351 不要な存在
ぐつぐつ、こぽこぽ。
肉を泡立たせながら、根本のあたりをゆっくりと広がっていく私の【沸騰】。
それでもあと一押し、不死身の怪物を倒すには足りない。
最後のトドメの、その一押しをするために、
「リミッター、解除」
カチッ。
私は地を蹴り、走り出す。
標的は、見上げるほどに高くそびえるエンピレオの花弁の部分。
きっとあそこが中核、ヤツの本体と言ってもいい場所だ。
あそこにキツイ一発を叩き込めば、トドメを刺せるはず。
『たべっ、たべるっ、たましい』
花弁についた巨大な口が歯をガチガチと鳴らす。
直後、私のまわりを取り囲むように地面から無数の触手が生えてきた。
ざっと数百本ってとこかな。
触手についた大量の口がガパっと開き、真っ赤な魔力の光線が私に目がけて撃ち出された。
とうとう私の肉を喰うことをあきらめたのか。
さっさと消し飛ばして、せめて魂だけでも喰らってやる、そんな必死さを感じるよ。
よっぽど追い詰められてるみたいだね。
でも、この程度じゃ足止めすらできないよ。
体にまとった魂豪炎身の練氣の鎧は、そんな攻撃を通さない。
光線の中を強引に突っ切って包囲の外に飛び出すと、ステップしながらくるりと反転。
「練氣・飛連刃!!」
剣にまとった氣の刃を連続で飛ばして、全ての触手を斬り飛ばす。
当然、練氣には魔力の方もミックス済み。
切り口から沸騰が広がって、残った側も破裂していった。
『あぁぁあ゛ァァァ゛ァァァ゛ああ゛ぁっ!! キリエ゛ちゃん、止ま゛りな゛さい゛ッ!! 止ま゛れ゛ェェェッ!!!』
「誰が止まるか、バーカ」
のどが枯れそうなほどの絶叫を上げるジョアナ。
今からそんな調子だと、エンピレオを殺した時の反応が楽しみだよ。
『たべ、ごろっ、ころしっ』
触手の包囲を突破した私に、エンピレオは数万本の触手をもたげて魔力光線を一斉に発射。
さっきとは比べものにならない数の破壊光線が、雨みたいに降りそそいだ。
エンピレオは本能だけで生きている怪物だ。
とうとうヤツの食欲を、生存本能が上回ったみたいだね。
「くっ……!」
さすがにこの密度、回避しながら進まなきゃ。
攻撃に当たれば当たるほど、防御のために練氣が使われる。
そのぶんだけ制限時間も短くなって、さっきみたいになっちゃうから。
ステップして、転がって、ジャンプして。
光線を避けながら、触手や幹を足場にして上へと登っていく。
『やめろ゛ぉぉっ!! くる゛な゛、来るな゛ぁァァァァァァッッ!!!』
ジョアナの絶叫は、もう悲鳴に近かった。
さすがのヤツも万事休す、悪知恵働かす余裕すらないみたいだ。
『……っ、あはっ、あはははっ! こ、こうなったらっ、あのガーゴイルを撃ち落としてやるわっ!!』
「……は?」
と思ったら。
震えた声でなにを言い出すんだ、コイツ。
『そ、そうよっ、ベアトちゃんさえ殺せば、キリエちゃんは戦意喪失……っ! まだ勝ち目は……』
いやいや、どう考えても苦しまぎれでしょ。
そもそもエンピレオ、私にしか興味ない。
さっきから撃ってくる大量の光線、ものすごく正確に私を狙ってるから、流れ弾の可能性すらゼロだぞ?
ジョアナの意志で攻撃するんだって、力をふり絞っての一度きりだとか言ってたし。
『苦しまぎれ、とか思ってるんでしょぉぉぉ? ざんねぇぇぇぇぇん!!』
私を狙い撃っていた大量の触手、そのうちの一つが攻撃をやめた。
その触手の先端にある口が変形、ジョアナの顔へと変貌する。
『さっきのお城への攻撃、じつは時間が経てばもう一度使えるのよぉぉ! 切り札は最後まで取っておくものぉぉぉっ!!』
本体から生えたジョアナが高笑いして、触手のジョアナが大きく口を開く。
狙いは少し離れた場所を飛んでるガーゴイル。
喉奥に魔力光がチャージされていって……。
「……二度も撃たせると思ってる?」
ズバァッ!
