50 決戦前夜
私の名前はベル。
ただの奴隷。
ペルネ姫さまとそっくりだったために、影武者として拾ってもらったただの奴隷だ。
姫の代わりがつとまるように、一から教育を受けて、字を覚えて、マナーを覚えた。
きびしい訓練だったけど、奴隷の時にくらべたらずっとマシ。
おいしい食事とあたたかいベッドがあるだけで天国だ。
こっそりと、お屋敷の奥に隠れてだけど。
自由なんてないけれど。
今はペルネ姫のフリをして、ホントの名前すら名乗らせてもらえないけれど。
それでもこうして、お城でお姫様として暮らせるなら、奴隷のころに比べたら天国だ。
「ペルネ様、イーリアです。失礼します」
「ええ、どうぞ」
お付きの騎士の声に、穏やかに返事をする。
入ってきたイーリアには、微笑みを浮かべてみせる。
今の私はペルネ。
この国の第二王女、ペルネ・ペルトラント・デルティラード。
心の底まで、完璧に演じきる。
「例の日取り、昨日ギリウス殿らが話し合いをし、いよいよ決定いたしました。明日、日が沈むと同時、です」
「そう、いよいよですか。きっと、私の兄妹たちもたくさん命を落とすのでしょうね。心が痛みます……」
こんな時、ペルネ姫ならこう言うだろうな。
窓辺に腰かけて、遠い目をしながら。
「姫様、お気持ちお察しします。ですが——」
「ええ、わかっています。これは私が進むと決めた道。どうか構わず、存分に剣を振るってください、イーリア」
なんて言って、お付きの騎士の忠誠心をくすぐるんだ。
イーリアは単純だから、すぐに乗り気になる。
「ははっ!!」
こうやって手駒のやる気を引き出して、いいように使う。
それが、姫のお仕事なんでしょ?
私はそう理解してる。
「……ところでイーリア。当日、私はなにをすればよろしいのでしょう」
「指揮はギリウス殿が取ります。ペルネ様は本陣である修練場で、ただお座りになっていてください。あとは我らが、全てを終わらせます」
「そうですか。頼みにしていますよ、イーリア」
その時、本陣にいるペルネ姫は私なのか、それとも本物なのか。
少しだけ不安になってしまうけれど。
……どっちだっていいか。
私はその時、どっちかの私を演じるだけだ。
「……ペルネ様、何か気がかりでも?」
……え?
私の演技は完璧だったはず。
完璧に笑顔を保っていたはずなのに。
こんなニブそうなヤツに、本心を見抜かれたっていうの?
「大丈夫ですよ」
手を取られて、微笑みを向けられて。
「あなたは必ず、わたしがお護りします。たとえどんなことがあろうとも、必ず護り抜く。この命に替えて」
手の甲に、口づけ。
「……護ってくださるのですね、この私を」
「ええ、必ず」
……今の私は、ペルネ姫だ。
けど、この胸の高鳴りは?
これも、ペルネ姫のものなの?
なにもわからないまま、戸惑いの中で、私はただ自らの役割を、ペルネ姫を演じ続けた。
●●●
「いよいよ、明日だね……」
「あぁ、明日だ。長かった復讐も、もう終わる」
討ち入り前夜。
俺とレイドは地下室で、城の見取り図を広げながら酒をあおる。
父さんと母さんを生きたまま焼かれたあの日から十年。
犠牲にしてきたものは多かった。
たとえばカインさん、たとえばストラだ。
「効いたんじゃないかい? 昨日のストラちゃんのアレ」
「……今さら、って感じだよ。もうずっと、アイツにレジスタンスの活動は強制してねぇ。作戦会議には参加させてるけどな」
「それも嫌なんだろ、彼女にとっては」
あぁ、違えねぇ。
一応知っておいた方がいい、そんな程度でも、アイツにはうんざりだったんだろうよ。
「小さなアイツに色々と教え込んでやったのも、全部俺のエゴだ。押しつけだ。アイツも故郷を取り戻したいに決まってるってぇな」
「僕がやる気を出したのも、キミが盛り上がった原因の一つだろうね」
確かにレイド、あの日からしばらく、お前は凄かったな。
魔法の特訓に、苦手な武術の特訓まで始めて、レジスタンス活動と修行以外の時間はずっと兵法書を読み漁っていた。
「お前の本気が伝わってきて、嬉しかったんだよ。……ストラにもそれを求めちまったのは、間違いだったな」
アイツにはアイツの望む生き方がある。
そいつをわかってやれなかった俺は、兄貴失格かもな。
「まあなんだ、全ては明日終わる。そしたらもう、ストラをレジスタンスなんて血ナマぐせぇモンに関わらずにすむ。家事でも恋でも、なんでも自由にやらせてやれる」
「キミは? キミはどうするんだい? この戦いが終わったら」
「あぁん? バカ野郎、そんなこと考えんじゃねぇよ、縁起でもねぇ」
「そうなのかい? 僕は故郷に帰って、海を見たいな。またキミと、あの海辺でのんびり釣りがしたい」
「やめろって、足下すくわれるぜ?」
酒をあおって、空になったコップをテーブルに叩き付ける。
「俺は先のことなんて考えちゃいねぇ。ただ明日のことだけを考えて、明日に全てを賭けるつもりだ。終わった後のことなんてなぁ、終わった後に考えりゃいいんだよ」
「……ははっ、キミらしいね。だが、一理ある」
レイドも酒を飲み干し、叩き付けた。
「僕も、明日に全てを賭けるとするよ。全てはキミの勝利のために」
