40 知りたいと思ったのは、特別だからじゃない
暖かい。
体が暖かさにつつまれて、暗い底から引き上げられるように、私は意識を取り戻した。
「ん……、ここは……?」
重いまぶたを開けると、テントの中。
ベアトが私を心配そうに覗きこんでる。
「……っ!!」
「ベアト……?」
あ、私ほとんど裸だ。
タリオとの戦いで、全身ズタボロになったからね。
服もボロボロで血まみれだったし、そりゃ脱がすでしょうね。
「私、どのくらい寝てた?」
「……っ」
羊皮紙を取り出したベアトが、筆を走らせる。
私の傷、ふさがってるのは肩と太ももの大ケガくらい、か。
あちこちのアザとか切り傷はまだ残ってるし、体中に血もべったりだ。
そんなに時間、たってなさそうな感じかな。
『一じかんくらいです。もとのどうくつからすこしはなれて、ちがうどうくつにかくれてます』
「そっか……」
ベアト、目に涙がたまってる。
心配かけちゃったな、悲しませちゃったな。
私がケガして倒れたせいかな。
それとも、タリオを目の前でむごたらしく殺したからかな。
嫌だな、ベアトには笑っていてほしいのに。
『ジョアナさんが、キリエさんをせおってはこんでくれました』
「じゃあ、あとでお礼言わなきゃね……」
「……っ!!」
起き上がろうとしたら、すごい勢いで止められた。
大人しく寝ててくださいって言ってるのかな。
あ、ちょっと怒ってる?
『おとなしくねててください!』
合ってた、なんか嬉しいかも。
「ごめん……、大人しくしてる……」
「……っ」
うなずいた後、またヒールをかけはじめる。
ていねいに傷口をふさいで、濡らしたタオルで体についた血をふいて。
たっぷりと時間をかけて、私のために必死に治療してくれてる。
(この子、どうしてこんなに私のこと……)
思えば私、この子のことなんにも知らない。
私に懐いてくる理由も、どこから来た、何者なのかすら。
ベアトって名前だって、本物かわかんないし。
(知りたいな、もっとベアトのこと)
たしか、パラディから逃げてきた、んだよね。
ベアトの素性、どうでもいいなんて思ってたけど、やっぱり気になる。
こんなことを思い始めてる自分に、すこし戸惑うけど。
(……ちがう。これは単なる好奇心。ベアトが特別な存在だとか、そういうのとは関係なくて。そう、もし厄介な事情だったら巻き込まれたくないから、先に聞いておくだけ)
うん、つまりそういうことだ。
そういうことにしておいてほしい。
ベアトのおかげで、傷口は全部ふさがった。
今はすわった私の背中を、濡れタオルでふいてくれてる。
ヒールをかけ終わったのなら、聞いても問題ないよね。
もう集中しなくていいし。
「……ねえ、ベアト。聞いてもいいかな」
「……?」
「ベアトってさ、パラディから来たんだよね。逃げてきたの?」
「!!?」
あ、タオルを落とした。
そりゃびっくりするよね。
『どうしてしってるんですか』
「リキーノが言ってたんだ。ベアトはパラディから逃げてきた、この戦争の戦局を左右するほどの存在だって」
「……っ、…………」
私に興味持たれたって思ったのかな、嬉しそうな顔してる。
かと思ったら、困ったような顔で頭をぐるぐる回して、何度も首をかしげて。
コロコロ変わる表情。
やっぱり私とは正反対だな、この子。
『ききたいですか? わたしのこと、きになるんですか?』
「気になるって言うか……。うん、気になる。ベアトのこと、知りたいな」
「……っ!!」
今度は顔が真っ赤になった。
沸騰したお湯浴びせられたみたいに真っ赤。
それからまたしばらく悩んで、悩んで、何度も首をひねったあと、
『わかりました。わたしのこと、おしえます』
少しだけ不安そうだけど、決心がついたみたい。
何枚も紙を出して、ペンで色々と書いていく。
長い話になりそうだから、あらかじめ用意してくれてるのかな。
書き終わると、紙の一つを立てて。
『わたしはどれいではありません。わたしのなまえはベアト・ティナリー。エンピレオの聖女、リーチェのふたごの妹です』
……えっと。
まず、奴隷じゃないのは気付いてた。
それは最初っから。
でも、パラディのトップの、双子の妹?
ちょっといきなりスケールが大きくて、理解がおいつかない。
『びっくりしました?』
そんな紙まで用意してたのか。
わざわざ取りやすいところに置いてあったし、使う気満々だったんだな。
ベアトの表情は、ちょっと不安そう。
「びっくりするよ、そりゃ。そんな立場なら、どうして逃げてきたのさ」
なんかもう、この時点で面倒事のニオイがすごい。
聞かなきゃよかったヤツか、これ。
『ごめんなさい、教団のヒミツにかかわることなので、おしえられません』
そこはボカすんだ。
知っちゃいけない秘密があるんだろうな。
聖女リーチェって有名人だけど、一度も公の場に姿を見せたことないって聞いたことある。
だから、ベアトも堂々と歩けてたんだ。
双子ってことは、リーチェもベアトとうり二つなんだろうし。
「でもさ、わざわざ命がけで逃げてきてるようなことなんだよね……?」
ヤバいんじゃないの?
