223 忘れたんだ
真下から文字通りの【神速】で突っこんできたそいつは、今の私にすら赤い線にしか見えなかった。
とっさに硬化刃で受け止めて、トーカを置き去りに私の体が突き上げられる。
同じ速度で縦穴を押し上げられて、ようやくソイツの姿が見えた。
……見える前から、誰だかわかってたけどね。
フルフェイスヘルムをかぶった、鎧の女剣士。
実力的にも因縁的にも、私を殺しにくるのはコイツしかいないと思ってた。
「……レヴィア、やっぱりアンタか」
「レヴィアとは誰だ。ボクはアレス、お前を殺す使命を受けた者だ」
……やっぱりコイツ、様子がおかしい。
じつはレヴィアじゃなかった、ってオチはないよね、さすがに。
とにかく、このままじゃ地上まで押し戻されちゃう。
左手を剣から離して、魔力をこめた手でつかみかかる。
炎対策として、水神の力で二の腕までを水につつみながら。
「煮えろっ!!」
「無駄だ」
だけど、のばした手はヤツの顔面どころか、それを守るフルフェイスヘルムにすら触れない。
アレスの全身が炎になって、私の腕が頭をすり抜ける。
「ムダ? そんなのわかってるよ」
こうなるのは計算通り。
お前ともう、何回戦ったと思ってんだよ。
【炎王】がどんな力か、バッチリわかってるっての。
拳に続いて、私の体もするりとヤツをすり抜ける。
攻撃を受け止めてた剣も、炎と化したヤツの剣をすり抜けて、アレスは私の上方向にすっ飛んでいった。
「……狙いはそっちか」
アレスの【炎王】が持つ体を炎化する力は、身に着けた服や持ってる剣もろとも、全部を炎に変えるんだ。
おかげで私は自由になれた。
……すこし熱かったけど。
「逃がさない……!」
「逃げないよ、ちょっと場所を変えたいだけ」
ぶっといワイヤーを蹴って、縦にたくさん並んでる両開き扉の一つへむけて飛ぶ。
練氣・金剛力で思いっきりぶん殴ってブチ破り、地下何階かわかんないけどとにかく廊下に飛び出した。
「ひ、ひぃぃっ!?」
避難中だったのかな。
たまたま近くにいた研究員が、ブッ飛んだトビラと私を見て腰を抜かす。
両手に抱えてたペラペラの紙の束がバラバラと舞い散った。
こんなヤツ殺す意味もないからスルーして、そのまま廊下を突っ走る。
さて、どっか戦うのにちょうどいい場所は……。
「場所を変える……? 死に場所など、どこでもかまわないだろう」
……探してるヒマ、無いみたい。
アレスのヤツが私を追い抜いて、一気に私の前まで回り込む。
コイツ、体中に練氣をまとって【神速】を使ってる。
前みたいな自滅はありえないか。
そもそも別人みたいに冷静なんだけど、何があったのさ。
「ご主人サマの隠れ家、そこら中メチャクチャにしちゃっていいの?」
軽口叩きながら、練氣でスピードと視力を強化。
【神速】の速さには、今の私でも素の状態じゃついていけない。
「何をも優先して貴様を殺す、聖女様じきじきの命令だ」
【神速】の力が乗った、超高速の蹴りが繰り出された。
食らえば間違いなく首がすっ飛ぶ威力だ。
体をのけぞらせてなんとか回避。
鼻の先スレスレを、ヤツのブーツが通りすぎた。
「聖女様、ね。あんた、なんのために戦ってるの?」
そのままバック転で距離を離し、カベに手をついて、一部分をマグマに変える。
浮かべたソイツを自動追尾で発射。
「知れたこと。聖女様の、大司教様の大いなる目的のためだ」
アレスのヤツは体を炎化すらせずに、ものすごい速度でマグマ弾を斬り刻んだ。
たぶん、一秒間に百回以上。
マグマの弾はみえないほどに細かく飛び散って、コントロール不能になってしまった。
「……それ正気?」
「正気でなくて、なぜ使命が果たせよう。ボクは人工勇者アレス。教団に歯向かう者に死を与える者」
「……はぁ」
なんだこれ、誰だコイツ。
「……ちがうだろ。アンタが戦ってた理由、それじゃないだろ」
「理解不能な話で、スキを生み出そうとしてもムダだ」
