163 別たれた道
勇者様にも、とうとう言われてしまいましたね。
イーリアにはずっとだましていたことを謝罪したかったのに、ここまで後回しにしてしまった。
新しく女王となったこと、荒れた国を立て直すための公務、それらにかかりっきりで、不必要にあの方を苦しめてしまった。
このまま取り返しがつかなくなってしまう前に、あの方としっかり向き合わなければ。
ベルの部屋をあとにした私は、その足でイーリアを探します。
巡回中の兵士に話を聞いて、居場所はすぐにわかりました。
「ここにあの方が……」
謁見の間。
何を思って彼女がここに足を運んだのかはわかりません。
……こんなところも、あの方の主として失格なのかもですね。
ギイイィィィィ……っ。
両開きの大きな扉をあけて、謁見の間へと入ります。
静かな広い空間の奥、玉座の前にイーリアはただ一人立ちつくしていました。
赤いカーペットを歩き、彼女のそばまで行って声をかけます。
「……イーリア?」
声をかけても、彼女はふり返えらないまま。
背をむけたままで、私の言葉に応じます。
「ペルネ様……、背をむけたままの無礼、申しわけありません。今のわたしは文字通り、合わせる顔がないのです」
「ベルの件を気に病んでいるのですか? 全ては私の責任です。あなたを信じられず、影武者の存在を黙っていた私が何もかも悪いのです……」
私付きの近衛騎士である彼女には、全てを打ち明けておくべきだった。
そうすれば、不要な苦しみを彼女に与えることもなかったのに。
……いえ、それは違いますね。
そんなことをしても、楽になるのは私の心だけ。
もしも罪悪感に負けて彼女に話してしまっていれば、あの日の王都で私は捕まっていたでしょう。
今すべきことは後悔でも、私の心の救いでもなく、イーリアの心を少しでも楽にしてあげること。
「あなたにはずっと謝りたかった。許してほしいなどとは言いません。ですが——」
「違うのです、ペルネ様」
私の謝罪をさえぎるように、イーリアが頭を振りました。
「あなた様を恨んでなどいません。彼女のことをわたしに黙っていたことも、腹芸のできない単純なわたしには当然の対応です」
「そんな……」
まるで自分を傷つけるような、そんな言い方は……。
「わたしが許せないのはただ一人、わたし自身なのです。己で立てた誓い一つ守れずになにが騎士かと、他ならぬイーリア・ユリシーズを許せないのです」
彼女は、私に話してくれました。
ベルとの二人だけの大切な思い出を。
あの子と交わした、命に代えても守り抜くという誓いを。
「——その約束を違えてしまった今、もはやわたしに騎士たる資格は無い」
「違います! あなたは私を守る騎士として、最善を尽くしてくれた! あなたの忠義があればこそ、私は今、こうしてデルティラードの女王となれているのです!」
「あなたを今日まで護ってきたのは、スティージュという国家でしょう。わたしじゃない。護ると誓ったお方を護りきれず、自分だけがおめおめと生き残ったわたしでは……」
あぁ、私はなんと無力なのでしょう。
この方の悲しみに満ちた心に、きっと私の声はもう届きません。
イーリアの悲しみを癒せる人がいるとすれば、この世にただ一人。
ベルだけ……、なのかもしれない。
イーリアが、鎧の腰に下げたベルトから鞘を取り外しました。
そして私にふりかえり、ひざまずくと、鞘に納めたままの騎士剣をうやうやしく両手で差し出します。
「ペルネ様、あなたに捧げたこの剣を今ここでお返しします」
「騎士を、辞めるというのですね……」
「お許しください。もはやわたしには、この先なにを誇りとしてペルネ様にお仕えすればいいのかわからないのです……」
この時、私はようやく理解します。
イーリアが謁見の間に足を運んだ理由を。
