253 呼び捨て
大司教の命令を受けた教団兵たちによって、暴れまわる肉塊たちは全滅。
ひとまず、地下の安全は確保されたけど、研究員に多数の死者が出たらしい。
所長さんだけど、死体がどこからも発見されなかった。
状況から見ても、肉塊を暴れさせた犯人はあの人なんだろう。
ベルナさんはすぐに所長——ガーベラさんの行方を探させたけど、今のところ見つかっていないみたい。
どこに行ってしまったのか、肉塊を暴れさせた目的はなんなのか。
今の私には、そんなことを考える気力すらわかなかった。
ただ一人で、誰もいない小さな礼拝堂に座ってぼんやりと天井をながめていた。
ベアトはいない。
一人になりたい気分だからって謝って、部屋に戻ってもらった。
弱い私を、ベアトに見せたくなかったから。
「……カインさんの、奥さんか」
人身売買を目撃してしまって、ブルトーギュの手でパラディに実験材料として売られた。
そこまではジョアナから聞いて知っている。
けど、とっくに肉塊になってしまったものだと思っていた。
ジョアナは知らなかったの?
それとも知っていて、あえて私の心に傷を負わせるために……?
「だとしたら、大成功だよ……」
天井をあおぎながら、にっくき仇の顔を思い浮かべて吐き捨てる。
復讐の過程で誰かの恨みを買うなんて覚悟の上。
その恨みに殺されてやるつもりだってサラサラ無い。
でもさ、あの人だけは違うじゃん。
「約束、したのにね」
カインさんの最期のお願い。
妻と娘を頼むってお願い、できる限り叶えたかった。
叶えたかったのに、全部ダメになっちゃった。
「はぁ……。どっかで、間違えちゃったのかな……」
「そんなこと、ないと思うッスよ」
天井だけが映っていた視界の上っ側から、クイナさんの顔がニュッと出てきた。
いつの間に後ろに来てたのか、気づかないくらい参ってたみたいだね、私。
「となり、いいスか?」
「……うん」
やっぱり一人でいるとダメなのかも。
話相手になってくれるだけでも、気がまぎれていいや。
うなずくと、クイナさんはすぐに私のとなりに座った。
「詳しい事情、ベアトさんから聞いてきたッス」
「そっか……」
「気に、してるんスか? 自分のせいだって……」
「当たり前じゃん……」
ノアを死なせないように、もっといい方法があったかもしれないのに。
そもそも私がカインさんを勝手に始末しようとか思わなきゃ、リーダーたちに任せておけば、あの人の魂がバケモノのエサになることもなかったのに。
「これじゃあさ、二人の仇だって言われても、恨まれても、呪われても、仕方ないよ……」
「ジブン、さっきも言ったはずッスよ? そんなことないって」
「え……?」
そんなことあるでしょ。
どう考えたって私が悪いじゃん。
「話に聞いただけのジブンじゃ、的外れなこと言っちゃうかもしれないッスが……。カインさんって人は元から覚悟の上だったんスよね? 第一、だまして利用してたブルトーギュって王様が一番悪いッス」
「……そうだね」
あの人、確かに全力で戦ってくれた。
ただし、練氣を使わない全力で。
罪滅ぼしのつもりだったのか、私に対する試験だったのかは今でもわからないけど、私に殺される覚悟は確実にしてたはず。
「ノアって人だって、キリエさんたちを罠にはめて殺そうとしたんス。それでも命を助けてやって、その後の行動にキリエさんは一切関係していない」
「まあ……、そうだけどさ」
リーチェに仕えてるってことすら知らなかったし。
なにがどうなってパラディにたどり着いたか、いまだに知らないくらいだよ。
「だったら、キリエさんが責任を感じることなんてないッスよ。そもそも全ての元凶はエンピレオッス。キリエさんはちっとも悪くない。だから今までみたいに、触れたものみな沸騰させてやるって顔しててください」
「どんな顔だよ……。でも、おかげで楽になった。ありがとね」
無責任に丸呑みして、私はちっとも悪くありませんなんて開き直ったりはできない。
できないけど、うんと気持ちが軽くなった。
「……ねえ、聞いていい? どうしてそこまで、私をはげまそうとしてくれたの?」
わざわざベアトに事情を聞いて、どこにいるかもわからない私を探して、こうしてはげましてくれるなんて思ってなかったもん。
クイナさんがそこまでしてくれる理由がよくわからないから、思わずこんな質問してしまった。
「さっき、キリエさんが言ってくれたことがうれしかったから……ッス」
「さっきって……、あの研究室のこと?」
やんわりとクイナさんを追い出そうとしたベルナさんに、助け船を出したことだよね。
「キリエさんには小さなことだったかもしれないッスが……」
△▽△
記憶の相談だなんてウソをついたけど、あの時ジブンが所長さんに聞きにいったのはジブンの正体について。
結局、所長さんにもわからずじまい。
あの村で行われていた研究がなんだったのか、知ってる人ももういないみたいだった。
大切なのは今のジブン。
わかっていてもやっぱり辛くって、だからあの時、キリエさんの一言で救われた気持ちになった。
キリエさんが落ち込んでる時、力になりたいって思った。
「——まるで、ジブンの存在を肯定されたみたいで、とっても嬉しかったッス」
キリエさん、少しおどろいた顔をしてる。
ここまで感謝される理由、この人にはわかんないから、まあ当然かな。
……引かれたり、しないといいな。
「……えっと、少しおどろいた。おどろいたけど……、うん。気持ちは伝わったよ」
だけどこの人は引くどころか、ほんのりと口元をゆるめて、そして……、
「改めてありがとう。その……クイナ」
ジブンのことを、呼び捨てて呼んでくれた。
『クイナ』という人間を、しっかりと見てくれた。
「あ……、あの……」
どうしよう。
うれしくってなんだか頭が回らない。
ジブンも呼び捨てで呼んだ方がいいのかな、それともこのまま?
「……私、行くね。ベアトを一人にしたままじゃ心配かけちゃうし。じゃあね、クイナ」
「あ……、はい、また……ッス」
キリエさん、さっと立ち上がって、礼拝堂を出ていってしまった。
空元気って感じでまだちょっと心配だけど、ジブンにできることはやりきったよね。
少しでも、あの人に恩返しできたかな……。
〇〇〇
クイナって呼び捨てにしちゃった。
前に友達になりたいって思った時から、呼び捨てにしたいって考えてたんだ。
驚いてたけど嬉しそうだったな。
あの子のおかげで、少しだけ心が軽くなったよ。
「ベアト、戻ったよ……っと」
ベアトの部屋のトビラを開けると、すぐにベアトが抱きついてきた。
ただし、腕の中で私を見上げる顔はいつもとちがう。
普段ならこういう時、ご主人様を出迎えるわんこみたいに嬉しそうなんだけど。
「……っ」
今はとっても心配そうに、眉毛をハの字にして私を見上げてる。
心配させちゃったみたいだね。
「大丈夫、ちょっと頭を冷やしてきただけだよ」
ベアトの頭を優しくなでて、小さな体を抱きしめる。
「……っ」
『ムリだけは、しないでくださいね』
「心配ないよ、本当に無理な時は無理っていうから」
ベアトは優しいな。
改めて、この子を死なせたくないって強く思った。
そして、ベアトのつけたクレアの髪留めを見て、改めて決意する。
私は私のために復讐を果たす、この子のためにエンピレオを殺す。
どんなことがあろうとも、誰が立ちはだかったとしても、この二つだけは絶対にブレたりしないって。