235 命を捨ててでも
「ノア!? ノアッ!!」
触手に巻き取られ、花弁に引き寄せられながら、リーチェは必死にノアの名を叫ぶ。
その視線の先では、大司教に命令を受けた兵士によって倒れたところを何度も蹴られるノアの姿があった。
「ノア!! フィクサー、やめて!! 今すぐやめさせなさい!!!」
「大人しく見ていればいいものを。身のほど知らずの奴隷崩れが」
悲痛な叫びを上げるリーチェと、ノアをあざ笑うフィクサー。
目の前の光景に、ベルナは無力感から目を伏せる。
「あぁ……、フィクサー、あなたはどこまで……」
「この程度で満足されては困るのですよ、ベルナ。あなたの娘が機械仕掛けの神に取り込まれる。その光景を特等席で見せるために、わざわざここまで連れてきたのですから」
「なぜ……、どうしてそこまで……。私が憎いのなら、私を殺せばいいでしょう!? 娘たちは関係ない——」
「黙りなさい!!」
怒りの形相で、フィクサーがベルナをにらむ。
その瞳に込められたのは、明確な憎悪。
「聖女に——フォルカに世継ぎを産ませるのは、家格から考えれば私の役目だったはず! だのに、初代勇者の血筋であるこの私を差し置いて、どこの馬の骨ともわからない修道女ごときがッ!!」
ベルナは知っていた。
聖女の伴侶となる野望をフィクサーが持っていたことを。
それがただの名誉欲からくるものであることも。
「……やはり、あなたを選ばなかったフォルカの判断は正しかった」
「戯れ言を。あなたはここでじっくりと見ておくのです。血を分けた娘二人の末路をね」
吐き捨てるように会話を打ち切って、フィクサーは部下たちに指示を出す。
「そろそろ勇者が最下層へ到達する頃です。あるだけの戦力を投入して時間を稼ぎなさい」
「はっ!」
命令を受けた研究員たちが、最下層の各所へ連絡を開始。
これでわずかばかりの時間がかせげるだろう。
「ふふっ、あと少し。リーチェが花弁に囚われさえすれば……」
本来、機械仕掛けの神起動に必要な聖女は一人のみ。
生体パーツとして内部に組み込まれるスペースも、当然ながら一人分しか用意されていない。
しかしながら、今フィクサーが求めているのはエンピレオのデータである。
神の力を機械仕掛けの神に受信させ、人体に取り込める形に変換し、自身の体に埋め込んだ受信機を通じて体に取り込むことが彼女の目的だった。
受信速度を高速化するだけならば、聖女をもう一人外付けの受信機として花弁に取りつかせ、すぐに吸収液で覆うだけでいい。
ベアトを取り込むために多くの時間が必要な理由は、生きたままコアとする必要があるため。
吸収液と同化するさいに体の変質が起こるため、急速な吸収は体に大きな負担がかかる。
低くない確率で命を落とすほどの負担が。
しかし、聖女を使い捨ての受信機にするならばどうだろうか。
負担を考えずに花弁へ取り込み、聖女としての力全てを情報受信に回せば、ほんのわずかな時間で受信は完了するだろう。
これは聖女が二人いるからこそ取れる手段。
たとえ機械仕掛けの神の起動が不完全でも、今はそれでいい。
「そう……。神の情報をコピーさえできれば、私はこの身に無敵の力を宿す、文字通りの神となる……」
ほくそ笑むフィクサーの視線の先。
触手に捕まったリーチェは、花弁の間近まで引き上げられていた。
本来想定されていない挙動だからか、引き上げの速度は非常にゆるやか。
だが、そのゆるやかな動きが、
「……え?」
がくんっ。
とつぜんに停止した。
何が起きたかわからぬまま、リーチェは眼下を見下ろし、そして気づく。
ノアが起き上がり、端末を操作して触手を止めたのだと。
「リーチェ様……」
「ノア……!?」
「今、そこから下ろして差し上げますね……」
頭から血を流しながら、必死に端末を操作するノア。
リーチェの体を捕らえた触手が、少しずつ下降していく。
だが、リーチェには見えていた。
必死に制御盤とむかい合うノアの背後、槍の穂先を彼女にむける教団兵の姿が。
「ダメ! ノア、逃げて!!」
声の限りの叫び。
ノアの耳にも届いたはず。
しかし、ノアはその場を動こうとせず、
ドスッ!!
「いっ……!」
右の肩に、穂先が突き刺さった。
「リ、リーチェ、様……。すぐに、お救いいたします……!」
槍が引き抜かれ、右腕がだらりと垂れ下がって動かなくなる。
おそらく腱を傷つけられたのだろう。
それでも、ノアは操作を続ける。
リーチェの下降も止まらない。
「私が、リーチェ様を、守ります……」
「こ、こいつ……! 操作を止めろ!!」
ガッ、ゴッ!
兵士に槍の柄で何度も後頭部を殴られる。
しかし、ノアは屈しなかった。
その場から動こうとせず、操作盤をかばうように体でおおう。
「もうやめて!! ノア、もういいの!!」
リーチェの目から、涙があふれ出す。
何度も頭を左右に降って、彼女は呼びかけ続けた。
「この、どけっ! 早く操作を——」
「……もういいでしょう。許可します」
苛立たしげな声と共に、フィクサーが命じる。
「殺しなさい」
「だめ!! やめてぇぇぇぇぇっ!!!」
ドスっ。
槍の穂先が、根本までノアの背中に突き刺さる。
胸の中心から穂先が飛び出し、口のはしから血を流して、
「リーチェ……さ……、愛し……いま——」
ノアは最期にリーチェを見上げて笑みを浮かべた。
槍を引き抜かれると、彼女の体は操作盤に力なく突っ伏し、ずるりと床へ倒れこむ。
どくどくと血だまりが広がっていき、ノアは動かなくなった。
「ノア……?」
リーチェが名前を呼んでも、彼女はピクリとも動かない。
「ねえ、ノア……。この私が、呼んでいるのよ……? 返事を、しなさいよ……」
なにも、言葉を発しない。
「ノア……。うそ……、うそうそうそうそうそ」
ノアは死んだ。
この世で唯一、命を捨ててでも自分を愛してくれた存在が、もうどこにもいない。
そう認識した瞬間、
「いや……、いやああああぁぁぁぁあっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
リーチェは絶望の叫びを上げる。
直後、彼女の中でなにかがブツリと切れる音がした。
「あ……、あ……」
教団兵の手によって端末が操作し直され、リーチェの体は再び花弁へと上昇していく。
リーチェは、もう一切の抵抗をしなかった。
瞳から光が消え、ぐったりとしたまま運ばれていき、意識を失っているベアトの隣に寝かされる。
「まったく、とんだ茶番劇でしたねぇ」
「あぁ、フィクサー……、なんてことを……」
「すぐにリーチェの体を吸収液でおおいなさい。体への負担は一切かまいません。どうせ使い捨てのパーツですから」
光を失った目から涙を垂れ流すリーチェ。
彼女の体に銀色の液体が襲いかかり、瞬く間に全身が飲み込まれる。
その瞬間、エンピレオ情報のダウンロードが急加速。
端末のディスプレイに表示されたパーセンテージが、一気に伸びていき——。
ドガァァァァァァッ!!!
「な、何事です!」
突如、部屋に鳴り響く破砕音。
この空間と通路をへだてる巨大なトビラが吹き飛ばされ、赤茶色の髪の少女がゆっくりと歩み出る。
「……あんたがフィクサー? 私のベアト、返してもらいにきたよ」