302 診察
手首を斬り落とされ、万策尽きた瞬間。
ノプトはあらかじめ奥歯に仕込んでいた魔力回復薬をかみ砕き、【遠隔】のテレポートを発動。
魚人の里からはるか離れた『獅子神忠』の本拠地へと、ジョアナの反応を頼りに帰還した。
「はぁ、はぁ……っ! あ゛……っ、ごぼっ!!」
口から吐き出した大量の血が冷たい床を濡らす。
切断された両腕とつらぬかれた胸から流れ出るおびただしい血。
体の感覚が失せていき、意識も次第にぼんやりと薄らいでいく。
帰還はしたが、自分の命が長くはないことを彼女は悟っていた。
(お姉さま……、お姉さま……っ)
白いもやがかかったような頭の中に浮かぶのは、最愛のジョアナの姿。
死を避けられない状況でここまで戻ってきた理由が、彼女の存在だった。
(せめて、せめて最期に、一目だけ……っ)
ノプトは貧民の孤児だった。
残飯をあさって食いつなぎ、虫のたかったぼろ切れをまとって、その日その日をただ生きる。
そんな暗黒の日々から救ってくれたのがジョアナだった。
飢え死に寸前だった小さな自分に、優しくほほえみながら手を差し伸べるジョアナ。
二十年以上も前の出来事のはずなのに、今とまったく変わらぬ美貌を保っていた気がする。
そう、ちょうど今、目の前で自分に手を差し伸べるジョアナと、まったく変わらない――、
「……お、おね゛ぇさっ……!? げぼ、がっ!!」
走馬灯のようにめぐる思い出から、我に帰るノプト。
ジョアナの反応を頼りに戻ったにも関わらず、この時はじめて、彼女は目の前にジョアナがいることに気がついた。
「しゃべっちゃダメ、すぐにでも死んじゃうわよ?」
そっと頬をなでながら、ジョアナがほほえむ。
拾われたあの時と、まったく同じ表情で。
「おね、ぁ゛ま、もうじわ゛け……っ、さくぜ、しっぱぃ……ごっ、がっ!!」
「そうねぇ、失敗しちゃったわねぇ」
この場から動けないジョアナの代わりに、なんとしても作戦を成功させなければならなかった。
口をついて出るのは、謝罪の言葉ばかり。
しかしジョアナは、ノプトの失敗を気にもとめない様子だった。
『海神の宝珠』を手に入れられずとも、【地皇】の人工勇者を失ったとしても、大した痛手ではないかのように。
「どうする? ノプトはまだ生きたい?」
「いぎ……だ……っ、かひゅ……っ」
ノプトの呼吸が荒く、浅くなっていく。
目の焦点もブレてきていた。
「……そう、生きたいのね。じゃあもう少しだけ、私の役に立ってもらいましょうか」
ニコリ。
ほほえみを浮かべた直後、ジョアナの体はずるりと崩壊、グロテスクな蠢く肉塊へと変貌した。
そしてノプトの背中に触手の先端を突き刺し、
ドクン、ドクン。
何かを体内に注入していく。
「ぁ……? ぁ……。あ。ああ゛あ゛ああ゛ぁぁぁ゛ぁぁぁ゛ぁぁぁ!!!!!!」
絶叫を上げながら、ビクン、ビクンとノプトの体が跳ねる。
腕の切り口から肉塊が生え、腕のような形を形成していった。
「さぁ、あなたは私と同じ存在になれるかしら、それとも……。ふふっ、かるーい実験といったところね……」
〇〇〇
魚人存亡の危機から明けて一日。
今私は、ベアトが巫女様の前にちょこんと座って診察を受けているのをじっと眺めている。
なにを検査してもらってるかというと、ベアトの声が出ないことについて。
この子が生まれつき喋れないのはベルナさんからも聞いて知ってるけど、その原因がわからない。
もしかしたら治療できるかもしれないから、とりあえず診てもらってる。
……ベアトが服の前をはだけてるの、別に気になってないから。
「……わかりました」
「わかったんですか!?」
もうわかったんだ、早いな。
さすが『海神の宝珠』を持ってる巫女様。
……あ、宝珠の隠し場所だけど、実は巫女様の体の中にあるんだ。
巫女を継ぐ時、先代の巫女による手術で体の中に宝珠が埋め込まれる。
その特殊な手術のおかげで、巫女はいつでも頭の中に宝珠の情報を引き出せるってわけ。
ただし、手術によって宝珠は内臓の一部と言ってもいい状態になる。
それを抜き取ったら長くは生きられない。
巫女が受け継がれる時、それはつまり先代の巫女が死ぬ時なんだ。
……さて、そんな巫女様の宝珠知識でベアトの声は治るんだろうか。
「まず、ベアトさんの声帯に異常は見られませんでした。彼女の症状は、体の障害によるものではありません」
体に異常なし?
だったらどうして……。
「ベアトさんの中には、強力な封印術がほどこされていました。知っていますか?」
「封印……。もしかして、エンピレオとのリンクを遮断するヤツ?」
ベアトの体にそんな封印がされてたコトは知っている。
その封印を解いて聖女として覚醒させるために、リーチェやフィクサーが暗躍してたんだよね。
「強大な存在とのつながりを断つだけはあり、とても強力な封印だったようです。維持するための代償に、彼女から声を奪うほどの」
「……っ!」
はだけた服を戻しながら、ベアトがびっくりした。
そして私もびっくり。
ベアトの声が出ないのって、病気とかじゃなかったんだ。
「強力な魔術ほど、大きな代償を必要とします。その維持にも大いなる代償が必要となる。たとえば魔力、たとえば術者の命、たとえば体の一部……」
「その結界の代償は、ベアトの声だった……?」
そんな結界、誰がなんのために……。
……もしかして、死んでしまったベアトのお母さんが?
双子の子どもが生まれて、どちらも聖女として短命に終わるくらいなら、どちらか一人だけでも生き延びさせたいって。
あるいは両方救いたかったのに、こんな大魔術、ベアトにかけるだけで精一杯だったのかもしれない。
どっちにしても、ベアトが選ばれてリーチェは選ばれなかった。
私の想像でしかないけど、だとしたらベルナさんがベアトに黙っていたのもうなずける。
寿命の話がベアトにバレてしまうだけじゃなく、この子なら絶対に、自分が選ばれたせいでリーチェが歪んでしまったって、死ぬほど自分を責めるだろうから。
結局私の想像でしかないから、ベルナさんに聞いてみる他ないんだけど。
さて、巫女様の診察が終わったわけだけど、話をまとめると。
封印がジャマしてたおかげで、ベアトは喋れなかった。
封印の維持コストとして、ベアトから声を奪っていたから。
だったら……。
「……あの、巫女様。今はもうベアトの封印、無いんですよ」
「ええ、そうですね」
「それってつまり……」
コクリ、と巫女様がうなずいた。
一方ベアトは、私の言いたいことがピンときてないのか、首を軽くかしげている。
そんなベアトにもわかるように、巫女様は診断結果をはっきりと言葉にして告げる。
「ベアトさん。あなたはもう、声の出る体になっています」
「……っ!!?」