103 幕間 破滅の予兆・反撃の予兆
コルキューテの第一皇子タルトゥス。
彼の行動原理は『正しいかどうか』である。
父に前線行きを願い出た理由は、ブルトーギュの侵攻に苦しむ兵士を勇気づけることで、自分が『正しい』と周囲に知らしめるため。
パラディと接触し、ギフトの力を手に入れた理由は、自らが戦争を終結させた英雄となり、愚かな父の治世を『正し』、天下に自らの『正しさ』を知らしめるため。
そして今も、彼は自分の『正しさ』を基準に動いている。
「なあ、ノプトよ。歴史を動かした英雄が、後世で悪と断じられる場面を見たことがあるか?」
「……いえ」
「では、その英雄に打ち負かされ、滅ぼされた敗者が悪と断じられることは?」
「ブルトーギュをはじめとして、挙げれば日が暮れましょう」
「そうだろうな。詩に謡われ、歌劇となり、民の言の葉に乗るような英雄も、悪と断じられた敗者と所業は大差なかろうに」
ノプトの答えに満足したようだ。
皇子は窓の外に目を移し、高く昇った日を見上げ、目を細める。
「両者の違いはなんだと思う? 両者を隔てるものは何だ」
「勝者となったか否か、でしょうか。歴史は勝者が作る、実に陳腐でありふれた返答となってしまいますが」
「それも真理ではあるだろうな。だが、それだけでは説明がつかない例外が存在する。悲劇の英雄、敗者となってもなお、民に慕われ語り継がれる者たちの存在だ。彼らについてはどう説明する?」
「……わかりかねます。このノプト、これ以上の回答は持ち合わせませぬゆえ」
従者の答えを受け、クククっと小さく笑い、グラスに葡萄酒をそそぐ。
「敗者となっても、英雄として扱われる者たち。彼らは『正しかった』のだ。勝者にすら真実を歪められぬほどに、一部の隙もなく正しかった。だからこそ、彼らは負けた後も英雄たりえるのだよ」
「……御見逸れ致しました、閣下」
「そう、『正しさ』こそ全てなのだ。正しければ民衆に支持される。時を越えてなお、英雄として存在し続けられる」
グラスをかたむけ、酸味に舌鼓を打ち、不敵に笑う。
あの戦場での混乱の中、正確に真実を理解出来た兵士が一人としていただろうか。
いたとして、証拠もなにもない負傷兵の曖昧な証言を信じる者は?
王国民や本国の民に至っては、何が起きたかすら知らないのだ。
知らなければ、真実など後からいくらでも作り出せる。
誰が言ったかもわからないような不穏なウワサなど、いくらでも握り潰せる。
己の信念に裏付けられた絶対的な自信を、タルトゥスは持っていた。
「暴君を討ち、暗君を諌め、善政を敷く。俺は歴史を作り、操作する勝者の側であると同時に、英雄の資格たる『正しさ』も持っている。なぁ、ノプトよ。俺のような男こそ、英雄と呼ぶにふさわしいだろう?」
「ええ、まさに。……ですが、閣下の『正しさ』を揺るがしかねない不安要素があります」
「……バルミラード。より正確に言えばペルネ姫、か」
「彼女が口にすれば、たとえ虚偽でも民衆は信じるでしょう。彼女もまた『正しい』側にいますから」
「そして、俺が『正しさ』を追い求める限り、こちらからも手は出せない、か」
それがタルトゥスの唯一の懸念。
しかし、バルミラードもこちらには手が出せないはず。
「案ずるな。ルーゴルフは完全に本国を【使役】の支配下におさめた。ブルムとレヴィアもじきに戻るだろう。盤石だ、大勢は揺るがない」
彼は知らない。
勇者である少女の手で、少しずつ歯車が狂い始めていることを。
そして、自らに牙を剥こうとする国が、バルミラードの他にもう一つ存在するということを。
△▽△
「ふへぇ〜、つっかれたぁ……」
スティージュの女王様になって、はや半月。
今日も政務が山盛りだった。
一日中つくえにむかって、書類に目をとおして、サインを書いて。
よくできたメイドさんが手伝ってくれてるけど、やっぱり疲れるし!
だからさ、ドレスのまんまベッドにダイブしてもいいよねっ!
