291 浮上
入江の中心から、大きな島が顔を出しました。
海底洞窟をまるごと包み込んだ、とってもとっても大きな土の塊です。
クイナさんの言った通り、巨大な島がゆっくりと空へ上がっていきます。
トーカさんが【機兵】で作った『モーターボート』に、魚人の丸薬が入った小袋。
キリエさんの出発準備も整いました。
【地皇】の人工勇者はとっても強いです。
ノプトっていう悪い魔族さんも、ただものじゃありません。
キリエさんが生きて帰れる保証はどこにもない。
だけど私は信じて待ちます。
治癒魔法も使えない今の私には、あの人を信じることしか出来ないから。
せめてあの人の勝利だけは疑わずにいたいんです。
「……よし、準備完了。イーリアも、準備はいい?」
「ええ……。ですが勇者殿、一つ質問をよろしいですか」
ボートに片足をかけたキリエさんを、イーリアさんが呼び止めました。
出鼻をくじかれたキリエさん、少し……いえ、かなりうっとうしそうに返事します。
「……なに」
「なぜわたしに同行を求めたのです?」
「……」
ますますうっとうしそうなキリエさん。
ですが私にはわかります。
あれでも一応、イーリアさんのこと認めているんです。
「……正直さ、私としてはベアトや巫女様守る戦力として、アンタには残っててほしいんだ」
ほら。
あの人のこと認めてなかったら、こんなこと言いませんよね。
「同感です。なればこそ、なぜかと聞いているのです」
「クイナの作戦。ここに書いてあったから」
そう言ってキリエさんが、一枚の羊皮紙をヒラヒラさせます。
クイナさんが読んでおくように言っていた、作戦が書かれた紙です。
「もちろん鵜呑みにはしてないよ。リスクとリターンを考えて、私もアンタを連れてった方がいいって判断したから」
「そういうことでしたか……。ですが、セリア殿は本当に信用できるのですか? 敵は狡猾、万が一罠だった場合ここは手薄に――」
「あの子は信じた」
キリエさん、イーリアさんの言葉を、途中でやめさせました。
強い口調でも、怒ったような感じじゃありません。
気持ちはわかる、って顔にも出てます。
「あの子は私を信じてくれて、私もあの子を信じてる。ゴメン、なんの根拠もない綺麗ごとだ。でも、今回だけはあの子を信じたい」
私も、キリエさんがこんな事言うなんて少しおどろきました。
裏切り、謀略、人間の汚い部分をたくさん見てきたキリエさん。
私以外の人には一歩引いて、見えない壁を作ってきました。
でもきっと、全てを失ってから私以外にはじめてできた信じたい人が、クイナさんなんですよね。
「私は信じた、アンタも信じて――なんて言えないか。いいよ、信用できないならついてこなくても」
「……いえ、同行させてください」
イーリアさんが軽く頭を下げて、ボートに飛び乗りました。
「わたしだって、あの方を信じたい。……それに綺麗ごとなら、わたしの方がずっと性に合ってます」
「……ありがと。さて、じゃあ今度こそ――っと、忘れてた」
ボートに足をかけて、またキリエさんが踏みとどまりました。
巫女様のところに走っていって、
「『海神の宝珠』、どこに隠してあるの? 万一の時のために聞いておかなくちゃって」
「ええ、教えると約束しましたものね。耳を貸してくださいませ」
ごにょごにょ、ごしょごしょ。
内緒の耳打ちで、キリエさんは宝珠のありかを知ったみたいです。
とってもおどろいた顔を浮かべました。
「……なるほどね、あながちウソじゃなかったわけだ」
「どうか、ご内密に」
「もちろん」
うなずいたキリエさん、今度は私の方に走ってきました。
「ベアト、行ってくるね」
「……っ」
私の頭をなでなでしながら、穏やかな表情のキリエさん。
皆さんがいるので少し恥ずかしいですが、無事に戻って来てほしい、そんな願いをこめて。
私もちょっと頑張ります。
「……っ!」
ちゅっ。
軽く背伸びして、キリエさんのほっぺに口づけです。
キリエさん、少しビックリしながらほっぺたを赤くします。
ちょっと周りもざわめきましたが気にしません。
「……勝利のおまじない?」
「……っ」
「……うん、ありがとね」
最後にまた頭をなでなでして、キリエさんがボートに飛び乗ります。
「トーカ、巫女様とベアトのこと頼んだよ!」
「あいあい、まかせとけ!」
「おいらは? おいらのことも守ってね?」
トーカさんに手をふって、エンジンをふかしてペダルを踏んで。
キリエさんとイーリアさんを乗せたボートが、波しぶきを立てながら猛スピードで水路を突っ走っていく。
その姿をじっと目に焼き付けます。
いってらっしゃい、キリエさん。
無事に帰ってきてくれるって、信じてますから。
●●●
フジツボ、サンゴ、ホヤ。
海底に生息する海洋生物や、潮溜まりに取り残された魚たち。
彼らを照らす赤い光はごくわずか。
魔物を生み出すには到底足りない。
ここは先ほどまで海底洞窟だった場所だ。
膨大な砂を生み出して一つの島を作り出し、トゥーリアは海の底深くに眠っていた『獅子の分霊』を浮上させた。
「どうなの? 封印、解けそうなの?」
赤い岩をつつむ結界を前にして、トゥーリアは問う。
膨大な魔力を持ちながらも、魔力の繊細なコントロールに関してはノプトが一枚も二枚も上手。
だからこそ、結界の解除にはノプトが適任だった。
地の人工勇者が得意とするところは、質量による圧殺と破壊である。
「三十分、ってところかしら。異変をかぎつけた勇者が来るにしても、あなたなら充分に時間を稼げるでしょう?」
「余裕なの。セリア様がいればもっと余裕なの」
「セリア、ねぇ……。いったいどこをほっつき歩いてるのかしら……」
苛立たしげにつぶやくノプト。
【遠隔】の受信拒否による、居場所特定不能状態。
セリアが復帰して以来、頻繁に起きる事象だ。
「はいはーい、アタシはここだよー」
「セリア様……!」
手をふりふりとしつつ、セリアが姿を見せた。
彼女の帰還に、ノプトは冷たい視線を返す。
「あら、お散歩は終わり? それとも花摘みだったかしら」
「乙女にはプライバシーが必要なのさ」
悪びれないセリアの不敵な笑み。
ノプトは表情をまったく変えず、結界に向き直った。
「……私はこれから結界の解除に入る。集中状態に入るから、連絡や通信は出来ないわ。そのつもりで」
「りょーかい。そいじゃアタシはさっそく警備に当たるとするよ」
言い残し、その場を去っていくセリア。
その背中を、トゥーリアがうっとりとしながら見送る。
「あぁ、セリア様……。自ら最前線に立つなんて素敵なの……」
「えぇそうね、本当に素敵な騎士様。ご立派なお手を煩わせる前に、さっさと終わらせるわ」
「……でも残念。お手、煩わせちゃいそうなの」
「なんですって……?」
「感知したの。それなりにおっきな魔力、ものすごい速さで海の上を進んでくる」
あまりにも早すぎる敵襲。
この誤算にノプトは軽くため息をつき、セリアに【遠隔】で、トゥーリアには口頭で指示を飛ばした。
「敵襲よ。結界を解除するまで時間を稼いでちょうだい。もちろん殺してもかまわないわ」