199 勝利のおまじない
「待ちな」
ベアトを追っかけて階段を上がる途中、クレールさんに呼び止められた。
いったん足を止めて、言われた通りに待ってると、私の二段くらい下まで上がってきたクレールさんに、いきなり大きなため息をつかれてしまった。
「はぁ〜……。大事な孫娘をあんたに任せた、あたしがバカだったのかねぇ……」
「え、と……」
どういう意味さ、それ。
ベアトのことはちゃんと守ってるのに。
「あんた、ベアトのことをどう思ってる」
「へっ……? そ、そりゃ、その……」
いきなりなんてこと聞くんだ。
ベアトのことは、そりゃ好きだし大事だよ。
かわいいし、いい匂いもするし、ちっちゃくて細いのに頑張り屋で、自分のことより他人のことを優先して体を張る、まるで天使みたいな……。
これ全部、口が裂けても言えないや。
「もういい、全部顔に書いてある」
「か、顔、出てました……?」
「出てたね。普段無表情なくせに、ゆるゆるになって気持ち悪い」
「きもっ……」
それはさすがに傷つくよ。
私だって女の子だよ。
「ベアトも同じなんだろうね、きっと。だからあんな風にやきもちを妬いたんだ」
「やきもち……? ベアトが、誰に……?」
「あんたに決まってんだろ。エルフの女の子ばっかりかまってて、ベアトを完全にほったらかしてたじゃないか」
わ、私そんなことしちゃってた……?
確かにベアトが出ていっちゃったのにも気づかなかったけど……。
「どうやら自覚がないみたいだね。あの子があんたのことをどれだけ好きか」
……自覚がない、なんてことはない。
ない、と思う。
うぬぼれじゃなければ、きっとベアトは……。
だけど。
「……ダメ、なんです」
「ダメ? なにがさ」
「私なんかといっしょになったら、ベアトはきっと幸せになれない。だって、だって私は……」
キレイなあの子と違って、私は身も心も血にまみれて汚れきってる。
こんな私じゃ、あの子を不幸にするだけ——。
スッパァァァァァン!
「あいった!」
思いっきり頭をスリッパで叩かれた。
無防備なところに食らって、衝撃が脳天から鼻へ抜ける。
クッソ痛い。
「何を言うかと思えば、くだらない。うぬぼれてんじゃないよ!」
「うぬぼれって……、ただ私は、私といてもあの子は幸せになれな——」
「ベアトの幸せはベアトだけが決められるんだ。あんたが勝手に決めてんじゃない!」
「……っ」
クレールさんの言葉が、私の胸に突き刺さる。
そうだ、ベアトが望んでることを私が否定しちゃいけない。
そして今あの子が望んでるのは、きっと私に追いかけてきてもらうこと……だよね。
「……クレールさん。ベアトのトコ行ってきます」
「……ま、話す時間くらいはくれてやるよ」
クレールさんが一階へと降りていく。
反対に私は、ベアトが待つ二階へ。
ベアトは私の心を照らす光、ベアトの幸せが私の幸せ。
あの子が望むなら、なんだってしてあげたいと思ってる。
でも、あの子の望みが本当に私なら、私はどうしたらいいんだろう。
どうすれば、いいんだろう……。
〇〇〇
……私、最低です。
リフさんの頭をなでなでしているキリエさんを見て、ぷっくらふくらんだおもちさんがとうとう破裂しちゃいました。
聖地の入り口で破裂しそうになっちゃった時は、怖かったってことにしてなんとかごまかせたのに……。
あんな小さな子に嫉妬するなんて、情けないです……。
「……っ」
おもわず逃げ込んでしまったここは、おばあちゃんの家に泊まる時によく使わせてもらったお部屋。
少し小さなサイズのベッドと、お部屋のすみにはこども用のおもちゃが入った箱があります。
(とっても懐かしいです……。でも、いつまでもここに隠れてちゃダメですよね)
きちんとキリエさんに会って謝らなくちゃ。
そして、危ない場所に行くあの人を応援して、準備を手伝ってあげなきゃいけません。
なけなしの勇気をふり絞って、その場を立ち上がります!
コンコン。
「ベアト、ここ?」
「……っ!?」
キ、キリエさん!?
どうして私がここにいるってわかったんですか!
