252 復讐してやる
肉塊たちの暴走は、誰かが命令を出してやらせているみたい。
でも、いったい誰がなんのために……?
「肉塊は見境なく暴れまわり、すでに大勢の死者が出ています……!」
「あぁ……、なんてこと……」
研究員の報告を受けたベルナさんは、ショック受けた時のベアトみたいに口元を両手でおおった。
それから私にむきなおって、
「キリエさん、所長の身が心配です。彼女を探して、保護してきてくださいませんか……?」
と、お願いされてしまった。
……正直なところ、私がなにより優先したいのはベアトの安全だ。
ベルナさんとクイナさんもふくめて、まずこの三人を安全なところまで送り届けたい。
だけど、見捨てられないか。
ベアトも助けてあげてって顔してるし。
「……わかりました。ベアト、お母さんたちとここで待ってて。すぐに所長さん見つけて、連れてくるから——」
言い終わる直前。
天井の換気口から這い出してくる肉塊が目に入った。
すぐに飛びかかって赤い剣を突き刺し、沸騰の魔力を送り込む。
「弾けろっ!」
パァン!!
飛び散る肉塊のシャワーを浴びながら着地。
こんなもの、浴びたくなかったけどさ。
ベアトの身に危険が及ぶ方がもっと嫌だ。
「……前言撤回。部屋の中もちっとも安全じゃないね。みんな、離れないでついてきて」
ベアトとクイナさんと、それからベルナさん。
守らなきゃいけない人を三人も抱えて、慎重に廊下を進む。
どこから肉塊が襲ってきてもいいように気を張りつめ、襲ってくる肉塊を斬り払いながら。
転がっている研究員の無残な死体を見つけるたびに、ベアトが悲しそうな顔をして、私の胸も痛んだ。
「所長がむかったのは、この先にある所長室です」
長い廊下の奥を、ベルナさんが指さす。
ここはもともと、研究施設の最深部に近い場所だったはず。
そのさらに奥だなんて、本当に最深部だ。
「ベルナさん、所長さんはいったい何を取りに行ったの?」
「エンピレオを倒すために作られていた、極秘の研究資料です。私との共同で、フィクサーには極秘に進めていました」
「あぁ、だから研究施設とかに詳しかったんだ……」
この人、やけに教団の裏事情に詳しかったからな。
最初に会った時も、リーチェに仕えてる感じだったっけ。
「リーチェを救いたくて、藁にもすがる思いで始めた研究です。完成にはまだほど遠いペーパープランですし、あの子とフィクサーの暴走によって望みも尽きかけていましたが……」
「だから、リーチェのそばに?」
「何もできないならば、せめて我が子をすぐそばで見守ってあげたかった。たとえどんな結末をむかえようとも……」
悲しそうに目をふせるベルナさんのそでを、ベアトがクイっと引いた。
それからニッコリと笑いかける。
お母さんに悲しんでいてほしくないのかな、ベアトは優しいから。
ベルナさんも、そんな娘の気持ちを汲んだのか、そっと小さな体を抱きしめた。
所長室とラベルが貼られたドアの前にたどり着いた。
この先に所長さんの死体が転がってないといいんだけど……。
「開けますよ……」
ベルナさんがカードキーを通して、トビラのロックを解除。
中に入った私たちが見たものは……、
「な……っ!?」
メチャクチャに荒らされた部屋。
ビリビリに破り捨てられた研究資料の数々。
ただ、それだけ。
部屋の中には肉塊の一匹も、もちろん所長さんの死体だって転がっていなかった。
「こ、これは……?」
「わ、わかりませんが、まずは研究資料を……!」
そうだね、大事な資料が無事かどうか確かめなきゃ。
私たちは手分けして、散らかされた部屋の中を探り始める。
……その結果は、考えられるうちで最悪のものだった。
「エンピレオを倒すための研究……、その資料だけが、どこかに持ち去られている……」
……それって、つまり。
「これまでの研究成果が、全部失われた……ってことなの?」
「その、通りです……。いったい、誰が、どうしてこんなことを……!」
震える声で、最悪のアンサーをくれたベルナさん。
正直、さすがの私も頭が真っ白になった。
「……っ」
ベアトがそっとすそをつまんで、私のことを心配そうに見つめてくる。
元気出して、って言ってくれてるのかな。
でもね、ベアト。
キミを助けるための可能性の一つが潰されたんだ。
ショックなんてモノじゃないよ……。
「あ、あの……。皆さん、ジブン、こんな手紙を見つけたんスけど……」
クイナさんが、手紙の入った白い便箋を持ってきた。
何か手がかりになるかもしれないよね。
それを受け取って、中から手紙を取り出して。
みんなも覗きこむ中、とりあえず読んでみる。
『ノア、いつかこの手紙をあなたが読むことを祈って。あなたの前に顔を見せられない臆病な私を許してください。私は今も、こうして生きています。ブルトーギュによって生け贄に差し出された時、ベルナさんという親切なお方によって命を救われたのです。今はラーベなどと名乗っていますが、いつか本当の名前であなたに会いにいきたい。物陰からこっそりと見守るのではなく、母として堂々とあなたを抱きしめたい。いつかそんな日が来ることを祈っています。あなたの母、ガーベラより』
……とりあえず、なんて軽い気持ちで見てしまったその手紙に、私の心臓がわしづかみにされたような感覚に襲われた。
「これ……、所長さん……、ガーベラさん……? カインさんの、奥さんの——」
手が震えて、その拍子に便箋から小さなメモが落ちた。
それも拾い上げて、呆然と目を通す。
『ノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだノアが死んだあの人も殺されたのに誰が殺した誰が二人を殺した誰のせい誰のせい
お前のせいだ。
勇者キリエ 復讐してやる』
ぐしゃぐしゃの紙に記された殴り書き。
その文章を見た瞬間、胃の中身を吐きそうになった。
その場にしゃがみこんで、口元に手を当てながらえずいて、なんとかこらえる。
「……っ!」
ベアトが背中をさすさすしてくれて、少しだけ楽になった。
「あ、ありがと、ベアト……」
「……っ!!」
大丈夫、大丈夫だよ。
そんなに心配そうな顔しなくても、私は大丈夫。
荒い息を整えながら、まずはベルナさんに質問を投げつける。
どれだけ苦しくても、それだけは聞かなきゃいけなかったから。
「知ってたん、ですか……? 所長さんが、ガーベラさんだって、ノアの母親だって……」
「……彼女は数年前、実験体の一人としてこの国に送られてきました。実験体の中に王の側室がいると聞いて、私は哀れに思った。だから無理を言って、なんとか彼女だけは助けたんです」
「そう、なんですね……」
「まさか、彼女がノアさんの母だとは知りませんでした……。フィクサーが死んでから、彼女を所長に推薦したのも私です。キリエさん、本当にごめんなさい……」