07 ワインを一本、手に持って
カロン・スクトゥスは、元は平民である。
小国デルティラード王国の農家の三男坊に生まれた彼は、二十年ほど前、家族に無理やり軍隊へと入隊させられた。
家が貧しく、彼をやしなう金が無かったからだ。
ちょうどその頃、ブルトーギュが王位につき、周辺諸国への侵略戦争が始まる。
カロンは前線で戦い続け、敵兵をひたすら殺し、武功を上げて出世し続けて。
いつしか小さな王国は強大な軍事国家となり、そしてカロンも少将へと出世していた。
大国となった後も、デルティラード王国は前進をやめない。
今や魔族領をも飲み込もうと、さらなる侵略戦争を仕掛けている。
しかし、カロンは前進をやめてしまった。
少将という今の地位に、満足したのだ。
一生遊んで暮らせるほどの金と、大きな邸宅を手に入れた彼は、自己保身にのみ力を使うようになった。
かつて最前線で活躍した英雄は、もはや見る影もなく。
「遅い……。ガラレのヤツ、遅すぎるぞ……」
今は屋敷の自室にて、ふかふかの豪華なイスに腰掛けながら、イラついた様子を見せていた。
「まさか、ただの小娘一匹殺すのに失敗したんじゃないだろうな……。明日には登城だぞ……! 王にどう説明したらいいんだ……!」
王直々の命令である、勇者殺し。
カロンに命じた理由はもちろん、歴戦の勇士である彼を信頼しているから。
そしてもう一つ、絶対に外せない用事があったから。
(あの娘を確保出来た今、王に献上さえすれば、私の地位も安泰……)
その用事は、無事にすませられた。
これに比べたら、勇者の小娘など取るに足らないものだと、彼は思っていた。
しかし、カロンはことの重要性を分かっていない。
部下に任せたりせず、戦力の半分を連れて帰ったりせず、全力を上げて殺しにいくべきだった。
獅子のように全力を尽くして、うさぎを狩るべきだったのだ。
この選択ミスが自分の人生を終わらせることになったと、この後カロンは思い知る。
○○○
私は、箱の中にいる。
ゴトゴト揺れる荷台に乗った、ワインの入ったとっても大きな木箱の底のさらに底。
二重底になった、狭い狭い空間の中だ。
「よし、異常なし。通っていいぞ」
「へへ、毎度あり」
ただでさえ狭いのに、ジョアナさんも一緒でさらに狭い。
彼女も屋敷に用があるから、仕方ないんだけど。
レジスタンスのメンバーにはそれぞれ、当たり前だけど表向きの職業があるんだって。
その中の一人、酒屋さんを営んでいるメンバーは、長い時間をかけて信用を得て、スクトゥス邸のお得意さんになったわけだ。
そして今、ワインの木箱に私たち二人を隠して、屋敷の中に送り込んだ。
この作戦、あの後酒屋さんに連れてかれて、説明されてビックリしたけどさ。
ついでに私のケガ、かなり丁寧に治療してくれて助かったよ。
こうして私たちは、無事に潜入成功。
とてもスマートとは言えない、狭くて息苦しくて、うつ伏せに潰れたカエルみたいな体勢だけどね。
「このまま夜まで、隠れてやり過ごすわよ。行動はそれから」
「……このまま? あんたと二人で?」
「そんな顔しないの。スマイルスマイル」
……ま、カロン殺せるならこのくらい、どうってことないけどさ。
今はたしか、夕方くらいだっけ。
もうずっと寝てないし、本当は寝たいけど、まだこの人たちのことは信用できてない。
こんな体勢でも、触ればいつでも殺せるから、この作戦に応じたんだ。
気を張って、じっと時を待つ。
「そろそろね、勇者さん」
「うん、そろそろだ」
木箱の隙間から差し込んでた光がなくなって、箱の中は真っ暗闇。
いよいよお楽しみの時間がやってきた。
二重底の隠しぶたは、内側から簡単に開くようになっている。
ジョアナさんが横側を慎重に押し込むと、木箱の下が開いて、新鮮な空気が流れ込んできた。
