41 追憶 スティージュの落日 前編
キリエちゃんたちが、ジョアナが、王都を旅立ってからもうじき1ヶ月が経つ。
もし無事なら、そろそろ戻ってきてもいい頃だが。
「ちょっと兄貴! むずかしい顔でうなってないで、家事とか手伝ってよ!」
「俺がやると、かえって仕事が増えるぜ……?」
「ウザ」
気取ってみたら豚を見るような目をむけられちまった。
ストラのヤツ、昔は『お兄ちゃん大好き!』とか言ってくれたんだがな……。
「お前もレジスタンスのこと、全然手伝わねぇだろ。お互いさまだ」
「はいはい、ヘリクツこねんなっての。はぁ、女の子はベルちゃんだけ。大兄貴もよく来るから、男ばっかでむさくるしい。キリエたち早く帰ってこないかなー」
俺としては、女の子だらけの空間のが居心地悪りぃよ……。
俺らは今、レイドの道具屋で厄介になっている。
もう一人の居候も含めて、人前には顔を出せねえから、地下と居住スペースを行ったりきたりの生活だ。
陽の光、ずっと浴びてねぇな……。
俺はなにもしない置物状態、『お姫様』もほとんど地下に引っ込んでるが、ストラは積極的に家事や料理をしてくれている。
レイドのヤツも助かってるみてぇだ。
あれでストラ、腕っぷしもかなりのモンだから、レジスタンスの戦力になってもらいてぇんだが。
(スティージュが滅んだの、今から10年も前だからな……。アイツが物心ついたばかりの頃だ)
10年前、俺が16歳で兄貴が22歳。
そしてストラは4歳。
記憶も思い入れもない、アイツにとってはこの戦いも他人事なんだろう。
あの頃は、兄貴やカインさんに稽古をつけてもらって、毎日汗水流したな……。
そう、あれは暑い夏の日だった。
稽古を終えた俺は、レイドと一緒に海へ行って……。
「バルジ、またぼんやりとして。作戦でも練っているのかい?」
昔の記憶を掘り起こし始めた時、レイドの声が俺を現実に呼び戻した。
「おう、レイド。店はいいのか」
「休憩さ。それで、今度はどんな作戦を?」
二十年来の親友が、俺の向かいに座る。
薄緑色の髪も、メガネも、子どものころからずっとそのままだ。
「ちげぇよ、昔を思い出してただけさ。……スティージュが滅びの道を歩みはじめた、あの日をな」
「……あぁ、確か海からの帰りだったね。デルティラード王国からの宣戦布告を受けたのは」
変わらないモノもあれば、変わっていっちまうモノもある。
あの海岸の風景は、きっと今もそのままだ。
だが、俺の故郷の海辺の小国は、今はもうどこにもねぇ。
全てを失った、ってワケじゃない分、キリエちゃんよりはマシかもな。
だが、確かに俺はあの日あの時、絶望のどん底に叩き込まれた。
絶対にブルトーギュを殺して、故郷を取り戻すと、あの日心に誓ったんだ。
●●●
スティージュ王国は、大陸東側の海岸に面した、小さな国だった。
どこかのんびりとした時間が流れる、おおらかな国だったな。
貴族の息子が海辺で遊んでても、誰も気にしないような。
その日俺は、親友のレイドと海へ釣りに出かけていた。
レイドはリターナー家に仕える執事長の息子で、ガキの頃から一緒に遊んでた大親友。
体を動かすことが苦手で勉強ばっかりしてる、俺とは正反対のヤツだったけど、妙に気が合ってたんだ。
たっぷりの魚を網カゴに入れて屋敷に戻った時、玄関ホールにいたのは、鎧姿の父さんと兄貴、そしてカインさん。
母さんと使用人たちが、三人を見送るところだった。
「バルジ、戻ったのね……」
俺を見た母さんの顔は、ひどくあせって、追い詰められていた。
あんな顔、初めて見たってくらいに。
父さんは落ち着いてたけど、その時にはもう覚悟、決まってたんだろうな。
「バルジ、レイドも、落ち着いて聞いてくれ。デルティラード王国が、スティージュに攻めてきた。宣戦布告もなしに、突然にな」
父さんの説明にも、その時の俺は大変なことが起きたぐらいにしか思わなかった。
今にして思えば、ブルトーギュがどれだけメチャクチャなことをしでかしたか理解できる。
あの野郎、攻めかかる口実作りすら面倒だったのかよ。
戦争は外交の一手段に過ぎねぇだろうがよ。
レイドは俺と違って、ことの重大さがわかったんだろうな。
青ざめた顔で、執事長の親父さんに話を聞いていた。
「私たちはこれから、兵を率いて最前線に向かう。敵は大軍、だがやるだけやってみるつもりだ」
当時すでに、デルティラード王国は諸国の半分ほどを飲み込んだ大勢力になっていた。
小国のスティージュに、勝ち目がないほどに。
それでも、父さんは不安な様子を少しも見せず、戦場に向かったんだ。
俺の頭をポン、と一度たたいて、
「ストラを頼んだぞ」
まだ四歳のストラを俺にたくして、兄貴たちといっしょに屋敷を出ていった。