王と顔を合わせ、言葉を交わし誓いを立てるこの場所で、あなたは私にこれを伝えたかったのですね……。
「……それに、ベル殿が殺されたと思った時、わたしの心は復讐心と殺意で満たされました。復讐などなんの意味もないなどと勇者殿に言ってしまった分際で。ペルネ様にも勇者殿にも、わたしは合わせる顔がない……」
「……騎士を辞めたとして、あなたはこれからどうなさるつもりなのですか?」
あなたがこの場から逃げ出したいというだけで騎士を辞めるのならば、悲しいですがこれ以上は引き止めません。
ですがもし、あなたの心がまだ前をむいているのなら……。
「ベル殿の昏睡状態を治せる手段は、この国のどこにもありません。ですが、どこかに存在するかもしれないと医師の方がおっしゃっていらした。それを求めて、わたしは旅に出ようと思います。たとえ何年かかっても、もう一度ベル殿に会うために」
……よかった、それでこそイーリアです。
あなたを私の近衛騎士に任命したのは、間違いではなかったようですね。
「……わかりました」
彼女が捧げる剣を手に取ります。
その重みをしっかりと感じながら。
イーリア、あなたが仕える主君として、私が思う最善の沙汰をあなたに下します。
「この剣は一時の間、預からせてもらいます」
「あ、預かる、とは……?」
「あなたが戻るまで、ベルはこの城で手厚く看護します。絶対に死なせません。ですからあなたは安心して、ベルの治療法を探してください」
私の判断に、彼女は困惑の表情を浮かべます。
「女王陛下、わたしは騎士を辞すると——」
「イーリア・ユリシーズ!」
「……はっ!」
しかし私が声を張ると、イーリアの表情は引き締まり、その場に片膝をついて頭を垂れました。
わたしが女王としての正式なお触れを下すことを、すぐに理解したのでしょう。
「あなたに課した騎士の任をここに解き、新たに主命を下します。ベルの治療手段をなんとしても見つけ出し、必ずこの城へと戻ってきなさい。その暁には、再び私を護る剣となってもらいます。いいですね」
「……ははっ! しかと承りました、ペルネ陛下!」
ひざまずいたまま、彼女ははっきりとした口調で答えました。
ですが、すぐに顔を上げ、苦笑混じりの困り顔を私に見せます。
「……ペルネ様、ひどいお人です。主命とあらば、逆らうわけにはいかないではありませんか」
「簡単には逃がしませんよ。あなたは私がこれと見込み、あのギリウスも目をかけた得難き騎士なのですから」
「もったいなき、お言葉です……」
△▽△
騎士鎧から旅人用の服に着替え、騎士剣ではない市販の剣を腰に差したイーリア。
荷物を背負って私室を出てきた彼女の姿に、少しだけさみしさが過ぎります。
本当に、あなたはいなくなってしまうのですね……。
「イーリア、やはり西の方へ?」
「ええ。西の果ての亜人領には、人間との交流を持たない種族も多く存在すると聞きます。彼らの中にそういった技術を持つ者たちがいるかもしれない。まずはそちらを当たってみます」
「……ふふっ、そんな気むずかしそうな方たちにイーリアが気に入られるか、少し心配ですね」
「へ、陛下……っ」
ごめんなさい、イーリア。
勇者様にしっかり嫌われているのを思い出してしまって。
笑ってしまうのは失礼だと思ったのですが、それでもこらえきれませんでした。
「……では、行ってまいります」
「ええ、イーリア。どうかお気をつけて」
私にむかって深く一礼すると、彼女はベルのいる部屋へとむかっていきました。
旅立つ前に、あの子とお別れをするのでしょう。
とうの昔にあなたの心は、私よりもあの子の方へ傾いていたのでしょうね。
少しさみしいですが、ペルネにもいっしょにいたい大事な人ができましたから。
だから大丈夫。
イーリア……。
あなたの歩く道と私の道が、いつかまた交わることを願っています。