175 記録と記憶
伍の月、十八日
ジブンはクイナ、パラディの実地調査団の一員ッス。
入ったばっかの下っ端ッスけど、なんと未開の土地を調査する部隊に配属されたんス。
なので、調査員らしく今日から記録をつけていくことにしたッス。
周りはエリートばかり、足手まといにならないよう頑張るッスよ!
陸の月、五日
山脈の東側、難所と名高い山道からそれた未開の地。
ここに未確認のクレーターがあるとウワサを聞きつけ、やってきました調査団!
ジブンになにができるかわかんないッスけど、みなさん優しいッスから、きっと大丈夫ッス。
エンピレオ様の加護もついてますし!
陸の月、二十日
魔物が出る地帯に、いよいよ突入ッス!
強力な魔物が生息しているらしいッスが、凄腕の神官騎士トゥーリア様がいるからへっちゃらッスよね!
古の騎士勇者セリア様に勝るとも劣らない強さ、金髪の長い髪、りりしい瞳、あこがれるッス……。
陸の月、二十四日
悪夢ッス……。
猿の大群に襲われて、調査団のみんなが散り散りになっちゃったッス。
ジブンはトゥーリア様といっしょだからとっても心強いッスが、みんなが心配ッスね。
陸の月、二十五日
遠くの山肌にクレーターを発見したッス。
トゥーリア様といっしょに様子を見に行ったら、なんとそこは猿どもの巣!
しかもみんな捕まっていたッス。
これからトゥーリア様が突入して、みんなを救出するッス。
あの人の活躍、調査団員としてしっかり記録するッスよ!
トゥーリアさまの頭が、猿の親玉にたたきつぶされた。
ジブンのところに、くびかざりといっしょににくへんがめだまがはがとびちって、さるどもがよってたかってからだをひきちぎって
……ダメだ、ここから先はミミズみたいな字になってて全然読めない。
あと、何かが乾いた跡みたいのが羊皮紙に残ってる。
たぶん胃液をぶちまけたんだろうな。
今、私たちは森の中の洞窟で一休み中。
クレーターからじゅうぶんに距離を取ったし、中に魔物がひそんでいないことも確認済み。
数十歩進んだだけで行き止まりの浅い洞窟だから、ほら穴って言ったほうが正確かな。
私が読んでたのは、この子の日記……っていうか、記録情報。
服をひっぺがした時にこぼれおちた羊皮紙の束を、ベアトが回収してたんだ。
「……っ」
あまりにショッキングな内容に、ベアトが口元をおおう。
私の方は、コイツを読んでようやくこの女の子に対する警戒が解けたところ。
「この『至高天の獅子』、トゥーリアって神官騎士の形見だったんだね」
この後、この子の身に起きたことは想像するしかないけど、きっと猿に捕まったんだろう。
そして、仲間たちが殺されていく中、猿の目を盗んで死体の山に隠れたってとこかな。
とにかく、これでハッキリした。
クイナという女の子は調査団の新米メンバーで、追手とはいっさい関係ナシ。
だからって、ベアトや私の顔を見せるのはどうにも気が進まないな……。
リーチェはともかく勇者の顔なんて、いくらしたっぱでも知ってるだろうし。
メロちゃんとトーカは赤い石を改めて調査中。
そしてクイナさんだけど、毛布の上に寝かされて意識が戻るのを待ってるところだ。
「この最後の日付、三日前だよね。三日間も死体の山の中で隠れてたんだ。仲間たちが猿に、遊び半分で殺されていくのを眺めながら……」
それはいったい、どれ程の地獄なんだろうか。
意識を取り戻しても、発狂しちゃってたらどうしよう。
暴れられても困るしな……。
「……、…………っ」
ベアトは私と全然ちがって、純粋にこの子を心配してるみたい。
まゆ毛をハの字にして、涙目でクイナさんを見つめてる。
ホント、底抜けにいい子だよね。
そんなところに私も救われてるんだ。
「……ん、んん?」
「……っ!!!」
お、意識が戻った?
