306 幕間 もうすぐ会える気がします
ギリウスがリボの村から持ち帰った、ケニーという方の研究資料。
その中からギリウスが報告してくれたのは、この王都ディーテの地下深くにエンピレオが存在するかもしれないという可能性でした。
「王都民の避難……ですか。考えるべきなのでしょうね」
女王として、デルティラードの全ての民の命をあずかる者として、あの情報が真実ならば必ずやらねばなりません。
確たる証拠があるのなら。
王都の民にはそれぞれの暮らしがある。
デルティラード王家が興ってから数百年以上、彼らはここで暮らしているのです。
確たる証拠がなければ、この王都に住む何万という民も、自ら進んで避難などしないでしょう。
「……ですが、万一手遅れになれば、民の命そのものがおびやかされる。難しいですね、ベル……」
目の前で眠る、私にうり二つな少女のほほをそっと撫で、語りかけます。
あの日、タルトゥス軍との戦に勝利した日からずっと目覚めない、私のために命を賭してくれた忠臣に。
ベッドわきのイスに座って、寝顔を見守りながら。
「いざとなれば強権を発動してでも成さねばならない。たとえ民に愚かな王と言われようとも……」
勇者様とエンピレオの戦場が、この王都となるかもしれない。
そうでなくとも、恐ろしい怪物がいつ暴れだすとも限らないのです。
「……ごめんなさい、ベル。こんな愚痴を聞かせてしまって」
……思えば影武者として女王を演じさせていた間、あなたにはとてつもない重荷を背負わせていましたね。
あなたのために私ができることは、なにもないというのに。
「あの方も、今ごろどこでどうしているのでしょう。あなたを救う手だては見つかったのでしょうか……」
私に剣をあずけ、あなたを救うために西の果てへと旅立ったあの方。
その身の無事を祈らない日はありません。
「どうかご無事で、イーリア……」
窓の外、欠けた月を見上げます。
あの方も今、同じ月を見ているのでしょうか。
月にむかって手を重ね、祈りを捧げていると……、
コンコン。
部屋のトビラがノックされる音がして、私の意識は引き戻されます。
どなたがいらしたのでしょう。
お医者様の検診の時間ではないはずなのですが。
「どなたですか?」
「あ、やっぱりココにいたんだ」
聞こえてきた声に、少しの緊張が急速に消えていきます。
代わりに胸に生まれるのは、あたたかくてやわらかい不思議な気持ち。
「……私がここだって、よくわかりましたね、ストラさん」
トビラにむけて返事を返すと、彼女が部屋へと入ってきました。
私の大好きな、ストラさんが。
「わかるよ。なにかあるとすぐベルちゃんとこ行くんだもん」
そのまま私のとなりに腰かけて、ベルに心配そうな視線をむけます。
「……目、覚める気配ナシ?」
「ええ。私にできることといえば、こうしてベルに語りかけながら、あの方の帰還を待つぐらいです」
「そっか。早く再会できるといいね。ベルちゃんにも、イーリアさんにも」
「再会……。その通りですね。こうして目の前で寝ているのに、ベルはすごく遠くにいる……」
「……あたしもさ、兄貴と本当の意味で再会できてないんじゃないかって思うんだよね」
「バルジさん、ですか……」
コクリ、ストラさんがうなずきました。
あの人は記憶を失っている身。
ストラさんとしては、思い出してほしいですよね。
「大兄貴とも、どことなくぎこちなくて。あたしの前じゃ心配させないようにってムリしてるように見えるし」
「……バルジさん、先ほど私の部屋に来ました。ギリウスと共に、報告に」
「兄貴が? 大兄貴と?」
「ギリウスは頑張っているみたいですよ。不器用ながら、バルジさんと必死に距離を詰めようとしているように見えました」
どうも無理やり引っ張られてきたようで、バルジさんは少し困っておいででしたが。
ギリウスはリボの村の調査報告、バルジさんが騎士団を率いての魔物討伐の報告と、一応それぞれに用事がありましたから、途中でバッタリ出くわしたのでしょうね。
「……そうだ、二人が退室してしばらくしてから、バルジさんのお仲間さんも訪ねてきたんです」
「仲間? ディバイって人かな」
「いいえ。グリナというオーガ族の女性でした」
「誰それ、初耳。えっ、兄貴に女ができたの!?」
「そういう関係ではなさそうでしたが……」
そっちの話題に食いつきがいいですね、ストラさん。
やはり私たちくらいの年ごろは、そんな感じが普通なのでしょうか。
私にはよくわかりません。
「彼女はバルジさんやディバイさんと共に、パラディと戦っていたようです。今は体制の一新されたパラディでシスターをやっているとか」
「へぇ、パラディのシスター。……っていうか、パラディからこっち来るの早すぎない?」
「【月光】の勇贈玉を授けられたようで。新しい大司教様に、各地への使いに任命されたそうです」
「【月光】……。あの嫌な感じの神官思い出すわ」
「ふふっ。グリナさんはとってもいい人でしたよ」
気持ちはわかりますけどね。
あの人の胸に下がった『至高天の獅子』。
その瞳にはめ込まれた黄色い玉を見て、私も少しだけ驚きました。
それと彼女、少しだけ疲れた顔をしていましたね。
どうやら【月光】は一度訪れた場所にしか飛べないので、色々な場所に研修として連れ回されたらしいです。
「で、そのシスターさんが何の用?」
「どうやら勇者様に用事があったそうなのです」
「キリエに? でもあの子……」
「えぇ、ご存じの通り勇者様は今、西の果てへ行っておられます。なので勇者様がご帰還されるまで、この王城にとどまるとのことです」
「へぇ……」
「……会いに行ってきたらどうですか? 記憶を失っている間、バルジさんが何をしていたか聞いてみるとか」
今のバルジさんについて、一つでも多くのことを知れれば、それで変わってないことを確信できれば。
そうすれば、ストラさんの気持ちも少しは軽くなるのではないでしょうか。
余計なお世話かもしれませんが、ストラさんにはいつも笑っていてほしいから。
「んー……、考えとく。それより今は、ペルネといっしょにいたいかな」
「わ、私とですか?」
「だって、あたしペルネにわざわざ会いにきたんだよ?」
そ、そうでしたね……。
どうしましょう、不意打ちで顔が赤く……。
「ん? どったの? 照れてるの?」
「ち、違いますから……! こ、ここ病室ですよ。ベルが寝ているんですから、お話したいなら私の私室へ行きましょう……?」
「うん、やったっ。ペルネの部屋、いい匂いするんだよね」
「香料なら、ストラさんが泊まってる部屋と同じもの使ってますっ」
軽くため息をつきながら立ち上がり、ベルの寝顔に目をやります。
「……ベル、おやすみなさい」
「うん、ベルちゃんおやすみ。さわがしくしてゴメンね」
また明日、のお別れを告げてから、二人で静かに部屋を出ます。
こうして何度、眠れるあなたにおやすみのあいさつをしたでしょうか。
でも、きっともう少しであなたと会える。
根拠はありませんが、なぜだかそんな予感がするんです。