その時見た背中が、最後に見た元気な父さんの姿だ。
それから一ヶ月。
スティージュの軍は、土魔法で築いた三つの城で防衛線を張り、なんとか持ちこたえていた。
三ヶ所で連携し、一つが襲撃されれば隣の城が出撃して挟み打ちにする。
そんな策だ。
幸いと言っていいのか、ブルトーギュは同時に複数の国を攻めていて、スティージュに回された兵力はこちらの三倍程度。
城を落とすには、敵の三倍の兵力が必要だと言われている。
三つ同時に攻めるには、戦力が足りないからな。
デルティラード軍も手を焼いたらしい。
……だが、持ちこたえたとしてどうなる。
ブルトーギュが諸国に兵を送り込んでるってことは、近場の国は自分のことで手いっぱい。
他国に救援を送る余裕なんてあるはずもなく、スティージュは孤立。
持ちこたえても、援軍が来ないんじゃぁどうしようもねぇ。
兵たちの士気は、日に日に失われていった。
そして、ついにやってきたその日。
ぶあつい雲から雨が落ちる昼下がり。
俺は自分の部屋でレイドと一緒に地図を広げていた。
「なあ、レイド。お前頭いいんだからさ、なんか思いつかねえのか?」
「なんかって? 具体的に話してくれよ……」
「戦局をくつがえすような、あっと驚く策ってヤツだよ」
「僕なんかが思いつく策なら、もっと賢い誰かがとっくに思いついてるさ……」
「そ、そうか……? お前ならって、思ったんだけどな……」
今思えば相当まいってたな、レイドのヤツ。
当たり前か、アイツはわかってたんだ。
スティージュはもう、詰んでんだって。
空だけじゃなく部屋の中まで、その上俺らまで暗くなりはじめた時、部屋の扉が勢いよく開けられた。
顔色変えて飛びこんできたのは執事長、レイドの親父さんだ。
「た、大変です……、防衛線が崩壊しました……! ブルトーギュの軍が攻めてきます……!」
雨の中、俺はストラを抱きかかえて、レイドと親父さんと一緒に屋敷を飛び出した。
親父さんが言うには、ブルトーギュは見せしめのために滅ぼした国の貴族を捕まえて、国民の前で残虐な処刑を行うらしい。
王族だったら反発がデカイから貴族を使うってか。
マジで胸くそ悪りぃ野郎だ。
もし捕まったら殺される。
だから俺たちは必死に逃げた。
その時は、前線で戦ってた父さんや兄貴、カインさんや、朝から城に呼び出されてた母さんの心配なんて、する余裕もなかった。
死にたくない、ただその一心で、生きるために必死に逃げるだけだった。
俺たちは近くの山にのぼって、身を隠した。
そのうち、スティージュの街がある方から煙がのぼり始めて、敵軍が来たことがわかった。
「にいたん、おうちは? おうちにかえりたい……」
「ごめんな、ストラ。家に帰るの、ちょっと我慢しような」
「やだ、やだぁ、ふぇぇ……っ」
ぐずるストラに、そんな言葉しかかけてやれなかったな。
隠れてじっとしているうちに、首都の方がどうなってるのか、あちこちの村は、王様たちはどうなった、そんな心配をする余裕も出てきた。
考えれば考えるほど不安が増していって、俺はレイドを頼った。
頼りにしてる親友に、頼っちまった。
「なぁ、レイド。俺たち、これからどうすれば——」
「僕に聞くなよ! わかるわけないだろ!!」
あんな風に怒鳴ったレイドを見たのは、あれが最初で最後だ。
それ以上、俺は何も言えず。
びっくりして泣きだしたストラをあやしながら、俺たちはあてもなく歩き始めた。
それからどのくらいたったっけか。
一日だったような気もするし、三日だったようにも、一週間だったようにも思える。
とにかく、俺たちは国境をめざして歩きつづけて、その果てに。
「いたぞ、あそこだ!」
「逃がすな!」
十人くらいの敵兵に見つかった。
槍を持って、俺たちを殺そうとしてくる相手から必死に逃げる。
カインさんや兄貴に教えてもらった武術なんて、頭から消し飛ぶくらいの恐怖。
生まれてはじめて味わう、死の実感。
なさけねぇ話だが、マジでションベンチビりそうだった。
「こっちだ、回り込め!」
その時、別働隊に指示を出したんだろうな。
槍をもったヤツらが、俺たちの進行方向に回り込んだ。
引き返そうとしたら、後ろからは新しく弓を持ったヤツらが来てて、弓を射ってきた。
十本以上の矢の雨が降ってきて、死んだと思ったその時。
ドスドスドスッ!
「と、父さんっ!?」
レイドの親父さんが、かばってくれた。
俺たち三人を、全身で矢を受けて、かばってくれたんだ。
「バルジ様、ストラ様……、レイド……っ、逃げ……っ」
「う、うあああぁぁぁぁっ!! わああぁぁぁあぁぁぁっ!! 父さん、父さんっ!!!」
レイドが叫ぶ中、俺は何もできなかった。
ただぼんやりと立ちつくしたまま、親父さんが倒れて動かなくなるのを見てることしかできなかった。