209 伸ばした手
ベルナさんから教えてもらった、【月光】の力。
それは想像を絶するものだった。
月の光を操るギフト【月光】。
体を月の光に変えて、月が照らしている範囲ならどこにでも瞬間移動ができる。
普段ならチャージに長い時間が必要。
さらには一定の人数しか運べず、人数が増えるごとに移動距離も短くなる。
ただし、満月の夜に限って全てのリミッターが外れ、どこにでも何人とでも、一瞬で移動することが可能。
ほかにもいろいろとできるらしいけど、何より厄介なのがこの瞬間移動能力だ。
「つまりだよ、ヤツがベアトを捕まえたら、その時点ですべては終わりってことじゃんか……」
触れられたら終わり。
その点ではアイツ、私といっしょってワケか。
「だからこそ、あなたに教えておかなければなりません」
「教えるって、何を……」
「ピレアポリスから北の方角に馬車で数時間の距離、ノスピスの森と呼ばれる場所があります。人造エンピレオが作られている研究施設はそこに——」
「ちょ、ちょっと待って、その情報はありがたいけど、今じゃなくても……」
「リーチェとフィクサーは、先ほどソーマの瞬間移動でそこに運ばれました。彼女たちは、今夜全てを終わらせようとしている。あなたを殺して、ベアトをさらうことで」
「……でも、私は生きている」
つまり、この人の言いたいことは……。
「……もしもベアトがさらわれたら、そこに向かえってこと?」
「あなたには酷かもしれませんが、可能性は限りなく高い」
そんな想定、絶対にしたくない。
ベアトを守り切れずに奪われるなんて、そんなこと絶対に。
「ベアトが生体パーツとして取り込まれるまでには、かなりの時間がかかります。おそらく、タイムリミットは夜明け頃でしょう」
「……ありがとう。その情報が今夜、役にたたないことを祈ります」
本当、役に立たないでほしい。
……それにしてもこの人、かなり深い事情まで知ってるな。
リーチェのそばに仕えてたのと、何か関係あるんだろうか。
……と、見えた、クレールさんの家だ。
光の柱で破壊されたんだろうな、完全に崩壊してる。
それから、ガレキの中にリーダーたちが立っていて、トーカとグリナさんが倒れてる。
そしてベアトのそばに、やっぱりアイツがいた。
「ソーマ……っ!」
あのクソ野郎を目にした瞬間、殺意が一気に燃え上がる。
……ただ、気になることもあるんだよね。
「おい、さっきの爆発なんだよ……?」
「私見た! 光の柱がずどーんって、すぐそこに降ってきて爆発したの!」
「こっちの方だよな、行ってみようか」
あんだけハデな攻撃だ。
当然街の人たちにも目撃者はいっぱいいて、大通りや周りの家から人が大勢集まろうとしていた。
(ソーマはたぶん、一般市民に自分の姿を見せたくない。なのにこの状況を作ったってことは……)
姿を見られない自信があるんだ。
今夜のアイツには圧倒的な力と、一瞬ではるか遠くまで移動できる手段があるんだから。
「とにかく急がなきゃ……。ベルナさんはここで待ってて」
「はい……。どうか、娘を頼みます」
「……頼まれなくても、ベアトは守るよ」
すぐそばの民家の屋上でいったん足を止め、ベルナさんをその場に下ろす。
目で見える程度の距離なら、今の私にとっては目と鼻の先だ。
練氣・月影脚を発動して、膝をバネ代わりに深く体を沈め、一気に飛び出した。
ソーマのクソ野郎にめがけて、一直線に。
両手に沸騰の魔力をこめて、狙うはヤツの後頭部。
(この一撃で終わらせる! ベアトには指一本触れさせない!)
私に気づかないうちに、脳みそはじけさせてやる。
空気の層をブチ抜いて、一瞬でソーマの真後ろに到達。
右腕を振りかぶって、首をちぎり飛ばす勢いで——。
「見え見えですよ、勇者キリエ」
「な……っ!」
ブオンッ!
……勢いで放った拳は、空振りに終わった。
命中の直前、ニヤリと笑ってふりむいたソーマが、直後に瞬間移動でかわしたからだ。
私の速度についてこられるなんて、こいつ、身体能力まで上昇してるのか……?
