139 命の灯火
白いドレスを真っ赤に染めて、ぐったりと横たわるベル。
回復薬の効果で傷はふさがってるみたいだけど、パッと見、ピクリとも動いてない。
息も……してない?
「ヒールポーションは飲ませた。応急処置もした。だけどさ、この子は鍛えてない一般人だろ? 失った血があまりに多すぎて、さ。ついさっき……、心臓が止まっちまった……」
「……死んだ、ってこと?」
コクリ、首を縦にふるトーカ。
……あぁ、そっか。
間に合わなかったのか。
「……うそだ。うそだうそだうそだっ。彼女が死ぬはずが……っ!」
「イーリア、この子影武者だよ? 本物のペルネ姫じゃないの」
「知っている! そんなことは知っているっ!」
私の胸倉につかみかかりながら、イーリアが怒鳴りつけてきた。
引きはがしてやろうかと思ったけど、怒りの表情はすぐに悲しみと後悔にそまって、その場に崩れ落ちる。
「……いや、違う。知らされたんだ、彼女が斬られる直前に。それまでわたしは、彼女が本物の姫様だと思い込んでいた。彼女はきっと、自分を見てほしかったのに……」
「……はぁ、時間ないんだけどな。いつまでグチグチ言ってるつもり?」
そう、時間がない。
たった今思いついた、ほんの小さな可能性。
それには時間が一秒でも惜しい。
「あ……っ、あなたには血も涙もないのか!!」
「ねえトーカ、全速力でブッ飛ばしたら砦のとこまで五分でつける?」
コイツにかまってたら、ホントに間に合わなくなりそう。
無視してトーカに質問だ。
「え、えっと……、全速力ならだいたい二分半くらい、かな。山のむこうは霧薄いし、探す時間も必要ない。ただこの霧の濃さ、下手すりゃ墜落するからかなり高く飛ばないとだけど」
「二分半……」
前にベアトに聞いたことあるんだよね。
心臓が止まってから蘇生できる限界時間はだいたい五分。
成功するかはわかんないけど、このまま死なせるよりはずっとマシだよね。
「イーリア、さっさと起きて」
地べたにしゃがみ込んだイーリアの腕をつかんで、無理やり起き上がらせる。
この世の終わりみたいな顔してるけど、まだ終わってないっての。
「聞いて。今からトーカがこの子を連れて、東の陣地にむかう。心臓が止まってから五分以内なら、蘇生できる可能性はあるんだ。あそこには治癒術師や医者もいっぱいいるし——」
「なるほどキリエ、むこうにはベアトもいるしな!」
「いや、ベアトは……」
「よし! そうと決まれば時間が惜しい! ビュートさんも連れてくぞ!」
トーカ、話聞いてないな。
さっさとビュートさんをかついでガーゴイルに乗せはじめた。
今のベアトに、あんまり無茶はさせたくないんだけどな……。
「……くっ!」
イーリアも、やっとベルの体を抱き上げてガーゴイルにむかって行った。
決断遅いんだよ。
「勇者殿、かたじけない……」
ガーゴイルの背中にベルを乗せながら、イーリアが小さくつぶやく。
「ま、いいけどさ。アンタさっきまですごい顔してたよ? 前に復讐なんてくだらないとか言ってたけど、どう? 今同じこと言える?」
「…………」
あらら、黙っちゃった。
嫌な感じだったかな。
私もかなり根に持つタイプみたいだ。
……根に持つタイプじゃなきゃ、全てを捨てて復讐しようだなんて思わないか。
「おい、乗せたんならお前も速く乗れ! 出発するぞ!」
トーカ、もうビュートさんをガーゴイルに乗せ終わって発進スタンバイしてる。
行動速いよね、コイツと違って。
「……そうだ。キリエ、コイツをカバンの中に入れといて」
ガーゴイルを浮かび上がらせながら、トーカがミニゴーレムを投げ渡してきた。
「コイツは?」
私につかまれて、短い手足をぐったりさせてるゴーレムくん。
いちおう起動してるみたいだけど、どう見ても戦力にはならないよね。
「目印みたいなモン。ゴーレムの魔力反応をたどれば、だいたいの場所がわかるんだ。リアさんとこには等身大の戦えるヤツを残してきたんだけど、全部破壊されちゃったっぽいからさ。反省してソイツを作ってみた」
なるほど、了解。
【魔剣】の腕輪ともども、お尻のポーチに押し込んでおくよ。
そうこうしてるうちにイーリアも乗りこんで、ガーゴイルが猛スピードで霧の空に飛び立った。
さぁて、残った私はリアさんたちの救援だ。
この街道を東にむかって走っていけば、戦場に辿りつけるはず。
