145 用済み
「ノプト、戦況はどうなっている?」
砦の奥、タルトゥスはイスに深く腰かけながら、かたわらに控える側近ノプトに問いかけた。
【遠隔】の勇贈玉を持つ彼女は、事前に魔力でマーキングしたルイーゼとモルドの様子をリアルタイムで把握できる、とタルトゥスは聞かされている。
「どうなっていると思います?」
「……俺が尋ねているのだがな。この霧ならば、【機兵】の能力の助けを得た勇者が自軍を見つけるには時間がかかる。ルイーゼには姫の抹殺、モルドにはコルキューテ軍の殲滅を命じておいた。遊びを交えず速攻でカタをつけるように、と念を押してな」
タルトゥスの回答にも、彼女は仮面をつけているかのように無表情。
この側近の腹のうちが、タルトゥスには見えない。
わからないが興味もない。
ただ有能だから置いてやっている、彼にとってノプトとは、それだけの存在だった。
「起死回生の一手だ、外れる可能性は極めて低い。……話が逸れたな。で、どうなっている」
「えぇ、まずルイーゼですが、思いのほか早くに現れた勇者の手にかかり、あっさりと殺されました」
「な、なに……っ?」
「そしてモルド。こちらは勇者が出るまでもなく、魔族軍の将リアの手によって討たれました。一応、ガープという将を討ちはしたみたいですがね」
無表情のまま、ノプトは事実を告げる。
タルトゥスにとって最悪の事実を、当然のことのように淡々と。
「待て、なにを言っている? 冗談を言うような状況では——」
「冗談ではありません。勇者もじき、この砦に戻ってくるでしょう。救援の望めない籠城戦に勝ち目は皆無。詰みましたね、どうします?」
ここに至って、タルトゥスは悟る。
この女の告げたことが全て事実だと。
「……ふっ、ふふっ。ふはははっ! あーっはっはっはっは!!」
「おや? 壊れてしまいましたか?」
「くくくっ、貴様、わかっているのか? さきほどから他人ごとのように振舞っているが、詰んでいるのは貴様も同じ。いや、この俺よりもさらに——」
「【遠隔】。遠くの誰かの様子がわかって通話もできる、それだけのくだらない能力だと本気で思っていたのなら、あなたは相当おめでたいですね」
ノプトの右腕、タルトゥス軍共通の腕輪に嵌った勇贈玉。
妖しく魔力光を放った次の瞬間、ノプトの姿が消えた。
「な……、にっ!?」
気配を感じ、タルトゥスは背後をむく。
そこには先ほどと同じ、直立したまま無表情のノプトの姿。
超スピードで移動したわけではない、恐らくは瞬間移動。
「これが【遠隔】の力のほんの一欠片。ご理解いただけましたか? 私にとって、この砦からの脱出などたやすいということが」
「……貴様、何者だ。なんの目的で俺に近づいた……!」
タルトゥスがノプトを側近に取り立てたのは一年ほど前。
文官の一人として仕えていた彼女の優秀さは、郡を抜いていた。
側近として抜てきするには十分すぎるほどに。
それがまさか、全て自分に近づくための下準備だったのか……。
タルトゥスの頬を、一粒の汗が伝う。
「私の正体、ですか? それは——」
「はぁ〜い、やってるみたいね〜」
その時、彼女は文字通り窓から吹き込む風のように、唐突に現れた。
神託者ジュダス、またの名をジョアナ。
警備の固められた砦の中心に、彼女はたやすく侵入してみせた。
「神託者……! 貴様、今さらなにが目的だ!」
「あーらあら、ご挨拶ねぇ。タルトゥス閣下の疑問にお姉さんが答えてあげようと思ったのにぃ」
「貴様が、俺の疑問に……?」
一瞬だけ眉をひそめるが、彼はすぐに理解する。
ノプトの正体をジョアナが知っていることの意味を。
「その顔、すぐにわかったみたいね。そうよ? この子はお姉さんのペットなの」
ノプトを抱き寄せ、薄いグレーの長髪をとかし、頬をなでながらジョアナが真実を告げる。
その時、タルトゥスと出会ってから常に崩れなかったノプトの表情が赤らみ、瞳が熱を帯びた。
「つまりはジョアナ、貴様のはなったスパイだったと……! だがなぜ! 目的がわからない、なぜだッ!」
