みーつけた」
「……っ!? 姫様、お下がりください!」
しまった、また姫様と言ってしまった。
けどしかたないだろう。
あの日の因縁深い魔族が、薄緑色の短髪の女魔族が、今度は魔族兵十人ほどを引き連れて現れたのだから。
「貴様、あの時の……!」
「ルイーゼ。改めてお見知りおきを。さて、ずいぶんと手間とらせてくれたね、ナイト様?」
どうする、戦うか、逃げるか。
はっきり言って、今のわたしに勝ち目などない。
ましてや、姫様を守って戦い抜くなど……。
「そこの魔族たち、何をしている!」
な、なんだ?
低く鋭い声が耳にとどく。
ふりむけば、遠くで演習していた騎士団の長が、部下を率いてすぐそこまでやってきていた。
フルフェイスの鉄仮面で顔は見えないが、しかしこの声、どこかで聞いたような……。