191 前を向いて
白一色の街並みが、朝日に照らされてほのかに赤く染まる。
聖地ピレアポリスの大神殿。
窓の外に広がる美しい朝焼けに目を細めながら、神官ソーマは大司教の私室へとむかっていた。
聖女リーチェには、すでに昨夜の戦いの報告を上げてある。
実質的な負け戦にも、彼女は天使のようなほほえみを貼りつけたまま。
お飾りのトップ、エンピレオに対する生け贄同然の短命。
ソーマには、あの笑みも余裕もやせ我慢にしか見えなかった。
(くくっ、しかし、しかしっ、哀れみすら抱きますなぁ……。残されたわずかな希望にすがるサマはっ)
そんな聖女を心の中であざけりながら、彼は大司教の部屋をノックする。
「神官ソーマ、ただいま戻りました」
「入りなさい」
両開きのとびらが一人手に開き、訪問者を招き入れる。
神官ソーマは足早に室内へと歩を進め、彼を迎え入れたとびらがまた一人手に閉まった。
「大司教様、早朝から申し訳ございません。ご報告したきコトがありまして」
「かまいません、ソーマ」
ローブを身に着けた女性が、長い栗毛の髪をなびかせ、おだやかな笑みで応じる。
大司教、フィクサー・ストールス。
象徴としての面が強い聖女にかわり、実質的にパラディを治める人物だ。
「そのために、あなたを神官という動きやすい役職に置いているのですから」
神官という位は、教団内では低い地位でしかない。
大司教の下に十数名の司教、数百人の司祭、その最下層に位置するのが数千人の神官。
通常ならば、大司教には目通りもかなわない立場。
にもかかわらず、ソーマは大司教の私室への自由な出入りを許されている。
「くくっ、まさに……。あなた様の手足となり、目となって各地をめぐる月夜の旅人。それこそが私の本分なれば」
「してソーマ。私の目となり、あなたは何を見てきたのでしょうかね?」
「ええ、まずはこれを……」
ソーマが懐から取り出したのは、クイナの残した記録。
差し出された紙束を受け取り、目を通すと、フィクサーは「ほう」と一声。
「これはこれは……。『第二号』とともに行方をくらませた貴重な実験体ではありませんか。して、ご本人はどこにおられるのです?」
「それなのですが、いかなる因果か勇者殿と共におりましてな」
「……勇者と?」
「勇者キリエは強い。精鋭三名を連れての総攻撃もあえなく退けられてしまいまして。彼女を回収するにも、ベアト様を回収するにも、勇者殿の抹殺は不可欠なのですが」
「策は、考えてあるのでしょう?」
「ええ。アテはありますとも……。正攻法ではない方法が、ね……」
意味深な笑みを浮かべ、ソーマは深々と頭を下げる。
「では、私はこれにて。いろいろと仕込みも必要なのでしてね……」
「ええ、頼りにしていますよ。聖女の小娘などではない、我が大願の成就のために」
「おやおや、不敬ですな。ククッ……」
最後にニヤリと笑い、彼は大司教の私室をあとにした。
(……さて、まずはバルジの連れ出した『アレ』に接触を図るとしますか。と、その前に、アレスの強化もしなければ)
彼の練る今後の方針、その第一手はアレスに【炎王】の力を埋め込むこと。
【風帝】も【地皇】も姿を消した今、人工勇者の戦力はぜひとも欲しいところだった。
『三夜越え』によって崩壊してしまった精神を立て直すことも必要だろう。
姉の仇討ちすら忘れ、勇者への憎悪のみが残った狂人のままでは、戦い馴れた勇者を殺すことは不可能に近い。
(しかし、【地皇】はどこに消えたのでしょうかねぇ……。そしてなぜ、あの実験体が勇者殿のそばに……)
〇〇〇
「お日様の下で見ると、改めてヘコむッスね……」
お昼ごはんも終わって、いよいよ出発の時。
廃墟になったロッカの村を前にして、クイナさんは大きな大きなため息をついた。
「大丈夫か? つらいならあんま見ない方がいいぞ」
「トーカさん、お気づかいありがとッス。けど、これで見納めかもしんないッスから」
旅立つ前に、クイナさんが故郷の姿を目に焼き付けたいと言い出した。