「簡単よぉ。あの子のごはんをたっぷり用意するため」
「なに……? どういうことだ……!」
「さ、ノプト。私にはまだ、大事な用事が残ってるの。先にパラディまで戻っててくれる?」
「ええ、お姉さま……。もちろんです……」
「いい子ね……。じゃ、行きましょうか」
「おい、待て! まだ話は……ッ!!」
タルトゥスの存在を完全に無視し、二人はその場から消えた。
まるで最初から存在しなかったかのように。
△▽△
「……ってなわけだよギリウスさん。今ごろキリエのヤツ、コルキューテ軍を救って敵を全滅させてるはずさ。その前に全滅してなければ、だけど」
「そうか、報告ご苦労だった」
ビュートさんを治癒術師さんとこに連れていったアタシは、その足で前衛の陣地にむかった。
そこで見つけたギリウスさんに、これまであったことを全部報告したところだ。
「救援が成功したとなればこの戦、俺たちの勝ちは確定だ。援軍の望めない砦など巨大な棺桶も同然。主力軍の壊滅を知れば、タルトゥスも降伏せざるをえないだろう。……成功したならば、だがな」
「平気だろ。たとえコルキューテの軍が全滅してても、キリエなら間違いなく敵を全員ブチ殺してる」
「いや……、たしかにそうなんだがな? 魔族軍が全滅して我らが無傷となれば、むこうの心象はよくないだろう……。下手をすれば、新たな火種を産むかもしれん」
そういうモンなんだね。
国同士の付き合いって面倒そうだからな。
トップ同士が仲良くしたくても、民の感情とかなんとか、色々あって。
「とにかくトーカ。何度も往復させてすまないが、コルキューテ軍の様子を見てきてくれないか? 決着がついていれば、キリエも拾ってきてくれ」
「りょーかい。……でもアイツ、下手すりゃ神託者殺すために一人で王都まで乗りこんでそうだな」
拾えるか不安になってきた。
さっさと行って連れてこよう。
……けど、その前に。
「……なぁ、影武者ちゃんの様子だけ見てきてもいいか?」
「一刻一秒を争うわけじゃない。多少の寄り道には目をつむるさ」
「恩に着るよ」
蘇生が成功したかどうかだけ、確かめておかないとな。
キリエも気になってるだろうし。
陣の後方、ベアトやメロたちがいるテントの前までやってきた。
果たしてこの中で待っているのは生き返った影武者ちゃんなのか、それとも死体か……。
「すー、はー……」
気持ちを落ち着け覚悟を決めるため、何回か深呼吸。
お姉さんだからな、なにがあっても動揺は見せたくない。
特にメロには。
……よし、心の準備できた。
入り口を広げて、中をそーっと覗きこむ。
「あら〜トーカさん。いらっしゃい」
「うわっ!?」
出迎えたのは、ニコニコ笑顔のジョアナさんのドアップ。
わざわざ屈んで目線合わせてるあたり、入ってくることわかってたでしょ。
思わず尻もちつきそうになっちゃったよ。
やっぱアタシ、この人苦手だわ……。
「あらあら、驚かせちゃったみたいね」
くすくす笑ってるけどさ、こっちは本気で驚いたからな。
そもそもこの人、今までどこでなにしてたんだよ。
「トーカ! 戻ってきたですね!」
アタシに気づいたメロが、とたとた走ってきてぴょんっと抱きついた。
かわいいな、ジョアナさんと違って……。
「おう、戻ったぞ。……影武者ちゃん、どうなった?」
「大丈夫です、ベアトお姉さんが頑張ったおかげです。もう心配いらないですよ!」
テントの奥をのぞいてみると、影武者ちゃんに寄りそう女騎士さんと目が合った。
よかった、助かったんだ。
「すごかったのですよ、ベアトお姉さん!」
「……っ」
ベアト、首を左右にふるふるふってるけど、あの状態から蘇生させたのすごいと思うぞ?
「よかった、一安心だな。よっしゃ、キリエにも伝えに行ってやるとするか!」
「あら、キリエちゃんをむかえに行くの? よかったら、いっしょに連れて行ってくれないかしら。私もあの子には、ちょーっと伝えたいことがあってね……」