ヘタしたらパラディ敵に回すんじゃないの?
『しんぱいしなくてもへいきです。ジョアナさんがいてくれるから』
「ジョアナ? なんでジョアナ?」
『あのひとは、パラディのひとです。わたしのしらないひとでしたけど、たしかです』
え、ジョアナってパラディの人間なの?
またビックリなんだけど。
『びっくりしました?』
したよ。
二度目の出番だよ、その紙。
『さっき、ここまでくるあいだに、おしえてもらいました』
「それまでは正体知らなかった、と」
なるほど。
カロンの屋敷でのジョアナの行動、納得がいった。
妙だと思ってたんだよね、知れば知るほど、アイツがあんなドジ踏むなんて。
『ジョアナさんがパラディにはなしをつけてくれたので、もうだいじょうぶなんです』
「本当に? ならいいんだけど」
『だいじょうぶなんです』
あ、紙を折って最後の方だけ使い回した。
「で、カロンとリキーノが狙ってたのはどういうわけ?」
『カロンは、わたしがパラディをにげたことをしって、つかまえて利ようしようとしたんです』
利用かぁ。
あのゴミクズが思いつきそうなことだな。
『わたしをつかまえて、パラディにひきわたすかわりに、軍を出させるこうしょうざいりょうにするつもりだったんです』
なるほど、パラディの大兵力が王国に加勢すれば、確かに戦局が左右される。
私を殺して新しく勇者を生み出すよりも、ベアトを人質に取るほうが、よっぽど国のためになりそうだ。
ヘドが出る発想だけど。
「事情はだいたいわかったよ。でもさ、結局私にすっごく良くしてくれるのはどういうワケ? そこだけ全然わかんない」
「……っ、…………っ」
また顔を赤くして、黙っちゃった。
いや、最初からしゃべってはいないんだけど。
「……っ!」
と思ってたら、背中から抱きつかれて、お腹に腕を回された。
ちょ、私いま、上半身裸……!
……あれ、手に羊皮紙持って、私に見えるように広げてる?
『キリエさんといっしょにいるのは、ただのわたしのわがままです。めいわくならはなれます。でも、めいわくじゃなかったら』
そこで、文章は途切れてる。
続き、書けなかったのかな。
断られたら、迷惑だって言われたらって思うと、怖かったのかな。
「……いいよ、別に。そばにいるだけなら」
「……っ!」
「……タオルちょうだい。前はさすがに、自分でふくよ」
濡れタオルを渡されてから、しっかりと血をぬぐって、新しい服に着替えた。
ベアトは寝息をたてて、すやすやと寝ちゃってる。
魔力の使いすぎか、それとも疲れたのかはわかんないけど。
きっと両方かな。
「お疲れさま。ありがとね、ベアト」
「……っ」
頭をなでてあげたら、眠りながらだけど、幸せそうに笑ってくれた。
この子の素性、ちょっと予想外すぎたな。
あんなやせ細ってボロボロになるくらい、長い道のりを一人で逃げてきたんだよね。
一体なにをされそうになったんだ?
「ねえジョアナ、あんたならベアトが逃げてきた理由、知ってるんでしょ」
「あれ? 私がいるっていつから気付いてた?」
「さっきから。入ってきたら? 立ち聞きとか趣味悪いよ」
テントの入り口辺りで、ずっと聞き耳立ててたの知ってたからな。
入ってきたジョアナ、盗み聞きがバレたからか、さすがに気まずそうだ。
「まずさ、カロンの屋敷の時。ベアト助けるために、私をあの部屋に誘導したでしょ。わざと兵士に見つかったのは、自然な流れで脱出経路をあの部屋一択にするため」
「はい、正解。よくわかったわね」
「わかるよ、今なら。ジョアナの抜け目のなさとか考えると、あんなマヌケなやらかし不自然だって」
時間を重ねて、信頼したからこそわかる不自然さ。
初対面同然のあの頃は、べつになんとも思わなかったんだけど。
「キリエちゃんにほめられるなんて、天変地異の前触れかしら?」
「茶化すなってば。……これだけは聞きたいんだ。ベアトはもう、安全なの?」
「ええ、安全よ。話はつけたから。状況が大きく変わらない限りは、ね」
なんだよ、その思わせぶりなセリフ。
状況が変わったら、また危ないってのか。
「もしも、状況が変わったら。キリエちゃんはどうする?」
「変わったら……」
やっぱり、変わったら危ないのか。
……ジョアナが聞いているのはきっと、ベアトのために、全てを捨てて戦えるのかってことだ。
パラディを敵に回して、ベアト一人のために。
「そんなの……」
決まってる。
ベアトのために、命なんて賭ける理由がない。
私の目的は復讐だ。
ブルトーギュさえ殺せれば、あとの事はどうだっていいんだ。
……なのに。
ジョアナの問いに何も返事をかえせなかったのは、どうしてなんだろう。