第97話 よくないけど?
「んぁ……?」
ふと目が覚める。
天井は清潔で、身体を横たえているベッドもフカフカで気持ちがいい。
こんな所だったっけ? 俺が泊められていた宿屋、こんないいもの使ってたか?
王都の最高級宿ならまだしも、カルトの宿だったから大したことはなかった気がするんだが……。
「あら? 起きたの? そのまま一生目を瞑っていてもよかったのに……」
「それはない。誰を犠牲にしてでも生き延びてやる」
冷たくも綺麗な声に、俺は自然と反応して言葉を返していた。
無意識に返しているので、間違いなく俺の本心である。
目を向ければ、俺が寝ているベッドの側に椅子を置き、そこに座って本を読んでいるマガリの姿があった。
……なにしてんだ、こいつ?
「……あれ? あの気持ち悪い化け物と気持ち悪いエセイケメンは?」
「あなたが倒したじゃない。記憶ないの?」
ふと思い出すのは、ヘドロの気持ち悪い化け物と、クソムカつく天使である。
あいつら、どうなったんだろうか……と思って聞けば、俺が倒したらしい。
うーん……なんかあったような気がしないでもないのだが……明瞭に覚えているというわけではない。
「……マジ? 俺凄いじゃん」
「ええ、凄いわね。変な暴走状態みたいになっていたわよ。お腹に穴をあけられていたのに、それも治っているしね」
「マジだ……」
そう言えば、あのクソ天使に槍でぶっ刺されたんだった。
慌ててお腹をさするが、穴どころか傷跡すらなかった。
よかった……けど、あいつに耐えがたい苦痛を与えてから殺したいという気持ちが湧き上がってくる。
記憶のない俺が倒したらしいが、ちゃんと報復しただろうか?
……しかし、暴走ってなに? そんな設定あったの?
まあ、いいか。今のところ不調はないし……とりあえず、マガリがここにいる理由から聞いてみよう。
「っていうか、何でお前がここにいるの? 何が目的だ? 気持ち悪いんだけど……」
「はぁ……私があなたを心配していたとは思わないのかしら」
「ないじゃん」
「まあね」
ジロリと睨み合う俺とマガリ。
俺たちがお互いを心の底から心配して側にいるなんてことはありえない。
そして、できる限り俺たちは同じ空気を吸おうとはしない。
それなのに、いつ起きるかもわからない俺の側にいた……ということは、マガリは何か目的があるはずだ。
あいつにとっていいことならば、俺にとっては悪いことだ。
警戒しなければならない。
「もちろん、私にも目的があってここにいるのよ。窓、開けるわよ」
マガリは俺の問いには明確に答えず、窓を開けた。
爽やかな風が入り込んできて、気持ちがいい。
天候もいいので、また二度寝をしてしまいそうになるほどだ。
……いや、もう寝てしまおうか。
「……そろそろ、かしらね?」
「は? なにが?」
そんなことを考えていると、マガリが意味深な呟きをする。
凄い……嫌な予感しかしない……。
「耳を澄ませてみて。聞こえないかしら?」
うっすらと笑みを浮かべて俺を見るマガリ。
その姿は、とても美しい。エリアやヘルゲが惚れてしまうのも分かる。
しかし、俺にとっては死神の微笑みにしか見えないのであった。
ただ、何が起きているか俺も知る必要がある。
激しく警戒しながらも、俺は耳に集中して音を拾おうとする。
「皆さんの知ってのとおり、私たちの信仰していた天使様は、私たちを虐げました」
「……エリザベス? また猫被ってんのか」
この声は、エリザベスのものだった。
俺と話す時の荒んだ口調や声音ではなく、外面の良い演技をしている時のそれだった。
まあ、俺からすればまだまだなんだけどね。もっと演技力を高めるべきだろう。
「あの時、多くの人が天使様の言葉を聞き、ふるまいを見ていました。その人たちから伝え聞いた人も多いでしょう。天使教を率いていた私の父ルボンも、天使様に殺されてしまいました。この街も、建物も、多くが壊されてしまいました」
「壊したのは大体アリスターだけどね」
「マジ?」
俺、マジで記憶があやふやなんだけど、何していたのだろうか?
まあ、俺が無事ということは、間違ったことはしていないのだろう。
俺が無事なら別に他は些細なことだしな。
「……皆さんに一つお聞きしたいのです。私たちは、これからも天使様を信仰し続けるべきでしょうか?」
うーん……声を拾う限り、エリザベスは天使教を辞めたいのだろうか?