って、撃たせるわけないよね。
多少ムリして光線を突っ切って、ジョアナ触手へ一直線にジャンプ。
一振りで斬り飛ばしてやった。
『っばあぁぁぁぁぁっ!! まだまだ! 何度でも、何度でも――』
スパァァッ!
「だからムダだって」
別の触手に顔が生えた瞬間、今度は飛刃で斬り飛ばす。
いい加減諦めてくれると助かるんだけど。
『っぶぁぁぁ!! 何度でも、力尽きるまでぇぇぇぇ――ぇ゛ぇ゛?』
また別の触手にジョアナの顔が生えたと思ったら。
魔力を溜め始めた瞬間に、困惑の声とともにどろりと溶けてなくなった。
いったいなにが起きたんだ?
『な、なぜっ! どうして私の力が――』
ずるり。
『あぇ?』
今度ははるか上、花弁の下から生えているジョアナの本体に異変が起きる。
飛び出ていた上半身がバランスを崩して下をむき、埋もれていた下半身が露出。
まるで中から押し出されるように――っていうか、実際に押し出されてる……?
『えっ、ちょっ、嫌っ、待ってっ! どうして、どうして私を拒むの、どうしてぇぇっ!!?」
とうとう足のさきっぽで肉の筋一本とつながってるだけの状態になった。
手をバタバタさせて、必死にエンピレオへ訴えるけど、そんなジョアナを突き放すように。
ブチッ。
最後の肉の筋が切れて、ジョアナの体は真っ逆さまに落下していった。
「なんでぇぇぇぇぇぇっ!! なんで私を捨てるのぉぉぉぉッ!! あんなに、あんなに尽くしてきたのにぃぃぃぃっ!!!!!」
『縺溘∋縺溘> 譟斐i縺九>閧 縺溘∪縺励>』
さっきまで人間の言葉をつぶやいていたエンピレオが、意味不明な鳴き声を放つ。
……そっか、わかったかも。
どうしてエンピレオがジョアナを取り込んだのか。
エンピレオは本能だけで動く存在。
魔物と勇者のシステムを生み出したのも、きっと以前の星で命を脅かされるような目にあったから。
そんな経験から、生存本能が生み出したシステムなんだろう。
ヤツに唯一欠けている要素、それが知能だ。
だからジョアナが埋められた時、神託者としてリンクしていたアイツを取り込んだ。
自分の欠点を補える、外付けの頭脳にするために。
でもジョアナは、エンピレオに命の危機が迫っているこの瞬間に、『余計な力』を使って『余計なこと』をした。
自分の命の危機に足を引っ張るマネをしたジョアナを、エンピレオは『不要な存在』だと判断した。
だから捨てたんだ。
さっきジョアナがノプトにそうしたように、今度はエンピレオがジョアナを捨てたんだ。
「いやっ、捨てないでェェェッ!! いやぁぁぁぁああぁぁぁああぁぁっ!!!!」
ジョアナが絶叫しながら真っ逆さまに落ちていく。
反対に私は、光線を避けながら触手を蹴って登っていく。
そして、エンピレオのちょうど中腹辺りで、私たちは一瞬だけすれ違った。
「……無様だね、ジョアナ。ざまーみろ」
交錯の瞬間、ほんのコンマ数秒。
聞こえるかどうかわからないけど、私の素直な気持ちを浴びせておく。
そしたらジョアナの表情が、屈辱と絶望に歪むのが見えた。
「っ、ぐっ、うぁああぁぁぁぁぁぁぁあぁぁッ!!! キリエ・ミナレットォォォォォォォォッ!!!!!」
やったね、聞こえてたみたい。
怨嗟の叫びを残しながら、遠ざかっていくジョアナの声。
見送ったりはしない。
エンピレオの花弁だけを見て登り続ける。
お前はせいぜい地を舐めながら眺めてろ。
もうすぐ訪れる、エンピレオの滅びの瞬間を。