295 名前
「ウソでしょう、ウソでしょう、ウソでしょう!?」
あまり高いところは得意じゃないのに!
なにがなんだかわからないまま、突如として出現した落とし穴に落とされてしまった。
長いようで短い自由落下の果て、砂が敷きつめられたフロアが見えた。
「な、なんとか着地を……!」
足に練氣を集中。
空中で回転しつつ体勢をととのえて、砂地の上に両足で着地。
衝撃は体のバネと前転で逃がし、なんとか無傷でやりすごす。
「ふう……、死ぬかと思った……」
「ナイス着地、お見事!」
「うわっ、セリア殿!?」
すぐとなりで、にこやかな笑顔を浮かべながら拍手を送ってくれるのは、伝説の騎士勇者。
たしかトゥーリアも、セリア様がどうこうなどと言っていたな。
この人が助け舟を出してくれた……ということか?
「あ、あなたでしたか。しかしどうして、あの場からわたしを引き離すようなマネを……。正直なところ、せめて敵に一矢報いたかった。やられっぱなし、足手まといのままでは騎士として面目が立ちません」
「騎士として、か。じゃあ質問、今もっとも重要なコトってなんだと思う?」
「重要なコト……。それはもちろん、結界の封印解除を阻止することです」
そのために、我々は命をかけて敵地に乗り込んだのだ。
もちろん勇者殿にとっては、【地皇】の人工勇者を倒し、その勇贈玉を手に入れることも大切だろう。
しかし、わたしにとっては。
「大恩ある巫女様が愛する魚人の里のため、ひいては巫女様と宝珠を守るため、封印を死守することこそが最優先。そのためには、一刻も早くノプトの元へ向かわねばなりません」
「正解。目的を見失ってなくって何よりだよ」
セリア殿がうなずく。
そう、たとえトゥーリアを倒せても、結界の封印が解かれてしまえば我らの負けなのだ。
「正直なところ、トゥーリアは強い。あの子さえ倒せばこの場所は崩壊するけどさ、二人がかりでも封印開放までに倒せない可能性の方が高い。だからさ、アタシらで別ルートからノプトんとこに殴り込もうよ」
「異論はありません。しかしなぜわたしを? セリア殿単独の方が身軽では……」
「簡単なことさ。アタシが戦ってノプトを取り逃した場合、もう逆スパイじゃいられなくなるだろ? なにせアイツには【遠隔】がある。できればノプトには最後まで、アタシが裏切ってることを感付かれたくないんだ」
なるほど、わたしが戦う方が都合がいい、と。
勇者殿以外にノプトと渡り合えるだろう戦力は、あの場にわたしだけ。
そのためにこの方は、わざわざわたしを指名したのか。
「実力を高く買っていただき、光栄に存じます」
「お堅いなぁ、もっとゆるーく行こうよ。現代の騎士ってみんなこんなんなの?」
「む、昔は違ったのですか……?」
たしかにセリア殿、騎士としてはかなりユルくあられるが。
時の流れの中で、騎士たるものかくあるべきというモノが変わっていったのだろうか……。
「ま、その話は走りながら。時間が無いんだ、急ぐよ」
「え、ええ」
セリア殿に先導されて、わたしも走り出す。
道案内をしてくれるのは非常に心強い。
しかし、先ほどからの飄々とした態度。
空気を読めていないかもしれないが、気になって聞いてしまった。
「……勇者殿の心配、なさらないのですね。強敵なのでしょう?」
「……しないよ。信じるって決めたから」
「ふふっ、そうですか」
やはり無粋な質問でしたね。
そして、改めて確信が持てました。
この方もまた、信じるに値するお方だと。
「ならばわたしも与えられた役目を全うします、騎士の誇りにかけて」
「それそれ、騎士の誇り。まさに今どきの騎士ってカンジだねぇ」
……わたしの誓いがそれそれ、で片づけられましたが。
「アタシの生きてた頃はそりゃもう大変でさ。大異変からの大混乱で、世界中の人たち全員が明日の朝日を拝める保証を持たなかった。あの時代の騎士は自分が生き延びることが第一、強い者こそ正義だったのさ」