クイナさん、ゆっくり目を開けて、ぼんやりとした表情で私たちの顔や周りの様子を見てる。
「トーカ、起きたのです! 意識が戻ったのです!」
「あんま騒ぐな、頭にひびくだろうから。大丈夫か? 気分悪かったりしないか?」
「……あなたたち、誰ッスか? つか、ここどこ? ジブン、今まで何して……」
……結論から言うと、クイナさんは記憶を失っていた。
ベアトによると、あまりにも凄惨でショッキングな体験から心を守るために脳が記憶を消去したんだって。
「ホントに覚えてないのか?」
「覚えてるのは名前、それから五年前までの記憶くらいッス……。ていうか、本当に今、五年後なんスか?」
「間違いないって。しっかし、アンタの手がかりになるような荷物、なんにも残ってなかったしな。コイツはまいったぞ、なあキリエ」
なるほど、トーカお姉さんは知らないふりをするつもりか。
たしかに他の記憶ならともかくあんなひどい記憶なんて、忘れてるのが一番だ。
思い出しちゃうようなきっかけ、与えない方がいいよね。
「はぁ……、こんな山奥に行き倒れで記憶喪失って、ジブンなにしてたんスかねー……。にしても腹減ったッス……」
クイナさんのお腹が、ぐぎゅるるるる、と咆哮を上げた。
記憶を失っても、三日間飲まず食わずの体は変わらない。
トーカが干し肉と飲み水を渡すと、ひったくるように奪い取ってガツガツゴクゴクすごい勢いでがっつき始める。
ただ、あんまり一気に食べると体に悪い気も……。
あの子が食事に集中してる間に、羊皮紙の束についてこっそりとベアトに提案する。
「ねえベアト、この記録こっそり捨てちゃおうか」
「…………。……っ」
何かの拍子に見られちゃったらまずいと思ったんだけど、ベアトはふるるっと、まさかの横首振り。
「残しといたほうがいいと思うの?」
「……っ」
『このひとが、ちょうさだんのいちいんとしてがんばったあかしです。きおくだけじゃなくて、きろくまでなくなっちゃったらかなしいです。わたしたちでもっておきましょう』
……ホント、優しいんだ。
クイナさんの体力もまだ戻らないし、その日はこのまま洞窟で野宿になった。
ベアト以外のみんなが眠りについて、ランプの明かりがゆらめく穴の中。
王都を出てからずっと気になっていることを、私はじっと考えていた。
「……?」
『キリエさん、まだ寝ないんですか?』
羊皮紙をかかげたベアトが、心配そうに聞いてくる。
この子がいないと眠れないから寝るタイミングはベアトといっしょ。
だからホントは、あんまり夜ふかしできないんだけどね。
「ちょっと、考え事してた。どうしてソーマは私が【水神】を持ってたこと、知ってたんだろうって」
誰かに聞いた、としか考えられないよね。
じゃあ誰に聞いたのか。
いちばん怪しいのがアイツ、仮面の女剣士アレス。
アイツの正体、ボクって一人称と私への強烈な殺意、憎悪。
あれはどう考えても……。
「アレスが私やトーカの存在をソーマに知らせた、これは間違いないと思う。ただ、【水神】って話になると妙なんだよね。だってアレ見つけたの、レヴィアと戦ったあとだもん」
小箱を奪ってからレヴィアには会ってない。
っていうか、完全に死んだと思ってた。
アイツがホントにレヴィアかどうか、違う可能性もあるけどさ。
とにかく、アレスがレヴィアだとしても【水神】のことは知らないはずなんだ。
「私が【水神】を奪ったこと知ってるのなんて、あとはもうリーチェくらい——」
「……っ!?」
『おねえさんのこと、うたがうんですか?』
びっくりしながら、乱暴に殴り書き。
ベアトが私に、こんな風に怒った感じを出すのは初めてだ。
「そういうわけじゃないよ。ただ、可能性として浮かんだだけ」
『おねえさんはそんなことしません』
「うん、わかってる……。ベアトが言うなら、きっとそうなんだ」
機嫌を損ねちゃったベアトの頭を抱き寄せて、なでなで。
「……っ!?」
「いずれにせよ、敵の正体がわからないんじゃ戦いようがない。まずはそこからか……」
敵はパラディ全部じゃない。
パラディの闇にひそんで、ベアトを狙う誰かなんだ。
黒幕の正体を暴く、それがこの戦いの最初の目標ってとこかな。
『まずは、クイナさんをおうちにとどけるところからです』
ベアトが私からささっと離れて、顔を赤くしながら羊皮紙をかかげる。
口元を紙で隠しつつ。
かわいい。
「そうだね、記憶を失っちゃったんだもんね」
……記憶を失った、か。
そう聞いてまっさきに思い浮かぶのはリーダーだよね。
今もピレアポリスにいるのか、それとも……。
なんにせよ、あの人の力は絶対に借りたい。
たとえ記憶が戻ってなくても、心強い味方には違いないもん。
何か大きな情報をつかんでるかもしれないし。
「……そろそろ寝よっか」
「……っ」
いっしょに毛布にくるまって、寄りそって、私とベアトは眠りにつく。
まずは山脈を越えて、クイナさんをどこかに送り届けて、それからピレアポリスでリーダー探しだ。
……その間、なにも起きなきゃいいんだけど。