02 また、明日
馬車の中から飛び下りて、生まれ故郷の土を踏む。
いやー、帰ってきた帰ってきた。
湯沸かし勇者さまを送り届けたお役人様が、露骨に舌打ちしながら馬車の扉を乱暴に閉める。
馬がびっくりしてたけどいいのか、デリケートな生き物なんだぞ。
馬車が走り去っていくと、なんか解放された気分。
雪深い山の中、木々に囲まれたリボの村。
私が帰ってくるって知らされてないから、みんなびっくりするだろうな。
いたずら心がムクムクしてくる。
「……あ、あれっ!? キリエじゃん!」
薪の束を抱えて歩いていた我が親友アルカが、村の入り口で突っ立ってた私の存在に気付いた。
期待通りのびっくりリアクションで、こっちに走ってくる。
あはは、薪投げ捨ててるし。
「帰ってきたの? なんで!?」
「帰ってきたよー。戦力外だって、慰めてー」
「なーるほど。戦力外なら仕方ない。……村中に言いふらしてこよーっと」
「待ってアルカ待ってやめて恥ずかしいからー!!」
笑い合いながら、村中を追いかけっこ。
なんか昔を思い出すなー。
年の近い子はアルカだけだったから、よくこうやって遊んだよね。
あ、アルカはこのあと家の人に、薪ばら撒いたの見つかって怒られました。
親友とじゃれ合ったあとは、いよいよ我が家へ。
少し緊張するけど。
戦力外で帰ってきました、とかどんな顔で言えばいいのやら。
「た、ただいまー……」
遠慮がちにドアを開けて、恐るおそる中をのぞく。
食器を洗ってる最中の母さんと、バッチリ目が合っちゃった。
「キ、キリエ……?」
「はい、キリエです……。恥ずかしながら、帰って参り——」
最後まで言えずに、駆け寄ってきた母さんに強く強く抱きしめられた。
父さんが七年前に死んで以来、私と妹を女手一つで育ててくれた母さん。
優しい匂いと温もりに、涙が出そうになっちゃう。
「もう、もう会えないと思ってた……。よく帰って来てくれたわね、キリエ……」
「ちょ、母さん、泣かないでよ。私まで泣けてきちゃうじゃん」
なんとかこらえたよ、ギリギリで。
だって妹も見てるんだもん、姉として情けないとこ見せられないでしょ。
「お姉ちゃん、本物……?」
「本物だよー。クレアのお姉ちゃんだよー」
「お姉ちゃん……。お姉ちゃんだーっ! おねーちゃーんっ!!」
もうお姉ちゃんしか言ってないぞ、我が妹よ。
母さんに続いて、クレアも私に抱きついてくる。
そうだよね、受け入れてくれるに決まってるよね。
私の家族だもん、大切なひとたちだもん。
○○○
その日の夜のごはんは、私の好きなスノーラビットの揚げものだった。
大好きな味、我が家のおふくろの味。
「母さんの料理、やっぱおいしい!」
岩塩の効いた、こんがりとした色の肉。
噛めば肉汁が染みでて、お城の料理よりおいしいよ。
「あらあら、ありがとね」
「クレアも、このお肉好きー!」
もう二度と戻ってこないと思ってた、家族の団らんのありがたみ。
改めて身に染みた。
私の力がショボすぎてお城を追い出されたって知っても、二人は笑いもせず受け入れてくれた。
いつかは誰かとどこかに旅立つかもしれないけれど、今はここが私の居場所なんだ。
夜もどっぷりと更けて、外は真っ暗。
家の中の頼りないランプの明かりだけが頼りだ。
王城の中は一日中明るかったけど、やっぱりこっちの方が落ち着くな。
それにしても、冬の夜は空気が冷たい。
「母さん、明日は薪割り手伝うね。あと、原木の出荷も」
「あら? どんな心境の変化?」
「もう! 手伝うって言ってるのにやる気削がないでよー……」
「ふふ、冗談よ。ありがとうね」
荒れた手で、頭を撫でられる。
なんか子供に戻ったみたいで気持ちいい。
ボロボロの手でさ、ここまで育ててくれてありがとうね。
これからは私が家事とか仕事、手伝うから。
……ってのはちょっと恥ずかしいし、まあ明日でいいよね。
そんなのいつでも言えるんだからさ。
「お姉ちゃん、もう寝るの? クレアも一緒に寝るー!」
「一緒にって、私のベッド狭いよ? クレア大きくなったし、ぎゅうぎゅうで寝れないよ?」
「ぶぅー。じゃあ眠くなるまでお話しよ?」
「うん、まあそれならいいよ」
「やったー! じゃあさ、じゃあさ、はやく行こうよー!」
十歳って言っても、まだまだ子供だね。
甘えたい盛りなのかな。
私の手をぐいぐい引っ張って、寝室に連れてこうとする。
「分かったってば、引っ張らないでって。それじゃあ母さんお休み、また明日ね」
