142 【必殺】
ガープは巨人族と魔族の間に生まれたハーフである。
巨人族は別名タイタンとも呼ばれる、浅黒い肌が特徴的な、亜人の中でも特に力に特化した種族だ。
大柄な体格と外見から粗暴なイメージをもたれがちな上、過去には他種族から略奪をくり返していた歴史を持つ彼らは、今なお偏見の目をむけられている。
彼が物心ついたころ、すでに父親はこの世にいなかった。
父の死因も母との馴れ初めも、ガープの知るところではない。
母と二人でコルキューテの王都ケイロンに住む少年の抱く疑問は、なぜ自分は周りと違うのか、母とすら違う浅黒い肌なのか、ということだけだった。
巨人族とのハーフである彼を、あからさまにいじめや攻撃の対象にする子供はいなかった。
彼の大柄な体格や凶暴な巨人族の血を引くという点に怯え、ただただ遠巻きに、関わらないように過ごすだけ。
遠慮も色眼鏡もなく接してくれた、リアとビュートという二人の少女を除いては。
ガープが少年から青年と呼べる歳に成長したころ、ブルトーギュの率いる軍が亜人領への侵攻を始めた。
練氣の才能を持っていた三人は、軍への志願を決意する。
その言いだしっぺはビュートであった。
△▽△
繰り出された、文字通り【必殺】の一撃。
その手刀は一振りで地をえぐり、巨大な亀裂を戦場に走らせた。
底が見えないほど深い大地の裂け目が生まれ、戦慄が走る。
俺の忠告が間に合ったのか、リアはギリギリのタイミングで倒れこむように屈み、致命的な一撃から逃れていた。
だが、安心しているヒマなど無い。
手刀を放った勢いのまま、モルドさんは体を一回転。
ふり向きざまに俺への一撃を浴びせにかかる。
一連の動きは途切れなく、まだ【必殺】は続いている。
「ぐっ……!」
とっさに剣で手刀を受け止めにかかるが、
パキィィィッ……!
必殺の前に、刀身が粉々に砕け散る。
凄まじい衝撃が体を襲い、真後ろに吹き飛ばされたおかげで、手刀は俺の体に触れず眼前ギリギリを過ぎ去っていった。
「……驚いた。どちらか一方には当たると思っていたのだが」
「そう簡単にやられるかッ!」
先に起き上がったリアが、槍を手に挑みかかる。
連続でくり出される突きを、あの人は体をかたむけるだけで軽々と回避。
リアにばかり任せてはいられない。
武器は失ったが、俺の本領はむしろ拳、徒手空拳。
師匠ゆずりの格闘術なのだから。
「師匠……ッ! 俺の格闘術とリアの槍術、二対一でさばききれるかっ……!」
強化された筋力を活かし、一瞬で肉薄。
両の拳をふるい、拳の乱打を浴びせかける。
「数の力で、拙者を押し切れると思うてか?」
「そのようなこと、思ってはいない……。なればこそ、実力で押し切る……!」
リアの槍と俺の拳、左右からの攻撃にも師匠はまったく動じない。
上半身をかたむける、ステップを踏む、などの最小限の動きだけで、全てをかわしていく。
「モルド殿、こうしていると思い出すな。あなたに修行をつけてもらった日々のことを!」
「どうした、リア。情に訴え出るつもりか?」
「滅相もない。ただ思い出した、それ以上の意味はないさ」
たしかに、リアの言う通りだな。
あの頃は三人がかりですら、この人にかすり傷の一つも負わせられなかった。
軍への志願を申し出たあの日、俺の入隊だけが認められなかった。
理由は簡単、巨人族のハーフだからだ。
そのような出自の者は軍に入れられない、と。
リアとビュートが必死に止めようとしてくれたが、新兵ですらない二人の意見が通るはずもなく。
城から追い出されそうになった俺を助けてくれたのが、モルドさんだった。
当時すでに王国軍との戦で活躍し、拳鬼の異名を持っていたモルドさんの口添えもあって、俺は無事に入隊できた。
それだけでなく、この人は俺たち三人の教練まで買って出てくれた。
この時に仕込まれた武芸は、今の俺たちの礎となっている。
(と同時に、軍人たる心得もな……)
曰く、兵となれば将のため、命を捨てて戦え。
将となれば主君のため、兵に死ねと命じろ。
そして将は主君の命に、なにがあろうと背くべからず。
私心を捨てて任務を全うせよ。
主君に意見を述べるのは側近や文官連中の役目、武人の仕事の範疇ではない。
彼らも知恵を振り絞り、最善を尽くしている。
その上で、我らに死ねと命じる苦しみを味わっているのだから、と。
訓練と違い、今は実戦だ。
よけるだけではなく、反撃も飛んでくる。
俺とリアの急所を的確に狙い、突き、払ってくる手刀。
この攻撃に、一切の迷いは感じられなかった。
(俺たちを殺すことに、ためらいはない、と……?)