まあ、カルトだし辞めた方がいいとは思うけど。
勝手に見えないところでやってくれるのは構わないのだが、俺を巻き込んだことは許しがたい。
そんなエリザベスの言葉に、信者たちの答える声が届く。
「お、俺たちを駒のように扱うやつを信仰したいとは思わねえ。けど……」
「でも、私たちはこれから何を頼りに生きていけばいいんですか!?」
「自分だろ」
「自分よね」
俺とマガリは思わず見つめ合って頷いていた。
他人を頼りにしようとするから裏切られた時にダメージを受けるのだ。
自分で全て何とかしようとしていれば、それほど大きくない。
それでも、もちろんできないところはあるのだが、それは上手く他人を利用すればいいだけの話だ。
「そう。私たちを虐げ見下す天使様をこれ以上信仰したくはない。でも、私たち矮小な存在は、何か頼ってすがるべきものを見出さなければなりません」
エリザベスの真摯な声が届いてくる。
猫をかぶっているが、言っていることは本心からなので、それこそ響く者には響くだろう。
俺はビクともしなかったけど。
「そこで、私は一つの存在を見つけました」
「そ、それは!?」
え? あるの? そんなの。
信者の驚く声も聞こえてくるが、俺も同じ気持ちだった。
カルトで狂信的なこいつらに、天使の代わりとなる存在がいたのか。
その代わりの存在はご愁傷様だな。大変だぞー。俺は関係ないからどうでもいいけど。
「皆さん、思い出してください。天使様が私たちに槍を向け、冷たい目を向けてきたとき、誰がそれに抗ったのか。誰が、私たちを守るために戦ってくれたのか。誰が、この街をこれだけの被害に収めてくれたのか……」
…………うん?
あれ? おっかしーな……なんか心臓が不自然にドキドキする。
これは、いい意味でのドキドキではなく、不安を掻き立てる悪いものだ。
「も、もしかして……」
「そう、王国の勇者様……アリスター様です!!」
俺の名前が出てきて、一瞬頭が真っ白になった。
何も考えらず、言葉も浮かび上がらない。
……今、誰の名前を言った? アリスター?
アリスターって、俺以外にもいたっけ? いや、そもそも俺はアリスターではないのでは?
……そんな現実逃避、無意味だよな。
「はああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「うっせ」
大絶叫に、マガリは心底迷惑そうに顔を歪めて耳を抑える。
いやいやいやいや! 何言ってんのあのクソロリ!!
「彼は、とても優しい。私たち信者を誰一人こぼれ落とさず救ってくださるでしょう! 強大で凶悪な敵にも立ち向かう勇気を持ち、それを打ち砕く強さも持っている。まさに、私たちが信仰すべき存在ではないでしょうか!?」
ではないです!!
何で狂信者……しかも、先日俺を殺してやろうと追い回してきた奴らを一人残さず救わないといけないんだよ!
むしろ、俺を魔剣から救ってほしいんですけど!?
あと、俺に勇気も強さも微塵もないから。全部魔剣だから、それ。
というか、信者が納得するはずないじゃん。
いきなり天使に代わって俺を信仰しろって? そんなバカげた話、誰も受け入れないだろ。
『うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
しかし、俺のそんな思惑とは裏腹に響き渡ったのは信者たちの大歓声であった。
嘘だろ!? 誰でもいいのかよ、お前ら!?
……いや、本当に誰でもいいのかもしれない。
彼らにとって、必要なのはただ信じてすがることのできる存在。それこそ、偶像でもいいのだろう。
だからこそ、ちょっと彼らにとって都合のいいことをした俺を祭り上げるのか……。
「それでは、私たちはこれより、勇者様を信仰して勇者様に奉仕する……勇者教となります!!」
「――――――」
頭が真っ白になった。
ゆ、勇者教……? なにその滑稽な名前の宗教。
絶対まともな宗教じゃないじゃん。カルトじゃん。というか、信仰対象が変わっただけなのだから、カルトのままじゃん。
「ぶっ、くっ……ぶふふっ……!」
俺の耳に届いてきたのは、マガリのほくそ笑む笑い声だった。
ハッと彼女を見る。彼女は心底愉快そうに笑っていた。
「き、貴様……まさか、これが分かっていて……!?」
この女、エリザベスの演説内容を先に知っていたな!?
知っていて、この演説を聞かせようと……俺を絶望させようと、窓を開けて……!!
「ふっ、ふふ……あなたが寝ている間に、エリザベスとはそれなりに話すようになってね。……おめでとう、カルトの信仰対象さん」
邪悪。吐き気を催す邪悪とは、彼女のことを指すのだ。
あんな狂信者たちに信仰されるデメリットを、マガリはしっかりと把握している。
たとえば、もし彼らの理想像とは異なる本性が知られた場合、「こんなの俺たちの信じる勇者じゃない」とか言われて命を狙われることだってあるだろう。
明らかに俺と彼らの勇者像は違うのだから、俺は今まで以上に細心の注意を払って演技をする必要が出てきたというわけである。
「あと、そう簡単に逃げられなくなったわね。どこに行っても、彼らはあなたを探そうとするでしょうし。私は王城に缶詰めで逃げられないから、これで対等になったわけよ」
俺は白目をむいた。
こ、この女……そこまで考えて……!
「おのれ! 貴様は……貴様だけはあああああああああ!!」
「ちょっ!? 飛びかからないでよ! まだ起きたばかりだから傷が開いたら危ないでしょ!!」
俺とマガリは取っ組み合いのけんかを始めた。
まあ、地面でやると彼女の身体が痛いだろうし、ベッドの上に放り投げてその上から圧し掛かる。
そして、彼女のムニムニの頬を思い切り引っ張ってやる。
はっはっはー! 涙目になっても許さん……局部を膝で狙ってくるのは止めろ!!