「ええ、お休み」
穏やかな笑顔の母さんと、また明日、そう言い交わして寝室のドアを閉めた。
「もう、それでクレア、お話って何するの?」
「あのねあのね、えーっと、お城の話!」
「いーよ、あんまいい思い出ないけどね……」
ベッドに腰掛けて、お城の豪華さや食事なんかを教えてあげる。
嫌な部分はごっそり削ぎ落して。
そのうちに、クレアはこっくりこっくりと頭を上下させ、舟をこぎはじめた。
「眠い?」
「まだ、おきてゅ……」
「眠いんでしょ、また明日。ね?」
「やぁ、もっとお姉ちゃんといっしょに……。むにゃぁ……」
「……寝ちゃった」
とうとう私に寄りかかって、すっかり夢の中。
重たいなぁ、少し前まですっごくちっちゃかった気がするのに。
私と同じ、茶色の髪を優しく撫でて、抱きかかえる。
クレアのベッドに送り届けるために。
この子の部屋と私の部屋は、一つのドアで繋がっているから行き来は簡単。
ベッドの上に寝かせて、布団をかけて。
「これでよし! ……ん、これって」
テーブルの上に、白い翼の形をした髪飾りがあった。
ちょっと形は悪いけど、きちんと使えそう。
そして、髪飾りの下には手紙が。
『おねーちゃん、おたんじょうびおめでとう』って、なんとか読める字で書いてあった。
「……なーるほど。私へのプレゼント、渡しそびれちゃったんだ」
私がお城に連れて行かれたから。
私の誕生日に向けて、作ってくれてたんだ。
「ありがとね、大事にするから」
鏡の前で、左側の前髪を留めてみる。
茶色くて飾り気のない、肩まで伸びた髪に、いいアクセントがついたんじゃないだろうか。
寝息を立てる愛しい妹の頬に、感謝の口づけ。
明日になったらちゃんとお礼を言おう。
「お休み、クレア」
言い残して、私は妹の部屋を後にした。
髪留めは付けたまま、ベッドに入って横になる。
ちょっと固くて寝心地はそこそこだけど、お城のベッドよりも、ずっと落ち着くなぁ……。
○○○
今は何時だろう。
外から、誰かが走りまわる気配がする。
家の中に、誰かがいる気がする。
暗い部屋の中、目を開く。
視界に映ったのは、私に両刃剣の切っ先を向ける見知らぬ男。
「……っ!?」
悲鳴すら出なかった。
かぶっていた布団をつかみながら、枕とは反対の方向へ飛び起きる。
私のいた場所に、心臓があった辺りに、剣が突き立てられた。
間違いない、私を殺そうとしている。
考えてる暇もない。
手にした布団を頭からかぶせて、視界を奪う。
思わぬ反撃にパニックになったのか、男がもがく間に、私は剣を奪い取った。
どうして素人の私にこんなことが出来たのか、火事場の馬鹿力ってやつなのだろうか。
とにかく無我夢中。
奪った剣を握りしめ、男の腹に突き立てる。
「あがぁぁっ!!?」
肉を裂く、嫌な手応え。
剣を引き抜き、もう一度突き刺す。
突き刺す、突き刺す、突き刺す。
男はひざを折り、崩れ落ちた。
痙攣を始めたが、まだ生きてるかもしれない。
ピクリとも動かなくなるまで、突き刺し続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ」
気が付くと、私の腕は返り血で真っ赤に染まっていた。
初めて人を殺した。
でも今はそれどころじゃない。
どうしてこんなことに、この男は誰なんだ、野盗か何かか。
布団を剥がして、姿を確認する。
一見すると、野盗そのものの軽装備だけど。
「はぁ、はっ……。そ、そうだ、母さんは、クレアは……? 無事、だよね……?」
そうだ、家族は。
きっと無事に決まってる。
この男はきっと、最初に私の部屋に入って来たんだ。
剣を奪い取った時、もう刀身に血がべっとりだったなんて、きっと記憶違いだ。
「無事……。そうに決まってる、無事だよ、無事に決まって……」
震える手で、ドアノブをひねる。
クレアの部屋へと続く扉を開ける。
「……あ。あぁ、あああぁぁあああ」
自分でも聞いたこともないような情けない声が、口から勝手に出てきた。
リビングとクレアの部屋の間、ドアを開けた直後に刺されたのだろう。
母さんが、死んでいた。
そして、ベッドの上では。
「うああぁぁ、なんで、あああぁぁああぁぁぁ……」
妹が、目を見開いたまま、ピクリとも動かない。
布団が、小さな体が、真っ赤に染まっている。
明日言えばいいやなんて、なんで今日言わなかったんだ。
明日なんてもう、二人には永遠に来ないのに。