……リアさんたちの死体が転がってたりしなきゃいいけどね。
○○○
キリエさんが魔族軍の救援に行っちゃいました。
けれど心配なんかしてません。
ウソです、ちょっと心配です。
ここは砦から離れた陣地の、大きなテントの中。
さみしさと不安を紛らわすためにメロさんとお話をしていたら、イーリアさんが入ってきました。
それだけでも驚きなのに、ぐったりしたベルさんを連れてきたのだから二重にびっくりです。
シートの上にベルさんの体を横たわらせながら、手短に事情が説明されました。
トーカさんのガーゴイルを飛ばして、心臓が止まってからここまで三分。
もう一秒だってムダにはできません。
「お願いだ、彼女を助けてくれ……」
ベルさん、呼吸も心臓も完全に止まっていて、死んでる状態と変わりません。
蘇生できる可能性、きっととっても低いです。
ですけど、イーリアさんにすがるような目でお願いされたら、頑張らないわけにはいかないですよね。
「……っ!!!」
全力でヒールをかけます。
あの時以来、ルーゴルフの【使役】を振り払った時以来の全力です。
特に心臓に魔力を集中させて、心臓マッサージの要領で。
真っ青だった顔が、少しだけ血色がよくなってきました。
だけど、それだけ。
心臓は止まったままです。
「やはり……、やはりダメなのか……?」
「……っ!! ……っ!!!」
諦めないでください!
必ず、呼び戻してみせますから!
もっともっと、魔力を体の底から引き出します。
「お姉さん、ムリしないでくださいです……。顔色よくないですよ……?」
「……っ!!!!」
ここでムリしないで、いつするんですか!
ぜったいぜったい助けます!
体の奥の奥、とびっきり奥から魔力を引き出して、ベルさんの体に注ぎ込みました。
その瞬間、テントの中が魔力の光で満ちあふれます。
「うひゃっ!」
「こ、これは……」
体の中から、大切ななにかが抜け出ていく感覚。
とっても嫌な感じがしました。
取り返しのつかないことをしてしまったような。
だけど。
……ピクっ。
ベルさんの指先が、動いたんです。
心臓に手を当てると、とくん、とくんと鼓動を刻み始めています。
呼吸もはじまって、お腹が上下に動き始めました。
やりました。
蘇生、成功しました!
「よかった……、本当に……」
「すごいです、お姉さんすごいのです!」
「……っ」
ベルさんの手をにぎるイーリアさん。
メロさんもぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでます。
……ですけど、私は限界みたいです。
「……っ」
「お姉さん? どこにいくんですか?」
メロさんに呼び止められてしまいましたが、身ぶり手ぶりで外の空気を吸いにいくと伝えて、テントの外に出ます。
それから、人目につかない裏手に回って。
「……ぁっ、……ぇ……っ」
胃の中身を吐き出してしまいました。
魔力を思いっきり使って、つかれてしまったんでしょうか。
ただ、それだけでは説明のつかない、耳鳴りのようなおかしな声も聞こえます。
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小さな小さな耳鳴りですが、体の奥から何かを吸い取られるような感じがして、本当に気持ち悪くて。
また、吐いてしまいました。
「ぇほっ……、……ぁっ、……っ」
そのうち耳鳴りが遠くなって、気持ち悪さもなくなりました。
よかった、一時的なものだったみたいです。
あまり留守にすると、心配かけちゃうかもしれませんね。
早くテントにもどらないと。
テントにもどった私に、イーリアさんが詳しい事情を教えてくれました。
キリエさんに助けられたこと、ベルさんが影武者だと知ったこと。
あ、ビュートさんもいっしょに運ばれてきたみたいですが、トーカさんが他の治癒術師のところに連れて行って、治療をしてもらってるんですって。
彼女の腕は完全に失われてしまったらしくて、私の力でも治療できないからって……。
イーリアさんは涙ぐみながら、温もりを取り戻していくベルさんの手をにぎっていました。
この時はまだ、私もメロさんももちろんイーリアさんも、ベルさんが助かったと思っていたんです。
彼女がこのまま目を覚まさないなんて、これっぽっちも思っていなかったんです。