いや、それよりも、こいつをかわされたってことは……。
「あいさつもなしに人を殴りにくるとは、いささか礼儀を失しすぎてはいませんかねぇ」
攻撃の勢いで向きを反転しながら着地、地面をすべりつつ背中の剣を引き抜く。
私がにらみつける先には、余裕たっぷりに笑ってやがるクソ野郎。
だいたい二十メートルくらいの距離を、一瞬で離された。
しかも……!
「……っ! ……っ!!」
「いた……っ! は、離すッス……! どうしてジブンを……っ!」
「ベアトっ!!」
ベアトと、なぜかクイナさん。
二人の腕をそれぞれにつかみ上げて、ひねり上げている。
あの野郎、ベアトが痛がってるじゃんかよ……!
「この、離すッス、このおハゲ!!」
「私は坊主頭なのですがねぇ……。口の減らないお嬢さんにはお仕置きが必要ですか……」
クイナさんをつかんでいた手を、ソーマが唐突に放す。
暴れてたクイナさんがよろけてバランスを崩した直後、
ドボォっ!
「が……っ」
「……っ!!」
ソーマの拳がお腹にめり込んで、クイナさんは気を失った。
ぐったりしたあの子の首根っこを改めてつかんで、
「……っ」
「うふふっ、ご安心を」
怯えるベアトに気味の悪い笑みをむける。
「あなた様には危害を加えませんよ。大事な大事なお体ですからねぇ……」
目尻に涙をためて震えるベアト。
今すぐ飛び出していって、ソーマの野郎をブチ殺したい。
……でも、この状況でブチ殺せるのか?
ベルナさんから聞いた話が正しければ、こいつはすぐにでもベアトたちをさらえるんだ……!
「キリエちゃん、無事でなによりだ。だが、ヤベェ状況には変わりねぇな。胸くそ悪りぃ野郎だぜ……」
「リーダー……」
リーダーが私の横に進み出て、私と同じように武器をかまえる。
この人にはまだ少し余裕が見えるけど、それはアイツの能力を知らないからだ。
「ちがうんだよ、ヤバいなんて生ぬるい状況じゃないんだ……」
「あはははっ、よくわかっているじゃありませんか!」
高笑いしたあと、またソーマの姿が消えた。
現れたのはベルナさんを残してきた民家の屋上。
あの野郎、遊ぶのをやめたってことなのか、私との戦いを避けてベアトをさらうためだけに動いてる。
「……しかしベルナ、あなたがここにいるということは、あの男はしくじりましたか」
ソーマがベルナさんに、冷たい視線を送った。
ベルナさんは利用されてただけなのに、役立たず、とでも言いたげな顔で。
「この作戦、唯一の誤算はそこでした。勇者殿に生きていていられると、とても困るのですが……ねっ!!」
ドガッ!
「あ、あぁう゛っ!!」
そしてベルナさんを蹴りつけ、倒れたあの人の背中をクツ底で踏みにじる。
「あの野郎……! 好き勝手やりやがって……!」
私のとなりでリーダーが怒ってる。
でも、私の頭の中はベアトでいっぱいだった。
……この状況、もうベアトを救う手段はない。
そして、私が生きていること、それがこいつらの唯一の誤算。
わかってる。
わかっていても、ベアトをみすみすさらわせるなんて出来るかよ!
「ソーマッ! ベアトを返せッ!!」
全力で踏み切って、屋上をめがけてジャンプ。
力の限り、ベアトに右手をのばす。
「ベアト、ベアトッ!!」
「……っ!!!」
ベアトも私にむけて、掴まれてない方の手を精一杯のばした。
もう少しで掴めそう、ベアトの手と指が触れ合いそうで——。
「ではでは、ごきげんよう。二度と会わないことを祈っていますよ」
「やめろ、行くな! ベアト、行かないで!」
「……っ!」
だけど、ダメだった。
触れ合う寸前、ベアトはそこからいなくなった。
ソーマとクイナさんと、踏みつけられたベルナさんごと姿を消した。
私の伸ばした手は、何もつかめずに。
「……っああああぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
やり場のない怒りと無力感がごちゃ混ぜになって、私は叫んだ。
叫んでもどうにもならないってわかってても、叫ばずにはいられなかった。