「俺たちの勝利、だろ? 頼りにしてるぜ、相棒」
○○○
ペルネ姫、じゃなくてベルだったか、今は。
メロちゃんとすごい仲良くなって、いっしょに歌をうたってる。
ああやって見ると、ホントに普通の女の子だ。
イーリアが帰るまで、ずーっと地下室に隠れてたけど。
メロちゃんと遊ぶ姿がどこか幼く見えて、一つの疑問が頭に浮かんだ。
「……ねえ、ジョアナ。ペルネ姫っていくつ?」
「十三歳だけれど?」
なるほど、やっぱり私やベアトより年下か。
でも昨日出会った第十王子、私よりも年上に見えた。
第一王子のタリオなんて、享年二十後半くらいだよね、アレ。
「でも、第二王女……? 十三歳……、あれ? うぅん……」
「年齢、引っかかってるみたいね。他人に興味出てきたの、お姉さん嬉しいわ」
「うっさい。知ってんなら教えてよ」
……私、変わってきたって最近よく言われるな。
もし本当にそうなら、きっとベアトのおかげだ——じゃなくて、ベアトのせいだ。
「キリエちゃんの疑問にお答えすると、第一王女は十四歳。そして第十三王子は十五歳よ」
「明らかにおかしいよね」
「妊婦に飲ませるための薬があるのよ。胎児の性別をいじれる薬が、ね」
はぁ、大体読めた。
「まずブルトーギュが欲したのが、戦争のためのコマ。そのために戦闘力が高くなる可能性が高い男児を産ませた。で、次に政争の道具になる女児を」
「オッケー、もういいわかった。アイツがクソってことだけ理解した」
そっか。
自分の子供すら、道具としか思ってないんだ。
ますます殺さなきゃ。
びっくりするほど普通に過ごして、もう寝る時間。
いよいよ明日だってのに、眠れないみたいな感じも別になくて、気持ちは落ち着いてる。
ストラがいつも通りだったおかげかな。
いつも通りのおいしい料理に、リーダーへのお説教。
帰ってきたって感じがして、なんか落ち着いた。
コンコン。
「……ん、誰?」
「……っ」
ノックに返事を返しても、応答がない。
ってことはベアトだな。
今日もいっしょに寝に来たのか。
「入っていいよ」
「……っ!」
許可を出すと、パジャマ姿のベアトが枕をかかえて入ってきた。
この子もいつも通りだな。
「……」
……と、思ったけど、なんか不安そうな顔をしてる。
ベッドに枕を置いたあと、羊皮紙を広げて筆をサラサラ。
何か話があるみたいだ。
『あした、なんですね』
「そうだよ、明日。明日で全部終わらせる」
『ぜったいに、ぶじでかえってきてください』
「死ぬつもりはないよ。無茶もしないし、一人で突っ走ったりもしない」
『ぜったいにぜったいに、ですよ』
「だいじょうぶだって——おっと」
勢いよく抱きつかれて、そのままベッドの上にいっしょに転がった。
押し倒されたみたいな姿勢だな、これ。
全体重かけて乗っかられて、胸に頭を乗せられてるけど、全然重くない。
「もう、急に抱きついたら危ないじゃん……」
「……っ!」
ベアト、小さく震えてる?
どうしたんだろ。
「……もしかして、不安なの? 私が帰ってこないんじゃないか、とか」
「……」
うなずいた。
胸に顔をうずめたまま。
そっか。
今度も不安にさせちゃってたか。
……やっぱり、ベアトが辛そうにしてるのは嫌だ。
この子には笑っていてほしい。
どうしたら不安、和らぐかな。
ちょっと考えて、思いついた。
「……じゃあさ、この髪飾り、持っててよ」
「……?」
ずっといっしょだった、翼の髪飾り。
クレアが私にくれた誕生日プレゼント。
私の、一番大事な宝物を取り外す。
「これね、妹の形見なんだ」
「!!?」
「ベアトに預けておくね」
びっくりしてるベアトの前髪に付けてあげた。
お、案外似合ってるな。
「……っ、……っ!!」
頭をぶんぶん左右にふってる。
こんな大事なもの受け取れませんって言ってるんだろうな、きっと。
「あげるワケじゃないよ。ただ、持っててもらうだけだから。それを返してもらうために、私は絶対ベアトのところに帰ってくる。口約束よりも、ずっと信用できるでしょ?」
クレアを連れていけないのは残念だけど、戦いが激し過ぎて壊れちゃったら嫌だし。
ベアトに持ってもらっていた方が、私も安心だ。
「……、っ」
少し考えたあと、うなずいて、また抱きついてきた。
ナットクしてくれたみたい。
「うん、じゃあ寝ようか」
「……っ」
コクリとうなずいて、私の上から下りて、頭をぎゅっと抱きしめられる。
「おやすみ、ベアト」
「……」
ベアトの温もりと匂いに包まれてると、やっぱり安心する。
認めたくないけど、私、この子がいないとダメなのかな。
すぐに頭の上から寝息が聞こえてきて、私の意識もすぐに夢の中へと落ちていった。
その日見た夢には、母さんとクレアが出てきてくれた。
三人で過ごす、とても幸せな夢。
美味しい料理を食べて、母さんの仕事や家事を手伝って、いつもありがとうってお礼を言うの。
クレアには髪飾りありがとうって伝えて、いっしょにたくさん遊んであげた。
けど、最後に私は二人に送り出されて家を出る。
いつの間にか、右の腰にソードブレイカーを下げていて。
手をふる二人に見送られて、私は行くんだ。
振り返らずに王都ディーテへ、ブルトーギュの城に向かって。