267 薄氷の上を進むような
窓の外に流れる星の海。
見下ろせば雲海と、雲間から見える遠い地上。
王都はもうはるか彼方、トーカによればもうすぐ亜人領らしい。
「……にしても、すごいね、この魔導機竜」
私たちが今乗っている魔導機竜は、これまでのものと全然違う。
長細いスマートなフォルム。
左右についた翼には樽みたいなスラスターが二つずつ、ぶら下がるみたいにくっついて、そこから常に全開の炎が噴き出してる。
速度は今までの魔導機竜の、ざっと数倍以上。
じゃあ寒くないのか、風圧で吹っ飛ばされないのかというと、そんなことは全然なくってむしろ快適。
胴体の中に入ることができる仕組みで、まるで建物の中にいるみたいなんだ。
その上、揺れもほとんどなし。
衰弱したベアトも安心して乗せることができる。
「【機兵】の練度が上がったって言ってたけど、そのおかげ?」
「んー、それもあるけどな。魔法はイメージが大事って言うだろ? パラディにいる間、見られる範囲で研究資料を見せてもらったんだ。その中に、『航空機』っていうのがあってさ」
「こーくーき?」
なんだそりゃ、食べ物か何かか?
「空を飛ぶための乗り物さ。設計図とか見せてもらってな。どうやってあんなモノ考え付いたのやら」
なるほど。
きっとそれ、『星の記憶』に入ってたヤツだ。
エンピレオが前に暴れてた星では、その航空機ってヤツが普通に飛んでたんだろうな。
「そんなわけで、航空機のイメージを加えて魔導機竜をアレンジしてみたってわけさ」
トーカは魔導機竜の頭の辺りのイスに座って、マドになってる目の部分から外を見つつ操縦している。
私が今いるのもここ。
操縦室といったところかな。
「コレならベアトへの負担も最低限だね。安心して魚人の国まで運べるよ」
「いい乗り心地だろ? 快適な空の旅を約束するぞ」
本当、快適なんだよね。
快適すぎて、気にしなくていい部分まで気になってきた。
「……コレ、パラディから帰ってくるときになんで使わなかったの?」
いつもの魔導機竜のむき出しの背中に乗るより、絶対に快適だし早いのに。
「魔力をかなり使うんだよ。作るのも飛ばすのも、ほとんど使い果たすくらいにな」
「そんなに……? ……ごめん。かなりムチャさせちゃうね」
「謝るのはナシだぞ。アタシが行こうって言いだしたんだからな。それに、ベアトの命がかかってんだ。ちょっとくらいムチャさせてくれよ」
「……うん」
とつぜん部屋に入ってきて、今から魚人の国に行くだなんて言い出した時はビックリしたけど。
ここまで体を張ってベアトのために動いてくれるなんて、感謝しなきゃいけないな。
「到着は夜明けごろだから、それまでお前も少し休め。……いろいろ、参ってるだろ?」
「ありがと、そうさせてもらうよ」
好意に甘えて、トーカのいる操縦席からベアトのいる客席へ。
クイナのこと、ギリウスさんあたりから聞いたんだろうか。
気を使わせちゃったかな。
たしかに、クイナのことはショックだった。
けど、今までは考える余裕が無いっていうか、ベアトのことで頭がいっぱいだったんだよね……。
「ベアト……」
静かに寝息を立てるベアトの頭を、そっと撫でる。
この子が寝ているのは、客席が並ぶあたりにある寝台の上。
マットとシーツを乗せた即席のベッドを作って、そこに寝かせている。
「とりあえずは、落ち着いてるみたいだね」
容態は安定しているみたい。
これなら問題なく、魚人の国まで運べそう。
ただし、問題は着いてから。
魚人の国は他の人種を寄せ付けない閉鎖的な場所だって聞いている。
到着しても入れてもらえないだろうから、とりあえずはラマンさんを頼ろう。
あそこの技術でもベアトを延命できるかわからないけど、可能性はこれしかないんだから。
(……まあ、つまり今私がベアトにしてあげられることはなんにもないわけで)
心配でたまらないけどさ、着いてからのことは着いてからじゃきゃわからないし。
ひとまず落ち着いて、他のことを考えよう。
座席に座って、窓から夜の大地を見下ろす。
遠くに見える明かりは、魔族の国コルキューテかな。
空に目を移せば、満天の星明かり。
あの明かりのどれかから、エンピレオがやってきたんだろうか。
とりとめないことがグルグル浮かぶ中、王都を出発した時のことも思い出す。
魚人の国に今すぐむかうって聞いて、みんな驚いてたっけ。
メロちゃんも着いてきたそうだったけど、何があるかわからないから危険だって残ることになった。
あの子強がりだからな、ゴネたりはしなかったけど、トーカと離れて本音じゃ寂しいんだと思う。
それと、ギリウスさん。
(ケニー爺さんのこと、心当たりをあたってくれるって言ってたっけ)
何かアテがありそうな感じだった。
エンピレオの発見につながる手がかりが見つかればいいな。
魚人の国も、エンピレオの発見も、どれも小さな希望。
薄い氷の上を進むような、なんとも頼りない話だ。
でも、これしかないんだから。
(そして、クイナ……)
思えば、サインみたいなものはいろいろと出てたんだと思う。
ケルファの警告に、ガーベラさんに話を聞きに来てた時の思いつめていた感じ。
自分を偽って演じ続ける騎士の劇に自分を重ねてたって言ったこと。
……出発前に、ディバイさんから聞いたんだ。
あの戦いがあった夜、クイナから自分が自分じゃないって告げられたって。
とんでもなく深いプライバシーに関わる話だし、そもそも私とディバイさんがそんな親しいわけでもないから、全然知らなかったんだけど。
(あの子はきっと自分の存在に悩んで、苦しんでいたんだ。……私は、あの子の救いになれてたのかな)
今となっては答えの出ない質問だ。
だって、私の友達だったあの子は本当の人格に目覚めて——。
「……目覚めて、どうなった?」
私は今まで、あの子の人格が完全に消えてしまったものだと思ってた。
だけど、思い返してみれば。
ノプトに連れられて消える瞬間、セリアがとっても寂しそうな表情したのを見たんだ。
別れの告げ方も、真似とかじゃなくクイナそのものだった。
「ディバイさん言ってた。セリアとクイナの魂は同じだって」
だとしたら、クイナは消えたんじゃない。
ただセリアとしての記憶を取り戻しただけとか、よく分からないけどそんな感じ……?
「……私たち、まだ友達のままかもしれない。元の関係に戻れるかもしれない」
コレもおんなじだ。
薄い氷の上を歩くような、頼りない可能性の一つ。
けど、信じて歩いてみようと思う。
ちっぽけな希望を頼りに進むのは、最初からずっと。
もう慣れっこだから。
私はベアトが隣にいないと眠れない。
だから窓辺にすわって、ずっと夜空を見続けていた。
そうして、もうどれくらい経っただろう。
どことなく、空が明るくなってきた気が……。
「キリエ、起きてるか?」
「コレが夢じゃなければね」
「よし、起きてるな。進行方向見えるか?」
「……窓にほっぺ押しつければ、なんとか」
冷たいガラスにぴったりほっぺをくっつけて、魔導機竜の行く先を確認。
目に飛びこんできたのは薄暗い大海原。
正反対の方角から昇りはじめた朝日が、少しずつ森を、海面を照らしていく。
ここが大陸の西の果て、亜人領の未開の地の奥の奥。
本当に一晩でたどり着けたんだ……。