この人は今も、腰に使いもしないサーベルを下げている。
あの日俺が贈った護り刀を、今もなお。
モルドさんは俺たちとの絆を断ち切ってなどいない。
ならば、この人は俺たちへの教えを自らも忠実に守っているのだろうか。
タルトゥスの心にも、将兵に死ねと命じることへの苦しみ、痛みがあると?
それとも……。
「……ガープ、なにを思い悩んでいる?」
俺の考えを見透かしたように、モルドさんの隻眼が鋭く細まり、俺に問いかける。
「モルド殿、戦いの最中に会話を始めようなどと、なにを悠長な!」
「リア、少し下がっていろ」
攻撃の手を休めないリアをにらみつけ、モルドさんが静止をかける。
その気迫に一瞬怯む彼女だったが、攻撃は止まらない。
背後に回り込んで繰り出した突きを、しかし彼は身を沈めて回避。
さらには頭上を通過した槍へ、体を回転させながらの手刀を浴びせ、バギッ、という鈍い音とともにへし折った。
「な……っ!」
丸腰になったリアの腹に蹴りが入れられる。
コルキューテ軍のいる方向へ吹き飛び、霧の中へ姿を消した彼女を見もせずに、モルドさんは軽快に立ち上がった。
「リア……!」
「何を思い悩んでいる、と聞いている。敵である拙者に情けをかけているのか?」
「そのようなこと……」
「口ではなんとでも言えよう。行動で示してみよ。このような生ぬるい攻防ではなく、拙者を殺すつもりで全力で来い」
……この人の言う通りだ。
俺はまだ、この人を殺す覚悟も、この人に殺される覚悟も決まっていなかった。
ここは戦場、この人は敵。
割り切らなければ。
そして、全力をぶつけなければ。
「……モルドさん。あなたの奥義、無刀手鋭刃。ずっとあこがれていた。習得したくて、修行していた……」
「ほう。その修行、身になったのか?」
「……あぁ」
右手で手刀の構えをとり、練氣を集中させて研ぎ澄ます。
鋭利な刃をイメージし、鋭く、硬く、強靭な刃を練り上げて、その状態を留める。
「この通りだ……」
「ほう、中々の精度だな」
集中力と膨大な練氣を必要とする、この技。
修行を重ねても、やはり立ち止まって集中力を高めなければ発動できなかった。
戦闘中の片手間でやってのけるこの人との、格の違いを改めて思い知らされる。
「血氣剛腕と無刀手鋭刃、これが俺の全身全霊、正真正銘の全力だ……」
「よかろう。ならば拙者も全力を以て応えてやらねばなるまい」
モルドさんが手刀を解除し、右拳を力強くにぎった。
必殺の魔力を溜めているのだろう。
魔力を持たない俺でも、ほとばしる力の流れが見えるようだ。
チャージを終えると、その右手に魔力とともに練氣をまとい、鋭い手刀とする。
「無刀手鋭刃と【必殺】。今の拙者の全力だ。さあ、かかってくるがいい」
準備完了とばかりに、腰を落とし、腕を曲げて体の前に手刀をかまえる。
俺も同じく手刀をかまえ、俺たちは向かい合う。
そして、一瞬のようにも永遠のようにも思えるにらみ合いの後。
ズバァァッ!!
俺たちの全力の一撃が、交錯した。
(……どうだ)
互いに突進をかけ、すれ違いざまにあびせた一撃。
手応えは確かにあった。
振り向けば、あの人の背中。
そして、切断されて宙を舞う、腕輪を着けた右の腕。
(……よし。これでもう【必殺】は使えない……! あの人に勝っ——)
——視界が、ぐらりと傾いた。
倒れていく、というよりは、土台からズルリとズレていくような。
(……勝った、と思ったのだが……。最期まで、届かなかったか……)
視界のはしに見えた、俺の下半身。
右腕の代償に、胴を輪切りにされるとは……。
あの人の背中、やはり遠かったな……。
(すまない、リア……。あとは……、頼んだ……)
霧の中から戻った幼馴染の姿と、追いかけ続けても届かなかった師の背中。
薄れゆく意識の中、上半身が地面に落ちるまでの永遠にも思える一瞬。
俺はその光景を目に焼き付けていた。




