321 大司教として、母として
王城の廊下はケガ人がゴロゴロ転がってて、まるで野戦病院みたいな有り様だ。
状況がまったく飲み込めないアタシたちの前を、包帯を抱えた白髪の子どもが走っていく。
「あ、ちょっと待て、ケルファ!」
「……ん?」
グリナさんに呼び止められて、その子ども――ケルファが足を止めた。
「……なに? 包帯届けなきゃなんだけど」
「相変わらず不愛想だな、お前……。呼び止めたのは悪かったけどさ、パラディから来たばっかのわたしたちに、この状況の説明してくれよ」
「……ま、いいよ。備蓄の包帯増やすだけだし、そんなに急ぎじゃないから」
急ぎじゃないならそんな面倒そうにするなよ……。
とにかくため息まじりに、ケルファは現在の王都の状態を教えてくれた。
不死兵が襲撃してきたこと、市民が無差別に殺傷されて、避難民を王城へかくまっていること。
キリエたちや騎士団が応戦していること。
城中でケガ人を治療して、無事な人や軽傷な人は西の抜け道から騎士団が脱出させていることまで。
「……なるほどね。トーカ、どう見る?」
「敵さん、明らかに勝負をかけてきてるね。敵は不死兵だけじゃないはず」
「わたしも同感。一刻も早く装置の完成が必要ってことだな」
事態は思った以上に深刻だ。
情報によれば、不死兵はエンピレオと同じ。
同質で真逆の波長を持った魔力がなければ完全には滅ぼせない。
もしかしたらエンピレオ本体のおでまし、なんて可能性すらある。
こりゃぐずぐずしてらんないな。
「装置の最終調整、キリエ本人が必要だったんだよな。アタシ、アイツに伝えてくる!」
きっとジョアナも来てる。
勝負を決めにきたのなら、アイツの性格から考えてキリエは自分の手で殺そうとするはず。
キリエに伝えてアイツを返り討ちにしてもらって、【風帝】持って戻ってこなきゃ。
「わたしはいったん聖地に戻るよ。一刻も早く大司教様に知らせなきゃな」
グリナさんとうなずき合って、方針を確認。
それからアタシは、オロオロしてるメロに蒼い刃『神断ち』を押しつけた。
「ちょわ、トーカ!?」
「お前はこれ持っててくれ、頼んだぞ」
「た、頼むってこんな大事なモノ……」
「お前だから頼むんだ。それ持って、安全な城の中にいてくれよ」
子ども扱いすると怒るかな、とも思いつつ、メロの頭を優しくなでる。
でもコレで納得するガラじゃないよな……。
「……っ、しょ、しょーがないですね……」
あれ、やけに素直だな。
しかも顔を赤らめて、目をそらしつつのこの反応。
メロらしくない、なんてからかいたくもなるが、せっかく大人しく聞いてくれたんだ。
ガマンガマン、と。
「ケルファはメロといっしょにいてやってくれ」
「……まぁ、いいよ」
「気をつけろよ、キリエに伝える前に死ぬんじゃないぞ」
「心配無用。グリナさんこそ連絡よろしくな。じゃ、行ってくる!」
△▽△
「大司教様。例の機能の最終調整、完了しました」
「……そう、ですか。皆さん、ご苦労様でした」
これで正真正銘、全工程が終了。
私たちが今できることはもうありません。
あとはキリエさんとリンクさせて、邪神を討ち倒すための、二千年の悲願を果たすための力を与えるだけ。
(例の機能は……、使わないことを祈るのみですね)
この装置を設計したケニーさん。
直接顔を合わせたことは数えるほどしかありませんが、彼が非常に優秀な科学者だったこと、疑いようもありません。
あまりに優秀なため、あらゆる可能性を想定したのでしょうね。
ですが、この機能だけは――。
シャッ!
