245 長い夜の終わり
崩れ落ちていく地下空間。
はるか下には、人造エンピレオから漏れ出したオイルで炎の海となった広間。
少しずつ炎が広がっていって、この施設が焼け落ちるのも時間の問題だろうな。
私たち二人は、【水神】の力で生み出した大きな水の球に入って、広間の高い天井めざして飛んでいってるところだ。
もちろん溺れないように、水球の上半分に作った大きな空気の泡の中に二人で顔を出してぷかぷか浮かんでいる。
「ベアト、寒くない?」
「……っ」
こくりといきおいよくうなずいて、ベアトが私にギュッと抱きついてきた。
この子がなにも着てなかったのは、あの銀色の液体に長い間浸かってたせいかな。
身に着けているものを溶かして、吸収しやすくするためだろうか。
後ろ髪を結んでたリボンも無くなってるし。
ただ、クレアの髪飾りと私がプレゼントした錠前首輪は無事。
首から上が取り込まれてた時間が短かったおかげで、薄い布のリボン以外は溶かせなかったんだと思う。
妹の形見が無くならなかったのはうれしいけど、ベアトが無事だったことは同じくらい……ううん、それよりもっとうれしい。
この子が変わらない笑顔で私に抱き着いてきてくれるのが、今は何よりうれしいよ。
(……ただ、一つ気になることがあるんだよね)
銀色の塊から出てくる時に感じた、エンピレオの禍々しい魔力。
もし、アレを放ったのがベアトだったとしたら……。
「……ベアト。体、どこもおかしくないよね?」
「……? ……っ」
首をかしげたあと、ベアトは小さくうなずいた。
ラマンさんの薬のおかげか顔色もいいし、心配しすぎ……だといいんだけど。
水球が上昇を続けて、高い高い広間の天井が見えてきた。
バケモノの放った光線のおかげで、あちこちの板がはがれてところどころに穴があいてる。
そのうちの一つに飛びこんで、半壊した通路の中へ。
ベアトをお姫様だっこで抱えて、水球を解除した。
「よっと」
「……っ!」
ベアトを抱えつつ通路に着地。
びっしょり濡れちゃった毛布の水分を操作して、ベアトが風邪をひかないようにしっかり脱水してあげてから、出口を探して走り出す。
壊れた壁やドアを突っ切りながら、あまりの崩壊具合にリーダーたちが心配になった。
みんな、無事に出られたかな……。
〇〇〇
上へ上へと出口をめざしてたどり着いたのは、突入する時にブチ壊した魔導機竜の出撃口。
ガレキを沸騰で溶かして穴をあけ、ベアトをお姫様だっこしたまま星空の下へと飛び出した。
満月はもう沈みかけ。
東の空が白くなって、もうじき夜明けがやってくる。
そして研究施設の前には、飛び出してきた私たちを見上げるみんなの姿。
「……よかった、みんな無事だったんだね」
草地に着地した私は、すぐにベアトを下ろす。
毛布巻いてるだけだし、お姫様抱っこのままじゃいろいろと見えちゃうからね……。
まずトーカが、続いてクイナさんがこっちに走ってくる。
「無事だったんだな、はこっちのセリフだっての!」
「あてっ」
トーカにかるーく頭を小突かれた。
そんなぶたなくてもいいじゃんか。
「……でも、よかった。ベアトはしっかり取り返してきたんだな」
「トーカの作ったこの剣のおかげでね」
どうして赤い剣がいきなり湧いて出たのかはわからないけど。
クイナさんが何かした……のかな。
「クイナさんも、改めて助かったよ」
「い、いや……。ジブン、正直なにがなんだか……」
「……わかんないの? ホントに?」
「あの時、キリエさんに死んでほしくないって願ったんス。そしたら、突然気が遠くなって、気づいたら剣を持ってて……」
うん、ウソはついてない感じだ。
剣に関しては、本当に何も知らなさそう。
もしかして、この子が何かしたってわけじゃないのかな。
……っていうか、死んでほしくないだなんて思ってくれたんだ。