「はしたないですよ、女王様。ドレスがしわになってしまいます」
「しかたないじゃん、つかれたんだもーん」
すっかりあたしの専属メイドになったペルネが、ほほを膨らませてお小言してくる。
いいじゃん、みんなの前では頼れるお母さんみたいにふるまってるんだから。
プライベートぐらいだらけさせてよ。
「もう……、こんな女王様見たことないですよ……」
「そうかな。案外みんな、裏ではこんな感じだったりしてね」
「ありえませんっ! 私はそんなこと、一度もした覚えありませんから!」
ホントかなー。
ずーっと肩ひじ張ってて、疲れたりしないのかな。
「ふーん……。ま、いいや」
「よくないですから。起きてください、せめてドレスを脱いでください」
あはは、ペルネってばお母さんみたい。
……お母さん、か。
よくあたし、お母さんみたいって言われるけど、本当のお母さんがどんな感じか知らないんだよね。
漠然としたお母さんのイメージはあっても、本物を実感として知らないんだ。
「……うん、そうだね。あんまりベル困らせるのも気分悪いし」
「……ストラさん? もしも具合が悪いんでしたら……」
顔に出ちゃったかな、ペルネに心配そうな顔させちゃった。
「心配しないで! ちょっと疲れただけ、あたしはこの通り元気だから!」
ベッドから飛び起きて、手足を曲げ伸ばしての元気アピール。
「なら、いいんですけど……」
ちょっと不自然だったかな、まだ疑われてるっぽい。
姿鏡の前で、ペルネに背中の留め具を外してもらう。
鏡に写ったペルネ、まだ心配そうにしてるなぁ……。
「女王の務めの過酷さは、私もよく知っています。ムリだけはなさらないでください……」
「ホントに平気だって。そんなんじゃないから。ただ……、ちょっとお母さんのこと考えてただけ」
重たいドレスを脱いで、薄手のドレスに腕を通しながら、正直に気持ちを明かした。
ペルネってガンコだから、はぐらかしてもずっと聞いてくるだろうし、これ以上心配かけたくないし。
「お母さん、ですか……?」
「そう。あたしがまだすっごく小さいころに死んじゃって、顔も覚えてないからさ。ベルにお小言されて、お母さんってこんな感じなのかなって、少し考えちゃったんだ」
って、こんなこと言われても困るよね。
一つ年上の女の子にお母さん扱いされるとか、さすがに怒っちゃうかも。
さて、着替え完了。
今度こそ、ベッドに横たわってゆっくりと……。
「ストラさん……っ」
「わひゃぅ!」
突然、ペルネに抱きしめられた。
なんで?
そんなことするキャラじゃないでしょ、あんた。
「ちょっ、いきなり何して……」
「え、えっと、私の母が、私が小さいころ、よくこうして抱きしめてくれたので……」
ペルネのお母さん、そういえば聞いたことある。
とっても優しくて賢くって美人だったけど、何年か前に亡くなっちゃったんだっけ。
「ご、ごめんなさい、迷惑でしたらすぐやめますから……」
「ううん、迷惑なんかじゃないよ。ベルに抱きしめられてると、なんだかとっても落ち着くんだ……」
不思議。
心はもちろん体の疲れまで吹っ飛んでく。
お母さんとはちょっと違うかもしれないけど、すっごく安心する……。
「……ねえ、今日さ。こうやってだっこしたまま一緒に寝てくれない?」
「それって、女王様命令ですか?」
「違うよ、ただのストラとしてのお願い。嫌ならことわってくれていいから」
キリエがベアトをだっこして寝てるのも、落ち着くからなのかな。
ちょっと試してみたくなった。
「嫌だなんて、とんでもない。喜んでうけたまわります、女王様」
「女王様命令じゃないんだってば、もう。あははっ」
「ふふっ」
コンコン。
二人で笑い合ってたら、ドアがノックされた。
誰だろ、もう政務の時間は終わったのに。
「はーい、誰?」
「女王陛下、私です」
「……大兄貴じゃん」
なーにが女王陛下だよ、かしこまっちゃって。
いや、それが正しいんだろうけどさ。
なんか変な感じするし、公の場以外ではやめてほしい。
「いつもの調子でお願い。じゃないと部屋に入れません」
「……しかたないな。入るぞストラ、かまわないな」
「はい、どーぞ」
両開きの扉があいて、ギリウス騎士団長様のご登場。
ちょっと頭をかがめての入室だ。
「なにしにきたのさ、今はプライベートの時間なんだけど」
「そう言うな、急ぎの用事だ。まずはコイツに目を通せ」
大兄貴が懐から取り出した書簡。
丸めたそれをヒモ解いて、私に手渡した。
ペルネといっしょに中身に目を通すと、予想以上に重大な内容におもわず顔を見合わせる。
「……これって」
「見ての通り、バルミラードから会談の招きだ。目的までは書いていないが、その様子だと予想はついてるだろう? 共にタルトゥス討つべし、とな」