192 月夜の来訪者
部屋割りを決める時、ボクはいつも兄さんと別の部屋を希望する。
あの人にだけは、ボクの秘密を知られたくないから。
だから今回もいつものようにそう望み、兄さんもいつものように何も聞かずにうなずいた。
グリナが豪快な寝息を上げ、クマのぬいぐるみを抱きしめたリフがスヤスヤと眠る。
(なんだか、寝付けないな……)
ボクの寝床は三つ並んだシングルベッドの、窓際のベッド。
なぜだか気持ちが落ち着かず、カーテンをめくってマドの外に浮かぶ月を見上げた。
白く光る、丸く大きな空の玉。
あれが落ちてきたら、いったいどうなるんだろう。
そんなくだらないことを考えていると、一瞬、月に人間のシルエットが重なった気がした。
(なんだ……?)
見間違いか、と思ったのもつかの間、それが現実だったと思い知らされる。
「やあ、こんばんは。今宵は月がきれいですな」
「……っ!」
耳元で聞こえた声に、全身に鳥肌が走る。
ベッドの脇をにらむと、神官服の男が笑みを浮かべて立っていた。
「神官ソーマ……!」
「ごきげんよう。人間らしい暮らしを楽しんでいるようですねぇ、失敗作にもかかわらず」
「黙れ……!」
「今はケルファなどと名乗っているのですか? これは滑稽っ! あなたはそもそも、人間と呼べるかすら——」
「黙れッ!!」
自分でもおどろくような怒鳴り声が飛び出した。
ボクの最も触れられたくない部分に、こいつはズカズカと……!
「ボクは人間だ! 誰がなんと言おうと……!」
「おやおや、そんなに大きな声を出すと誰かに気づかれてしまいますぞ。特に勇者殿には気づかれたくないですなぁ」
「そいつは好都合だね……! あの人を呼んでやればお前は終わりってわけだ……」
「そしてあなたも終わる。あなたが自分の意思で勇者殿を呼んだ場合、あなたの秘密を暴露します。当然、バルジも知るところとなる。真実を知った時、果たしてあなたの大好きな兄さんは、以前と変わらない接し方をしてくれるでしょうかねぇ……」
「……っぐ!」
コイツ、どこまで腐ってるんだ……!
ボクに力があれば、この場でひねり殺してやるのに……!
「……いったい何の用だ。ボクを連れ戻しにきたのか?」
「いいえ、まったく違います。あなたのような廃棄寸前だった失敗作、惜しいわけがないでしょう。『彼女』の方ならばともかく、ねぇ?」
「だったら……」
「簡単です。今から言うことを実行してくれるだけでいい。そうすればバルジだけは殺さずにおいてあげます。そして教団があなたを追わないことも約束しましょう。大好きな兄さんと、ずっといっしょにいられるのですよ?」
その提案、たしかに非常に魅力的だね。
だけど、こいつらが約束を守るとはとても思えない。
利用するだけして、最後は兄さん共々殺されるに決まってる。
「断る、と言ったら?」
「あなたの秘密をバルジに話す、それだけです」
「…………」
こいつもしっかりわかってる。
そっちの方が、ボクにはずっと効くってことを。
「なにを……、すればいい……」
〇〇〇
なぜだか、目を覚ましてしまった。
目の前には静かに寝息を立てるベアトの寝顔。
沸き上がる気持ちに任せて、やわらかいほっぺをなでて、髪に指をすべらせる。
だけど、私がこの子に触れていいのはそこまでだ。
(こんなに優しくてきれいな心を持った天使みたいな子に、血にまみれた私がこれ以上を求めちゃいけないんだ)
きれいなベアトを、汚い私でよごしちゃいけない。
だから、ずっとこの距離のままで。
これ以上近づいたらダメなんだ。
(それにしても、どうして目が覚めたんだろ)
ベアトといっしょに眠れば、必ず幸せな夢が見られる。
いつもそのまま、朝までぐっすりのはずなんだけど……。
「…………。……なにか、いる?」
小さな小さな気配を感じる。
気のせいだと片付けてもしかたないくらいの。
だけどその小さな気配、これまで何度か顔を合わせたアイツの、神官ソーマの気配にそっくりなんだ。
「まさか……っ」
ヤツがすぐそばに来ている?