そんなわけで、私たちは廃墟を見てまわるクイナさんに付きあってあげている。
ずいぶん元気が出たみたいだけど、それでもつらいだろうに。
もしも同じように廃墟になったリボの村を見たら、私はこんな風に落ち着いていられるのかな。
「……バルジさんもジブンと同じように、記憶がないんスよね?」
「あぁ、俺の場合はクイナちゃんとちがって、過去の全部まとめてだけどな」
「心細かったり、しないんスか?」
「……なんつーかよ、ピンとこねぇんだ」
「ピンとこない?」
ピンとこないっていう部分がピンとこなかったのか、クイナさんは首をかしげる。
ベアトもつられて首をかしげた。
「だってよ、昔の記憶が全部まるごとねぇんだぜ? いくら昔の俺のこと聞かされても、どうにも他人ごとにしか思えねぇ。その……なんだ、家族と実際に会ってみりゃ違うのかもしれねぇけどよ」
「家族……ッスか」
「あー、悪りぃ……。クイナちゃんの家族、無事かどうかもわからねぇのによ……」
うっかり触れちゃいけない部分に触れちゃったって感じで、バツが悪そうに謝るリーダー。
逆にクイナさんが大慌てで、両手を体の前でブンブンふりまくる。
「いやいやいや、質問したのはジブンの方ッスから! そんな謝らないでくださいッス!」
「そうか? ならいいんだがよ。とにかく、俺の状況はクイナちゃんとだいぶ違う。だけどよ、記憶がなくてもこうして生きてる、仲間もいる」
グリナさん、ラマンさん、ディバイさん。
新たに作った三人の仲間を見回してから、リーダーは白い歯を見せて笑った。
「俺のこの現状、なんかのはげましにならねぇかな」
「……なんか、すごいッスね。バルジさんって」
そんなリーダーにつられて、クイナさんも笑顔を浮かべた。
はげましになったみたいだね。
「ん? すごいって、ほめられてんのか?」
「ほめてるッスよ。さ、行きましょう。めざすはピレアポリスだったッスよね」
「クイナお姉さん、村はもういいですか?」
「はい。後ろばっかりむいてても意味ないって、なんとなくそう思ったんス」
クイナさんがみんなに先がけて、聖地へと続く道を先頭切って歩き出した。
よかった、前向きになれたみたいだね。
あの子に続いて私も、ベアトといっしょに手をつないで一歩をふみだす。
聖地への旅、なにごともなく終わればいいけど……。
〇〇〇
なんと、なにも起こらず旅は三日目。
聖地へ続く最後の宿場町、サウスピレアに無事到着してしまった。
時刻は夜、半分だったお月様が少しづつまんまるくなってきてるな。
「この町、湖があるんだね」
「おぉう、泳ぎたくてしかたないな! ランゴもそう思うだろ?」
「う、うん……」
そこそこの賑わいを見せる街の中心には、大きな湖がある。
魚人だからかな、ラマンさんが露骨にテンションを上げた。
内気なランゴくんも、少し嬉しそう。
ちなみに私たち、全員フードをかぶった状態だ。
敵地を前にして、顔出しフルオープンで歩き回るのは危なすぎるからね。
旅人のかっこうとしては普通だし、似たようなかっこうの人たちもよく見かけるし、怪しまれないとは思う。
「疲れたですよ、もう歩けないです……。はやく宿で休みたいです……」
「アタシにおぶってもらっといて、何言ってんだお前は」
メロちゃんの弱音はともかくとして、ベアトの息もあがってる。
はやく休ませてあげたいな。
「ねえリーダー、あそこの宿とかよさそうじゃない?」
目についた大きめの宿を指さして、あそこはどうかなって提案。
この町、かなり大きい。
宿もたくさんあるから、選んでたら時間かかっちゃう。
こういうのはさっさと決めるに限るんだ。
「あぁ、いいと思うぜ。小さいとこよりは警備もマシだろ。ただ、明日には聖地だが、最後まで油断すんなよ」
たしかに油断はできないな。
敵にこっちの位置がバレバレだって可能性が残ってる以上は。
リーダーを先頭に、みんなが宿屋へ入っていく。
空にはやけにきれいなお月様。
見てると普通心が落ち着きそうなモノだけど、なんでだろう。
少しだけ、胸騒ぎがする。