研究室のドアがスライドし、続けて足早な靴音。
誰か緊急の用事でもあるのでしょうか。
装置のある部屋の奥から、入り口の方をのぞいてみます。
「あなたは……」
「……なに? 自分の娘の顔を見て、そんなに驚くものかしら」
驚くのも当然です。
あの事件以来、ずっと部屋に閉じこもりきりだったリーチェが出歩いている。
しかも突然に、研究室へ顔を出したのですから。
「リーチェ……。もう、大丈夫なの……?」
「大丈夫ってなによ。別に病気だったわけじゃないんだから――」
ぎゅっ。
「ちょっと、なにするの……!?」
「あ、ごめんなさい……」
思わず抱きしめてしまいました。
すぐにリーチェの体を離します。
フィクサーに利用されていたとはいえ、この子の犯した罪の重さは十分にわかっているつもりです。
でも、この子の母親として、喜ばずにはいられなかった。
これまで母親らしいことを何もしてあげられなかったというのに、おこがましい話ではありますが……。
「と、とにかく。これがエンピレオを倒すための魔力変換装置ね」
「えぇ、そうよ……。あなたとベアトの呪縛、じきに断ち切ってみせるわ」
「……期待はしないでおく」
リーチェの言葉がただの照れ隠しだということは、すぐにわかりました。
期待していないなら、厳重なセキュリティに守られた地下の研究フロアまでわざわざ足を運びませんもの。
この子の心境の変化、やはりベアトのおかげなのでしょうね。
どんなやり取りがあったのかまでは知りませんが、良い方向にむかってくれそうです。
シャッ!
「大司教、大変です!」
またも研究室のドアがスライドし、今度は小走りな足音が。
見ればグリナが、赤い顔をほんのり青くさせて駆け込んできました。
「どうしたのです、グリナ」
「王都が……王都ディーテが『獅子神忠』の襲撃にさらされています!」
「なんですって……!」
それはまったく想定外の報告。
研究者たちからも、ざわめきの声が上がります。
敵がこんなに早く行動を起こすだなんて……。
「敵戦力は未知数、エンピレオ本体の降臨すら考えられる状況です……!」
「……ですって。どうするつもり?」
……虎の子の変換装置が万一破壊されては、全ての希望が潰えてしまう。
しかしそれは、キリエさんが死んでしまっても同じこと。
ならば勝利の可能性が高いのは――。
「……起動実験をしていない以上、受信機と本体が離れすぎていては、出力に不安が残ります。ただちに本体を王都へ転送しましょう。皆さん、装置の移動を」
「はっ!」
私の指示で、研究員たちが装置を月明りのさす場所まで運び始めます。
あとはグリナの【月光】で、問題なく王都へ運べるはず。
「最終調整には人員も必要ですね……」
装置を起動し、魔力の波長を調整するための技術者も必要不可欠。
ならば……。
「装置の起動は私自らが行います。トマソン、ケインズ、同行をお願いできますか?」
優秀な二人の研究員にも同行を命じます。
私一人では限界がありますから。
「き、危険です、大司教!」
「そうです、自らおいでになられることは……!」
「私はこの装置の開発責任者です。最も装置に詳しい者が行くのが道理でしょう? ……皆の不安もよくわかります。ですが、万が一にも失敗は許されないのです」
私が深く頭を下げると、それ以上の反論は上がりませんでした。
大司教にこうまでさせてしまっては、この場の誰も何も言えないでしょうね……。
異論を封殺してしまったようで、少々後ろめたさも感じます。
「……では皆様、よろしく頼みます」
「ちょっと待ちなさい!」
……いえ、一人いました。
大司教に堂々と異論を唱えられる立場の者が、一人だけ。
「リーチェ……」
「勘違いしないで。別にあなたを止めたいわけじゃないわ。逆よ」
「逆……?」
「私も連れていきなさい。エンピレオとその狂信者が吠え面かくとこ、この目で見て笑ってやるわ」