「大異変……? やはり魔物の誕生のことでしょうか……」
「いーや、もっと大変なコトが起きたんだよ。それこそ世界中が大混乱になるような、さ。あまりに酷すぎて、当時のことはまるっと全部歴史から抹消されてるみたいだけどね」
そう口にしたセリア殿は、口調こそ砕けているものの、その目はまったく笑っていない。
二千年前、いったい彼女は何を見てきたのだろう。
わたしには想像もつかないが、しかし……。
「……残っていますよ、歴史には」
「ん? 残ってないよ?」
「残っています。パラディの騎士だったあなたが勇者に選ばれ、世界中を旅して数多くの人々を救った英雄譚は、今もたしかに残っているんです。このわたしの名前にだって、しっかりと」
イーリアというわたしの名前に、この人の行いは生きている。
伝えられる伝承の数々は、この人の口ぶりからして全てが真実ではないのだろう。
それでも、混乱の中にいたという当時の人々の中で、騎士勇者セリアという人物が希望の光となっていたことだけはたしかなのだ。
「中々照れ臭いこと言うね」
己が名前がはるか未来、文化の一つにまでなっているなど、どれほど誇らしいことだろう。
わたしには想像もつかない。
だが、この話を聞かされた彼女の表情は決して晴れやかではなかった。
「……でもさ、名前の由来にまでなったアタシと顔突き合わせてるってのに、イーリアってばアタシのこと神様みたいにあつかわないんだね」
「勇者殿との一件で、あなたも一人の人間だとよくわかっていますから」
詳しい事情こそ聞かされていないが、彼女が一時道を踏み外したことは察しがつく。
いくら歴史に名を刻む偉大な人物とはいえ、この人もまた一人の人間なのだ。
「……まぁ、そうでなくとも神様扱いなどしないとは思いますが」
「だよね。やっぱソレが普通の反応か」
「……なにかあるのですか?」
この名前の話題、なぜだかセリア殿は好まれないようだ。
わたしが彼女の立場ならば、きっと誇らしく思うのだが……。
「いやね、知識としては知ってたさ。アタシの名前が名づけに使われてるの。でもね、実際に見た例がトゥーリアだけだったから……」
「あぁ……」
なるほど、それは……。
「ハッキリ言ってあの子は異常だ。アタシを尊敬してるとかそんな次元じゃない。神様だと思い込んで崇拝の対象にしてるんだ」
「崇拝……?」
「イケニエを捧げる、とか言って惨殺死体持ってきたりさ。勘弁してほしいよね」
軽く舌を出して、苦々しく顔をゆがめるセリア殿。
しかしそんな彼女の表情が、ふいに悲しげな色へと変わる。
「でも、でもさ。もしもトゥーリアが歪んでしまった理由がアタシだとしたら……」
「それは違います」
トゥーリアの生い立ちなど当然知らない。
が、セリア殿の責任でないことだけは断言できる。
「あなたにあやかって名付けられた多くの者が、自分の名前を誇りに思っていることでしょう。かく言うわたしも、その一人です」
騎士の家系に生まれた者のみならず、一般の女子にもセリアにちなんだ名前がつけられる。
彼女のように強くあれ、と。
「多くの騎士たちが、あなたの名に恥じぬ騎士であれと己を律し、強くあろうとしている。トゥーリアが歪んだというのなら、それは名前のせいじゃない。彼女自身の責任です」
「……そう、か。そうだね」
セリア殿がほんの少しだけ、口元をゆるめる。
彼女の苦悩を少しでも軽くできただろうか。
「……ね、その口ぶりなら他にも知ってんでしょ? アタシの名前にあやかった子」
「ええ。何人かは存じています。中でも魔族の将リア殿は、人格も剣の腕も一流のお方でして……」
「へぇ、一度会ってみたいもんだね」
「ははは、リア殿も驚かれると思いますよ。ですが、きっと喜ばれるでしょう」