と、とにかく落ち着いて、ドアを開けます。
「あ、やっぱりいた」
「……」
キリエさん、お部屋に入ってきました。
いきなりで心の準備ができてませんが、はやく謝らないと。
羊皮紙を取り出して、羽ペンを手に持って……。
「ベアト、ごめん!」
「……っ!」
ごめんなさいって書こうとしたら、キリエさんが先に頭を下げちゃいました。
「あ、いきなり謝られても困るよね。私さ、ベアトがリフちゃんにやきもちやいてるなんて気づかなくて。ベアトのこと傷つけちゃったよね……」
「……っ」
ふるふる、ぶんぶん。
頭を左右にふって、必死にアピールです。
『ちいさなこにやきもちやいちゃった、わたしがおとなげなかったんです! キリエさんはわるくありません!』
「……ありがと、やっぱりベアトは優しいね」
そしたら、キリエさんが頭をなでなでしてくれました。
とっても気持ちいいです。
心がポカポカ、暖かくなります。
「……うん、話は終わり。みんなのトコに戻ろうか」
「……」
でも、それでおしまい。
キリエさんはすぐに手を引いて、私からも離れてしまいます。
この人はいつもそうです。
出会ったころから必要以上に他人とかかわることを避けて、距離を取るんです。
ブルトーギュを倒してからは、少しずつ変わっていきましたが……。
それでも、時々キリエさんとは距離を感じるんです。
私は、あなたのそばにずっといたいのに。
「……っ!」
「っと。な、なに……?」
離れていく手をとって、軽くほっぺを膨らませます。
私の気持ちをわかってくれないキリエさんに抗議です。
……無言の抗議じゃ困らせちゃうだけですよね、ごめんなさい。
「……っ」
さらさら、ペンを走らせます。
言葉にしないと、気持ちは伝わりませんから。
『しゅっぱつまで、キリエさんとふたりだけでいたいです。おはなししたいです。ひざまくらしてほしいです』
「ベアト……」
ちょっと恥ずかしいけど、キリエさんは気持ちを言葉にしてくれないから。
だからそのぶん、私ははっきり伝えますよ。
『キリエさんを、ひとりじめしたいです!』
「……わかった。いいよ、ベアト。夕方まで二人でいよう」
「……っ!」
よかった、やっぱり気持ちはしっかり伝えるものですね。
それから私はキリエさんにひざまくらされながら、いろんなお話を聞きました。
村で暮らしていた時のこと、家族のこと、友達のこと。
昔のことを話してくれるなんて初めてのことです。
幸せだった時間を、ひざに乗せた私の頭をなでながら話してくれるキリエさん。
この人の幸せは、過去にしかないのでしょうか。
「……」
私、思うんです。
キリエさんは自分のことが大っ嫌いだって。
大っ嫌いだから、そんな自分が幸せになる資格なんて無いんだって決めつけてるんです。
あなたのことを好きな人はたくさんいるのに。
ここにも一人、いるんですよ……?
「……もう日が沈みそうだね。こんなに長く話したの、初めてかも」
キリエさんに言われて、窓の外が赤くなり始めているのに気づきました。
日が沈む、つまり出発の時間が近いということ。
キリエさんがもうすぐ、危険なところに行ってしまう。
もう二度と会えない可能性だってあるんです。
「ごめん、そろそろ準備しなきゃ。ベアトのためにも行かなきゃいけないから」
私のため……。
そうです、今のキリエさんが戦う理由は私のため。
私のために、キリエさんは身をけずって……。
「私なんかがベアトのためにできることなんて、戦うことくらいだからさ」
やめてください。
そんな風に自分のことを軽く扱わないで。
あなたが危険な目にあうたびに、私の胸は張り裂けそうになるのに……!
「……っ!」
「べ、ベアト……っ!? なにを……」
もう、胸の中も頭の中もぐちゃぐちゃになってしまいました。
ただ気持ちのままに体が動いて、なにも考えず勢いだけに任せて。
ちゅっ。
キリエさんのほっぺに、キスをしてしまったんです。
「え……」
キリエさん、ほっぺに手をあててぼうぜんとしています。
当たり前ですよね。
でも、仕方なかったんです。
キリエさんへの感謝とか、大好きって気持ちとか、行ってほしくないなんてワガママまで、全部がまざってわけが分からなくなってしまったんです。
「っ……」
でも、いきなりこんなことされて黙ってたら、キリエさんを困らせちゃいます。
混乱する頭でどうにか理屈をつけて、
『ぶじにもどってこられるように、しょうりのおまじないです!!』
苦しい言い訳をしてしまいました。
「……そっか、勝利の……。うん、ありがとね」
ぽん、と頭をなでてくれるキリエさん。
窓からのぞく夕焼け空や、あなたの顔と同じように、私の顔も真っ赤になっちゃってるんでしょうか……。