「えっと……。ありがと、そんな風に思ってくれて」
「……へへ。当然ッスよ」
ちょっと照れ臭そうに笑うクイナさん。
そういえば、アルカが殺されてから同年代の友達っていないな。
ほとんどみんな年上か年下で、ベアトは友達とは違うし、ストラは別の意味でなんか違うし。
……クイナさんと友達になりたいかもって、ちょっと思った。
トーカたちから少しおくれて歩いてきたベルナさんが、ベアトの前にやってきた。
涙ぐみながら、あの子の小さな体を抱きしめる。
「ベアト……、よかった、本当によかった……」
「……っ」
ベアトも安心したみたいに、やわらかい笑顔を浮かべた。
「あぁ、ごめんなさい。そんな格好、どうにかする方が先ですね」
うん、さすがに娘が毛布一枚じゃそうなるよね。
自分が着てたローブを脱いで、ベアトに着せてあげた。
ちなみにベルナさん、ローブの下は普通の服だ。
「……っ、……っ」
ぶかぶかのローブ姿になったベアトが、ジェスチャーを交えて何かを訴えはじめる。
羊皮紙もペンもカバンもなくしちゃったからね、意思疎通が大変そうだ。
「……そう、ですね。あなたにも全てを話しておくべきでしょう」
でもベルナさんには言いたいことが伝わったみたい。
彼女はベアトに語りはじめた。
自分が本当の母親だということや、リーチェが黒幕だったこと。
私も初めて聞くフィクサーの逆恨みに、リーチェを守ろうとしたノアの最期まで。
ただ、聖女の寿命に関することだけはうまく伏せていた。
「……っ!」
全てを知った時、ベアトは驚きのあまり両手で口元をおおっていた。
そして、ユピテルに抱えられたリーチェを悲しそうな目でじっと見つめる。
「……」
優しいベアトのことだ、きっとリーチェをこれっぽっちも恨んでないんだろうな。
それどころか、本気でかわいそうだって思ってそう。
当のリーチェは、さっきまでと同じく光を失った目でぼんやりとしている。
まるで心が壊れてしまったみたいに。
「キリエさん……。この子は全てを失ってしまいました。生きる希望も愛する人も、なにもかも……。お願いします、この子の命は——命だけは奪わないであげてください……」
深々と頭を下げて頼みこんでくるベルナさん。
大丈夫だよ、私はベアトとちがって優しくないから、リーチェのことを許すつもりなんてこれっぽっちもないけど。
「……リーチェは殺さない。だから安心してください」
私の答えに、ベルナさんもベアトも、心底ホッとした表情を浮かべた。
別に許したわけじゃないよ?
ただ、殺すよりもこの方が重い罰になるってだけ。
きっとこれからリーチェは死ぬまでずっと、自分のバカげた行いと、そのせいで大事なものを失ったことを後悔し続けるだろうから。
「終わったな」
「……リーダー。うん、終わったよ。ベアトを狙ってた奴らに関しては、だけど……」
ベアトを狙って暗躍していたリーチェ、そしてフィクサーは潰してやった。
これからパラディは、どんどん良くなっていく……んじゃないかな、とは思う。
だけど、これでベアトが安全になったわけじゃない。
エンピレオを滅ぼさなければ、あの子は長くは生きられない。
この世界のどこかにいるヤツを探しだして、絶対に殺さなきゃ。
そして……。
「……どうしたキリエちゃん、剣なんか取り出して」
「……ううん、なんでもない」
剣を抜いて、真紅の刀身をじっと見つめる。
この剣がここにあるってことは、私の復讐はまだ終わってないかもしれない。
この手で永遠の地獄に叩き込んでやったはずの、家族や村のみんなの仇。
かつて持っていた私の全てを奪い去ったアイツが地獄を抜け出して、今ものうのうと生きているとしたら。
……やっぱり生き地獄じゃ足りなかった。
ヤツの大事なカミサマもろとも、今度は絶対に地獄に叩き落とす。
きっとその時初めて、私の復讐譚は完結するんだ。