だとしたら、目的は……。
ともかくこうしちゃいられない。
起きちゃった原因もわかったところで、ベッドから跳ね起きて部屋を飛び出した。
ソーマの気配を感じるのは、右ナナメ向かいの部屋。
たしかあそこはグリナさんとリフちゃん、それにケルファが寝ている部屋だ。
扉を壊さないギリギリの力加減で、ドアノブをひねって思いっきり開け放つ。
部屋の中には寝ている二人、それからケルファと、
「ソーマァァァァッ!!」
殺したいヤツランキング、暫定一位のクソ野郎がいやがった。
「うお、なんだぁ!?」
「ひゃわ……っ」
ドアを乱暴に開けた音と私の怒鳴り声で、グリナさんとリフちゃんが飛び起きる。
この二人、同じ部屋にいたソーマに全然気づいてなかったからか、ただただ驚いてキョロキョロしてる。
「おやおや、勇者殿。ずいぶん早く気づかれてしまいましたなぁ……」
でも、二人と違ってケルファは起きてた。
私が扉を開けたとき、ソーマと面とむかってなにかを話してた。
「……あんたがここでなにしてたのか、殺してから聞いてやる」
「くくっ、どうやらここまでのようですな……」
この神官がなにをたくらんでいようが、私がやることはただ一つ。
こいつをぶち殺すだけだ。
「そうだよ、お前はここまでだ!」
【沸騰】の魔力を手にこめて、全速力でソーマにつかみかかる。
ヤツの反応は明らかにワンテンポおくれた。
どれだけ早くても、もう回避は間に合わないはず。
だけど……、
「では、ごきげんよう……」
顔面をわしづかみにする直前、ヤツの姿が消えた。
「な……っ、また……っ!」
一瞬だ。
一瞬でヤツはどこにもいなくなった。
窓もトビラも開けずに、最初からそこにいなかったかのように。
残されたのは何もない空間に手をのばす私と、最初から部屋にいた三人だけ。
やっぱりヤツの【ギフト】、逃げに特化した瞬間移動の能力で間違いなさそうだ。
「どうした、何があった!」
ヤツが消えてすぐ、リーダーが部屋に飛び込んできた。
私の声を聞きつけて、飛び起きたんだろうな。
「……っ?」
それと、少しおくれてベアトも入ってくる。
ベッドから飛び出したときに、起こしちゃったみたい。
胸の前で手をにぎって、不安げにキョロキョロしながら私のところへ。
「……リーダー、ソーマがいた。殺そうとしたんだけど、瞬間移動で逃げられた」
「……っ!」
「なんだと、あの野郎が……! やはり俺らの位置、敵に筒抜けだってことか……」
もう間違いない感じだね。
この町、それなりの数の宿屋があるのに、到着間もない私たちの泊まる宿をピンポイントで特定してきたんだもん。
「いや、今は全員の無事を確かめることが先決だな。キリエちゃん、わりぃがここは任せた!」
「う、うん……」
任されてもちょっと困るけど、グリナさんもいるしまあいっか。
他の部屋の様子を確かめに、リーダーが部屋を出ていく。
「……っ」
ベアト、私の心配をしてくれてるのかな。
「私は平気、どこもケガしてないよ。戦うヒマもなしに逃げられたから」
頭をなでてあげると、ベアトの不安はやわらいだみたい。
目を細めて嬉しそうにしてる。
さて、こまったことに、この場をリーダーに任されてしまった。
それはつまり、ソーマとなにかを話してたのか、ケルファから聞き出さないといけないってことで。
あの子の相手、私にうまくできるのかな……。