「そっか、忘れたんだ」
うすうす見当はついてる。
コイツがアレスになってからの狂人具合、そして圧倒的な強さ。
アレはきっと『三夜越え』のせいだ。
あの猛毒は、強くなることと引きかえに二つの副作用のどちらかを与える。
一つは記憶を失うこと、もう一つは人が変わったみたいになること。
リーダーは記憶の方、そしてコイツは人格に異常が出たんだろうな。
……で、それじゃあ使い物にならないから、教団は人工勇者に改造するついでになんかの方法で全部をリセットした、と。
「……なっさけないな、お前」
「なに……?」
練氣・鋭刃を発動して切れ味強化。
一気に距離をつめて突きをくり出す。
案の定、体を炎に変えられて、刀身がむこう側にすり抜けた。
「私だったら絶対に忘れない。どんなことをされても、死んでも殺されても、クレアや母さん、みんなのことは忘れない」
「なんの、話を……っ」
剣もろともヤツの体をすり抜けて、背後に回り込む。
アレスが振り向きつつ、横ぶりに斬撃をくりだした。
飛び上がってそいつを回避。
「なのにお前は忘れたんだ。あれだけ息巻いてたのにね」
「なんの話をしているっ!!」
空中で反転して、天井に両足をつきながら切っ先をヤツにむける。
練氣と同時に、【沸騰】の魔力を刀身にこめて。
そして、明らかにうろたえているアレスにむけて、言い放ってやった。
「お姉さんのこと。仇取るって言ってたのに、忘れたんだ。本当に情けない」
「あ、ね……?」
ひざをバネに、天井を強く蹴ってヤツにつっこむ。
お姉さんという単語を耳にして、動揺するアレスの脳天めがけ、最速の一撃を叩き込んだ。
ガギィィッ……!
金属を斬りつけた甲高い音がひびく。
ただし、残念ながら肉を裂いた手ごたえはナシ。
どうやら鉄仮面を割られた瞬間、剣がヤツの頭に届く前に体を炎化したみたいだ。
すぐに飛び離れて、ヤツと向かい合う。
「……っぐ」
カランっ。
真っ二つに割れたフルフェイスヘルムが、右と左にわかれて落ちる。
ヘルムの裏側、鼻のあたりにあるスペースから、緑色の粉が舞い散った。
(……なんだ、アレ)
なんかの薬か……?
正体を確かめたいところだけど、ヘルムは切断面から沸騰の魔力がまわって、グツグツのマグマへと変わっていく。
「あね……? 姉、だと……? くっ……、ねぇ、さん……?」
素顔の方だけど、アイツが片手でおさえてて確認できない。
左の手で顔の左半分をおおったまま、なんだか苦しそうなそぶりをしてる。
ひとまず、今の攻防でわかったこと。
【炎王】の炎化は自動じゃない、アイツの意志でやっているんだ。
そこにつけ入るスキがあるはず。
「姉さん……? 姉さんとは、誰の……」
「おい、いつまで隠してんだ。とりあえず顔、見せてみろ。見せないつもりなら——」
いつまでもそうやって悶えてるつもりなら好都合。
顔を隠してる左手ごと、一気に首を落としにかかる。
ブオンっ!!
「……チッ」
剣をふった時、もうそこには誰もいない。
炎化じゃなくて神速の移動術の方で、ヤツは攻撃を回避した。
しかも……。
「あぐっ!!」
背中に大きなナナメ傷が走った。
ギリギリで致命傷ではないけど、かなり深い。
傷口が焼かれてるからか、血はあんまり出なかった。
ただし痛みがものすごい。
奥歯をかみしめて、目に涙がにじむくらい。
「姉……? あね……?」
うわごとみたいにブツブツつぶやきながら、アレスがこっちをむいた。
顔をおおってた左手は、今は右手といっしょに剣をにぎっている。
つまり私、ヤツの素顔をとうとう拝んだわけだ。
「お前……」
「あねってなんだ……。わからない。わからないわからないわからない……!」
仮面に隠されてたアレスの素顔、思った通り確かにレヴィアだ。
……ただし、私が知ってるレヴィアの顔は右半分だけ。
左半分は火傷でぐちゃぐちゃ、原型もとどめてないくらいのありさまだった。