218 幕間 ジブンは誰?
さかのぼること五年前、ロッカの村で一人の村娘が落馬事故を起こした。
草むらから飛び出してきたイタチにおどろき暴れた馬から落下した、不幸な事故。
頭から地面に叩きつけられ重症を負った彼女は、母親の手で村を治める司祭の屋敷へと運び込まれる。
小さなロッカの村に、治癒魔法を使える者は司祭ただ一人だけだったからだ。
「お願いです、娘を、娘を助けてください……っ!」
頭から血を流し、ぐったりとした黄色い髪の少女。
トレードマークのメガネは割れ、出血量から見ても助かる可能性は五分と五分。
「……わかりました、最善を尽くしましょう」
治療を受けた司祭によって、少女の体は屋敷の奥へと運ばれていき——。
……そして数時間後、少女の死が両親へと伝えられた。
△▽△
「……ん? ここは……、いたっ!」
目を覚ました時、まず感じたのはお腹の痛み。
そうッス、たしかジブン、ソーマのヤツにお腹をぶん殴られて……。
「……もしかしてジブン、さらわれたッスか?」
あの時の状況を考えると、きっとベアトさんといっしょに。
でも、どうしてジブンが狙われるんスか?
ただの記憶喪失の村娘だってのに……。
「と、とにかく……」
まず大事なのは状況カクニン!
とりあえず、今いるトコは牢屋みたいッスね。
鉄格子でしっかりふさがれてるし。
ただ、汚い牢屋って感じはしないッス。
薄緑のツルツルな床とカベには、汚れ一つついてないッスから。
そもそも使われたことがない感じ?
「ベアトさんは……」
鉄格子に顔を押しつけて、外の様子を確認。
どうやら、近くにベアトさんは捕まってないみたい。
ただ、近づいてくる足音を耳が拾う。
コツ、コツ、コツと、こちらに近づいてくる足音を。
その足音の主は牢屋の前で足を止め、興味深そうにジブンを見つめた。
「あ、あの……。どなたさんですか? ジブンのこと、知ってたりするんスか?」
きれいなローブを身に着けた、栗色の長い髪の女の人。
どっかで見た覚えがあるんスが、もしかして記憶を失う前のジブンを知ってる人なんじゃ……。
「……驚きました。本当に記憶を失っているようですね」
やっぱり。
この人、ジブンを知ってる人だ。
ただ、良い人そうには見えないッスね……。
「いえ、記憶というよりは人格そのものが……。あの方の人格は休眠状態、といったところでしょうか」
「あ、あの……、なにを言って……」
「まあいいでしょう。今はあなたよりも優先すべきことがある。全ては新たなカミの誕生を祝ったあと、じっくりと……」
わけわかんないことだけを言って、女の人は牢屋の前から去っていく。
せっかく記憶を取り戻す手がかりになると思ったのに……!
「待ってください! 何か知ってるなら教えて——」
「……待ってください、ですって? 命令するというのですか? この私に?」
女の人が、ピタリと足と止めた。
それはいいんだけど、どう見ても怒ってるッスね……。
「……まあ、不問としましょう。元の魂を失った肉体に残るただの記憶の残骸に、いちいち腹を立ててはいられません」
「……え?」
記憶の……?
残骸……?
この人は、なにを言って……。
「さて、ソーマは勇者を仕留めたのでしょうか。そろそろ【機兵】を与えた者がもどる頃ですが……」
「あ……、ま、待って……!」
なにやら不穏なことをつぶやきながら、今度こそ女の人は行ってしまった。
ジブンがいくら声を上げても、もう足を止めずに、来た時と同じくコツコツと足音をひびかせて。
「魂を失ったって、ど、どういうこと……ッスか? だってジブン、ちゃんと生きてるッスよね……?」
胸のふくらみの真ん中、心臓の上に冷や汗まみれの手を押しつける。
バクバクと、不安になるくらい元気に動く心臓の鼓動。
確かに生きてる、ジブンは今生きている。
「そう、ッスよね……。間違いなく、ジブンは生きて——」
その時、頭の中にフラッシュバックした、残っている記憶の最後の部分。
草むらから飛び出してきたイタチにおどろいて、馬が立ち上がって、ジブンの体は空中に放り出されて……。
にぶい衝撃と、それから……。
それから、研究施設。
台の上に寝かされて、注射を刺されて。
そこで、なにかがプツリと途切れた。
「あ、あれ? あれ?」
頭によぎった一つの可能性に、体が震えだす。
もしかして、そもそもジブンは記憶を失っていない……?
『その時』に全ては終わって、最初から、五年分の記憶なんて存在しなかった……?
頭を抱えて、その場にうずくまる。
背中から汗が流れて、呼吸が乱れる。
心臓の音が、耳の奥でバクバクとうるさい。
「あ、れ……? だとしたら、だとしたら……」
だとしたら、ジブンはいったい誰なんスか……?
△▽△
「勇者たちは無事、ソーマを倒したようね」
「残念そうな顔。死んでほしかったのかな?」
キリエたちからはるか離れた場所で、グレーの長髪をなびかせた女魔族が戦いの終わりを感じ取る。
眠たげな目をした金髪の女騎士は、となりにたたずむ彼女の表情に不思議そうに首をかしげた。
「ここで死んでもらっては困る。ただ、奴らの勝ちを手放しで喜べないのもまた事実よ」
忌ま忌ましげに顔をゆがめるノプト。
親愛なるお姉さまをあのような姿にした勇者キリエの勝利を願わなければならないとは、必要なこととはいえ、耐えがたいものがあった。
「……いざとなれば私たちが出ていくしかないけれど、できれば存在を明かしたくない」
「複雑だね。全員殺せばいいだけなのに」
「全員、というわけにもいかないでしょう。一人でも生き残りが出れば、歯車が狂ってしまう」
「あの方に早く会いたいのに……。会えない日々は本当につらいものなの……」
「つらい日々……? あなた、つらそうにしていたかしら」
「してたよ? あの方の人格を封印しなきゃいけなかったんだよ? あんなデタラメの手記まで残して、いくらあの方の望みでも、とってもつらかったの……」
「……そう」
悲しげに語る『第二号』に、ノプトが返す反応はじつに淡白。
ただ彼女は機械的に、自らの【遠隔】がマーキングした『彼女』の反応を追う。
味方と認定した者は、距離に関わらず反応を追えるこの能力。
『彼女』がさらわれたことで、ノプトたちは人造エンピレオの居場所を突き止めることができた。
「……行くわよ。勇者たちに気づかれないよう、十分以上に距離を取って」
「わかったの。でも、早くあの方に会いたいの……」
人工勇者を生み出す実験と、その果てにある勇者の蘇生実験。
この二つの足がかりとするべく、今から五年前、とある実験が行われた。
実験の舞台となったのは、ロッカという小さな村。
この村を治める司祭の屋敷、その地下に隠された『人造生命体研究所』。
実験内容は、勇贈玉に込められた勇者の魂の移植。
実験のために必要とされたものは、勇贈玉と、命を落としたばかりの新鮮な人間の肉体。
現在のところ、魂の移植実験における唯一の成功例である。