明かりが差し込んだりはしないけどね、夜だし、暗いし。
「もう息つまりそうだし、先出るね」
返事が来る前に、木箱の下から這い出した。
すぐに立ち上がってのびをする。
あと体もほぐす。
関節がバキバキ言った。
「どうだった? 特別便の居心地は」
「最低、二度とごめんだね」
「同感よ、気が合うじゃない」
改めて木箱を見ると、下側に狭い隙間が口を開けてる。
よくあんな場所に何時間もいたもんだよ、ホント。
証拠隠滅のために、ジョアナさんが二重底の上側を引き下げて、底側の板を取り外した。
これで酒屋さんに疑いはかからないはず。
木箱が運び込まれたのは食糧貯蔵庫。
屋敷の見取り図は貰ってあるし、頭にも叩きこんである。
ここはたしか二階の東側だ。
「さ、これから私とあなたは別行動。私は情報を、あなたはカロンの命よね」
「脱出方法は?」
「あとあと教えるわ。合流はここでしましょう」
「分かった。……これ、一本もらってくね」
木箱の中から、ワインを一本ちょうだいする。
「若いのにイケる口?」
「そんなに得意じゃないかな。コイツは私じゃなくてカロン用。お熱いのをごちそうしてやるつもり」
「あらあら、怖い怖い」
私の力のこと、全部じゃないけどジョアナさんに説明してある。
私がコイツを使って何するつもりか、想像ついたみたい。
食糧庫の扉をそっと開けて、廊下の様子をうかがう。
目的のカロンがいるのは、多分自室。
ここは二階だから、一度階段をおりないと。
廊下に使用人とかはいないみたい。
ジョアナさんがゴーサインを出して、私たちは二手に分かれた。
階段を一段飛ばしで駆け降りて、一階へ。
警備の兵士は四人、交代で二人ずつが門の前を見張ってるから、いつも二人は屋敷の中にいる。
待機所は一階だ。
(大きな音立てたら、気付かれちゃうかな)
カロンの自室とは離れてるみたいだけど、叫ばれたら聞こえちゃうかも。
……静かに殺らなきゃ。
見取り図を頼りに物置きへ。
そこから屋根の板を外し、屋根裏に上がり込む。
カロンの部屋を目指して、すこしほこりっぽいけどほふく前進だ。
(……明かり、漏れてる)
板の隙間から漏れた明かりで、屋根裏まで明るいよ。
どんだけランプとか使ってんだ、アイツ。
分かりやす過ぎる目印を頼りに、部屋の上へ。
(いた、間違いない。アイツだ)
村で虐殺を指示していた、小太りの中年。
椅子に座って、ワインを注ぎながらなんか言ってる。
「遅い……。ガラレのヤツ、遅すぎるぞ……」
ガラレ……。
あぁ、あいつか。
今ごろ野生動物か魔物のエサにでもなってるんじゃない?
「まさか、ただの小娘一匹殺すのに失敗したんじゃないだろうな……。明日には登城だぞ……! 王にどう説明したらいいんだ……!」
とじょう……。
あぁ、お城に行くんだ。
王様に、私の村を焼いて、みんなを殺して、私も殺した報告をするために。
でも、私を殺せてなくて焦ってる、と。
そんな心配しなくていいよ、だってあんた。
これから死ぬんだもん。
天井の板を、音を立てないようにそっと外す。
ここから床まで、私の身長三つ分くらいかな。
今の私なら、飛び下りても大丈夫。
床、無駄にふっかふかなじゅうたん敷いてあるから音もしないし。
「……っ」
声も音も立てないように飛び下りて、カロンの背後に着地。
素早く顔に手を回して、
「な、なんだ……っ、誰だ——もがっ」
叫ばれちゃまずいよね。
口を塞いでから、
「まずは目から」
目ん玉の水分を沸騰させて、両目を破裂させた。
「むぐぅぅぅうぅぅぅぅうぅぅうぅぅぅ……っ!!」
はい、これでもう目は見えないね。
殺しはしないよ?
聞きたいことを聞くまでは。
そして、生きてることを後悔するまでは。