293 天空の海底洞窟
結界を解除するため、ノプトは極度の集中状態の中にある。
かつて初代勇者が張った、まるで複雑に絡み合った糸のような魔術構成。
これを解くためには、一本一本、細い糸をほぐすような繊細な作業が必要だった。
しかしその集中力は、
ガガガガガガガガガッ!!!
激しい振動と轟音によってあえなく霧散する。
「……っ!? トゥーリア、今の振動は!」
「まずいの。迎撃を突破されたの」
「突破された……? まさか勇者に侵入を許したというの!?」
「その通り。しかも大変、上層部の海底洞窟へとダイレクト。もうすぐそこまで来ているの」
非常にマイペースな口調で報告するトゥーリア。
しかしその内容は、今回の計画を根底から覆すほどの緊急事態を意味していた。
こんなはずがない。
あまりにも的確すぎる攻撃に、ノプトの頭はパニックを起こしかける。
(どういうこと……? ここまでピンポイントに狙ってくるなんて、魔力反応を探知したとでもいうの……? ……いいえ、お姉さまならこんな程度でうろたえない。今すべきことは……っ)
今すべきことは、この状況の最善手を打つこと。
この場に来られないお姉さまの代わりに、作戦を完璧に遂行することが自分の役目。
冷静さを取り戻したノプトは、すぐさまトゥーリアに命令を下す。
「……今すぐ勇者を殺しに行きなさい。どんな手を使ってでも」
「わかったの。行ってくるの……」
ローテンションの返事を残し、トゥーリアが走り去る。
その背中を見送りながら、ノプトは【遠隔】を発動。
島のどこかで敵の侵入を待ちかまえているはずのセリアに、連絡を飛ばした。
『セリア、聞こえる? 緊急事態よ』
『お、どうかした? こっちは最下層にいるんだけど、全然敵さんの来る気配ナシだよー』
『……アテが外れたわね。勇者たちが最上層から直接侵入してきた。あなたも至急、迎撃にむかいなさい』
『はいはーい。できるだけ急いで行くねー』
……通話を終え、ノプトは軽く息を吐く。
そして、再び結界を解除するための集中状態に入った。
計画に依然問題はない。
トゥーリアとセリアの二人がかりならば、確実に勇者を殺せる。
そうでなくても、結界を解除さえしてしまえば魚人の里の住民全員を人質に取れる。
致命的な計算ミスでも無い限り、作戦は問題なく進むはず。
……そう、計算ミスでも無い限り。
〇〇〇
イーリアが開けた大穴を通って、私たちは無事内部に侵入した。
無事っていうか、間一髪で無事だったっていうべきかな。
「し、死ぬかと思いました……。色んな意味で……」
ぐちゃぐちゃになって燃え盛るボートだった残骸を青ざめた顔で眺めつつ、イーリアが震え声でつぶやく。
私たちを乗せていたボートがどうしてああなってるかっていうと。
勢いそのままに穴へと突入したボートは、浮き島の中におさまってた海底洞窟の地面に着地して、火花を立てながら猛スピードですべってカベに激突。
その寸前、間一髪で飛び降りた私たちの目の前で、大破爆発炎上したってわけ。
「まあいいじゃん。生きてるんだし、こうして目的地に来られたんだし、結果オーライ」
「よく言いますね、平然と……」
まあ最悪、あそこから落ちたとしても水龍に拾わせられるし。
そんなに深刻にならなくてもいいじゃんね。
少し落ち着いたところで、今私たちがいる場所を改めて見回してみる。
見た感じ、かなり広い洞窟だ。
壁面は濡れた黒い岩。
あちこちにサンゴやぐちょぐちょした気味悪い生き物がひっついてる。
ついさっきまで海の底だったって話、間違いなさそうだ。
イーリアが開けた穴を見上げると、ここから途中まで黒い岩が続いてて、ある地点から茶色い岩に変わってる。
黒いのが自然の岩、茶色いのがトゥーリア製ってわけだ。
自然の岩なら、ヤツの思う通りには操作できないはず。
ただ一つ、照明代わりにあちこちに置かれてるライトストーンが気になるけどね。
さて、分析はここまで。
まだブツブツ言ってるイーリアに声かけて、赤い岩を探しに行かなきゃ。
「ほら、行くよ。さっさと赤い岩見つけ出して……」
「行かせないの」
……どうやらお出迎えのようだ。
私が殺すべき標的、その片割れがさ。
「貴様……!」
「……お出ましだね」
聞き覚えのある声に、私とイーリアはすぐさま臨戦態勢を取った。
洞窟の奥から歩いてくるのは、騎士鎧に身をつつんだ金髪の女騎士トゥーリアだ。
「神様の岩のこと、巫女から聞いたのね……?」
「……ま、そんなとこ。それよりさ、私たち急いでんだよね。さっさと殺されてくれない?」
コイツを殺せば、魔力で維持されているこの島は崩壊する。
わざわざノプトを見つけなくても作戦失敗ってわけだ。
真紅の刃をさやから抜いて、左手にかまえる。
対するトゥーリアも、腰の騎士剣を引き抜いて両手ににぎった。
その体から立ち上る殺気は、私でも気圧されかねないほど。
「殺されるのはあなたたちの方なの。今日の私は殺る気満々、昨日の私とは――」
シュッ……!
一瞬でトゥーリアの姿が消える。
昨夜、最初に攻撃を仕掛けてきた時とまったく同じ、まっすぐな起動。
だけど……!
「一味違うの」
「ぐ……っ!」
そう、スピードがまったく違う。
私がギリギリ反応できるくらいの速度で、一気に私の目の前まで躍り出た。
顔面を狙って放たれる、鋭い斬り上げ。
とっさに顔を反らして、スレスレを切っ先が通りすぎ、
「とってもキレイなのね、コレ。私も欲しいの……」
私の前髪をとめている、翼の髪留めに触れた。
わずかにかすめた衝撃で髪留めが外れ、吸い込まれるようにトゥーリアの手の中へ。
「……っこの、汚い手で触れるな!!」
ベアトが作ってくれた大切な髪留めを。
許せない、殺す。
もうそれしか考えられない。
練氣・金剛力と【沸騰】の魔力を合わせた斬撃で、全力の横振りを浴びせる。
ガゴッ!!
「いたっ……」
けど、敵は脇腹を岩でおおって攻撃をガード。
衝撃で髪留めは落としたけど、すぐさま私の間合いの外へと逃げていく。
(髪留めは……!)
空中をくるくる回る髪留めが地面に落ちる前にすかさずキャッチ。
壊れてないか心配だったけど、よかった、傷もついてない……。
ホッとしつつ、さっと前髪につけ直した。
「怖いのね……。少し触っただけなのに」
「黙れ! 出ろ、水龍! アイツを喰い殺せ!!」
もう容赦しない。
まわりの被害も知るもんか。
水の中に閉じ込めてから、沸騰させてミンチにしてやる!
「…………。……え?」
ところが、水龍が出ない。
まるで【水神】をつけていないみたいに。
髪飾りを触ってみるけど、勇贈玉はついたまま。
「どういうこと……? 水球……! 水護陣……! ……出ない」
【水神】を使う技が、一つたりとも出やしない。
「これって、まさか……」
「ようやく気付いたのね。ちょっと遅いの、あくびが出るの……」
人工勇者は勇者と同じく、二つのギフトを使用できる。
アイツが使えるギフトは【地皇】と、そしてもう一つ。
たしか……。
「【施錠】の力であなたの【水神】、ロックさせてもらったの」