248 幕間 小さな予兆
「ペルネ陛下、近隣の魔物の討伐、完了いたしました」
ここは女王の私室。
大剣を背負った大柄な騎士様が、私の前に片膝をつき、頭を垂れました。
「ご苦労様です、ギリウス。そしてストラさん、スティージュ騎士団の協力、感謝します」
今や他国の騎士となったかつての家臣にねぎらいの言葉を。
そして、現在の彼の主である友好国の女王様にも感謝の言葉を送ります。
「いいっていいって、困った時はお互いさまでしょ?」
となりに座るストラさんは、なんでもないことのように笑っています。
こうして見ると、まだまだごく普通の女の子——。
「そ・れ・に、スティージュが困った時はしっかり助けてもらう予定だし?」
……いえ、少しだけ外交というものがわかってきているようです。
私本人を前にして堂々と宣言してしまうのは、どうなんだろうかと思いますが。
信頼してくれている証……ですよね、きっと。
「しっかし、突然の魔物大量発生だもんね。大兄貴、原因はまだまだ特定できない感じ?」
「あぁ、まったくもって原因不明だ」
魔物の大量発生、それこそが二人がこの場にいる理由。
キリエさんたちがパラディへ発ってから数日後、デルティラード盆地で異変が起きました。
通常では考えられない強さ、ありえない数の魔物が姿を見せはじめたのです。
旅人や商人が行き来し、我が国の交易のかなめである中央街道。
その周辺にまで魔物の出没が広がる前に、私はまず我が国の騎士団を討伐に向かわせました。
結果はなんとか成功、これで事態が収まるかに思われたのですが、魔物は再発生。
冒険者たちにも調査、討伐の依頼を出しましたが、いくら討伐しても発生し続け、解決のメドが立ちません。
こうしてとうとう、かつて王国最強の騎士と言われたギリウスを擁するスティージュ騎士団に助けを求めたというわけです。
「魔物が発生する理由は、魔族たちがクレーターと呼ぶ大きな穴の中心にある赤い岩。そこまでは俺たちも知っているのだが……」
「問題は、このデルティラード盆地にクレーターが見つかっていないことですね」
「その通りです、ペルネ陛下」
発生源さえ突き止めれば、対処の方法はいくらでもあります。
その付近を封鎖する、部隊を編成して定期的に討伐を行う、それから——勇者に事態の解決を依頼する。
いずれにしても、どこからともなく沸いてくる現状では、手の打ちどころがないのです。
「昔っからこのあたりって、どこからともなく魔物が沸いてくるんだってね」
「そうらしいな。弱い魔物ばかりだったようだが。キリエも駆け出しのころ、このあたりのワーウルフを狩っていた」
「まあ、そうなのですか。今のあの方ならば、ワーウルフなど簡単に倒してしまえるでしょうね」
「あはは、十秒で五千匹くらい蹴散らしそうだよねー」
「それは言い過ぎだな。今のキリエならば確かに五千匹程度は軽いだろうが、十秒で倒しきれる数ではないだろう。一秒に五百匹のペースは現実的では——」
「ちょ、待って大兄貴、もういいから!」
大真面目に分析を初めてしまったギリウスを、ストラさんがあわてて止めます。
どうやってキリエさんが十秒五千匹撃破を目指すかの一人議論が始まってしまいそうでしたもんね……。
「まったく……。でも、キリエのことをこんな風に話せるの、あの知らせがあったからこそだよね」
「知らせが来たのは、もう半月ほど前のことでしたか。キリエさんたちを送り出してからというもの、ただ彼女たちの無事を祈っていましたが……」
突如、使者として王城に現れたパラディの神官。
ソーマのことを思い出して身がまえたものですが、その神官が届けてくれたのはこの上ない朗報でした。
大司教フィクサーが行方不明となり、新たな大司教が立てられることになったこと。
そして、勇者キリエが無事であるという知らせだったのです。
「スティージュの王城にも来たんですよね」
「来たよー。神官だけなら信じなかっただろうけど、あの子も一緒だったから。ホントに安心しちゃった」
パラディの使者を運んできたのは、魔導機竜を操るドワーフの女性。
そう、トーカさんだったんです。
……ストラさん、今あの子って自然に言いましたが、あの方は私たちより年上ですよ?
「ペルネから招かれたのも、この件だと思ったんだけどなー」
「いくら嬉しいからって、それだけで一国の女王様を呼びつけたりしません」
たしかにストラさんには、とってもとっても会いたかったですよ?
ですけど、あくまでそれはプライベートのことですから。
「あはは、ごめんごめん」
「もう、本題に戻りますよ?」
ずいぶんと脱線してしまいましたからね。
テーブルの上に地図を広げて、三人で覗きながら考えます。
ギリウスが戻る前からストラさんとながめていた、デルティラード盆地とその周辺を描いた地図。
かなり精巧にできているのではないか、と思います。
「しっかし、ホントに無いの? クレーター、見落としてるとこあるんじゃない?」
「森の中、山の中など発見しづらい場所はたしかにあるが……」
「うーん……」
じーっと地図を見つめるストラさん。
口元に手を当てて、うんうんうなっています。
いったいこの盆地のどこにクレーターがあるのでしょうね。
どこにあるにせよ、地図には書かれていないと思いますけど……。
こうして議論を戦わせること数時間。
すっかり日もかたむいて……、
「あー、ダメだーわかんない! もう息詰まりそうだし、ちょっと休もうよ、ペルネ」
とうとうストラさん、音を上げてしまいました。
女王様としては考えものですが、休憩は必要ですよね。
……私も、ストラさんとゆっくりお話ししたかったですし。
「ええ、少し休憩にしましょうか」
「……では、私は席を外させていただきます」
気をつかわせてしまったでしょうか。
ギリウスは深く一礼すると、静かに退室していきました。
そうしてお部屋には、私たち二人だけ。
「ペールネっ」
「ひゃっ!」
ギリウスがいなくなったとたん、ストラさんが私に抱きついてきました。
女王様モードは完全にオフですね。
もともとゆるんでいましたが、これはもう完全にオフです。
「んー、さすが女王様、いいにおい……」
「は、恥ずかしいですって……!」
私の金髪に鼻先をうずめて、それからぎゅーっと抱きしめてきます。
ストラさん、こんなに甘えん坊さんでしたか?
「もう……。肝っ玉母さんで通ってるストラさんが、これじゃあまるで小さな子どもですよ?」
「いいんだもん。ベルちゃん時代にたくさん弱いとこ見られちゃったし、今さらだもん」
全身でぬくもりを感じ合って、ストラさんは安心したように瞳を閉じました。
私も同じです。
こんなこと誰にも言えないですけど、ストラさんと別れてから、これまでずっと不安だったんですよ?
イーリアがいなくなって、勇者様の安否が知れなくなって、ずっといっしょにいたあなたと離れてしまって。
その上、原因不明の魔物の大量発生。
さすがに少し、心が疲れていたんです。
「……もう、仕方ない女王様です」
だけど、はるばるスティージュから来てくれたあなたの顔を見た時、心が軽くなるのを感じました。
この国をおおっている不穏な影を、一時でも忘れることができるのは、あなたがそばにいるからなんですよ?
ストラさんの桃色の髪をそっと撫でて、お互いにぎゅっと抱き合います。
やっと平和を取り戻したこの国に、おだやかな時間がずっと続くことを祈りながら。