「アリスター! 起きたの……何してんだ?」
ガチャリと扉が開けられると同時に、エリザベスが入ってくる。
その直前、何者かが近づいてきたことに気づいた俺とマガリは、すぐさまもつれていた状態から離れた。
見られたらマズイ光景であったことは、お互いに認識していたからだ。
ベッドの上でもつれ合い、衣服を乱した男女。激しい攻防を繰り広げていたため、頬も赤らんでうっすらと汗も浮かんでいる。
うん、ダメですね。
そのため、急いで離れてお互い衣服を整えたのだが、ベッドの上で少し距離をとりつつ息を乱して衣服を弄っているという、なかなかマズイ光景になっていた。
エリザベスはいまいち意味を理解していないようなので、ジト目を向けてくる程度だったが。
「あ、ああ、エリザベス。ありがとう、いい部屋を与えてくれて。看病もしてくれたんだろう?」
「おう、そんなの当たり前だよ。……やけにボロボロになっている気がしないでもないけど」
つい先ほどまでマガリと激しい格闘戦を繰り広げていたからな。
あっちは爪で引っ掻いてくるからズルい。
「それに、俺よりもマガリの方が看病していたぞ。アリスターのベッドの中にもぐりこんで寝ていたのは、どうかと思うけどな」
エリザベスはジト目でマガリを睨みつける。
マガリが俺を看病したのも、今日この演説を聞かせたかったからだろうなぁ……。
なんて性悪な女なんだ。
しかし、そうか。こいつは俺のベッドにもぐりこんで寝ていたのか。
「……別に普通じゃないかしら? 人肌って、病人とかけが人に良さそうだし。私も温かくして寝られるし」
「まあ、そうだな」
別に、大したことではないな。
ただ、俺は人肌の体温が苦手だから二度とするな。
「えぇ……? お前ら、結婚してんの?」
呆れたように言ってくるエリザベス。
そんなわけねえだろ。全然俺に甘くないし、俺を養ってくれないし……評価は低いぞ。
「あ、アリスター。その……色々ありがとな。俺に自由を与えてくれたこと、あのクソ天使を倒してくれたこと……感謝しかねえ」
「あ、ああ……」
もじもじと恥ずかしそうにしながらお礼を言ってくるエリザベス。
本当に感謝してんの? じゃあ、俺にカルト押し付けてくるの止めてくれませんかね?
あれ、絶対に嫌がらせだよな? 俺のこと、本当は嫌いだろ?
「そ、そう言えば、また彼らの前で猫をかぶっていたな。本当の姿を見せてもいいんじゃないか? 今のエリザベスも、十分魅力的だぞ?」
俺はそう言ってエリザベスに笑いかける。
もちろん、裏がある。裏もないのに人を褒めたりなんてしない。
エリザベスの乱暴で粗暴な本性を出せば、お前の本性に幻滅して勇者教とかいうクソみたいな宗教から抜け出す信者が増えるかもしれない。
こいつは聖女として象徴的な存在だからな。……てか、勇者教の聖女ってなんだよ。
「そ、そうか?……いや、でもいいや」
「え? なんで?」
照れた様子を見せながら否定するエリザベス。
断るな! 俺にとっては死活問題だぞ!
しかし、エリザベスは俺の心境を一切知らないので、それこそ華が咲くような美しい笑顔を浮かべた。
「俺の本性は……俺の秘密は、アリスターだけが知っていればいいからさ」
よくないけど?
俺は天を仰ぎ見るのであった。
◆
【悪教は栄えない。天使教の狂信者たちに追い回される勇者アリスターと聖女マガリ、エリザベス。それもそのはず、教徒たちが信仰する天使そのものが、狂った邪悪な存在だからである。天使は教徒を慈しむこともせず、ラッパを吹いて終末の化け物を呼び出す。それは、一体で国を滅ぼすことができるほどの化け物であった。流石のアリスターも苦戦を強いられ、卑怯な天使に背後から攻撃を受け、一度は大きなダメージを受けて倒れる。しかし、彼は何よりもエリザベスや教徒たちのため、再び立ち上がった。その身に、代償の大きな魔剣の力を解放して纏わせ、自身の生命を削ることもいとわず戦ったのである。はたして、終末の化け物と天使は打ち倒された。自分たちを虐げてこき使い、命を狙ってきた天使を倒したアリスターを、その後慕い始めるのは当然だっただろう。聖女エリザベスが天使教を廃し、勇者教としてアリスターを信仰するのは、良き判断だっただろう。あのようなカルトならば、今日のように世界の中でも大きな勢力を持つ大宗教にはなっていない。この後、エリザベスは死ぬまで精力的に勇者教を布教し、大司教として活躍し、聖人として死後語り継がれるのであった。彼女は信者たちにとても優しく穏やかに接していたが、信仰対象のアリスターにだけは心を開き、粗暴な言葉づかいで身体をすり寄らせているとの記述のある書籍がいくつか見つかっているが、信ぴょう性は薄い】
『聖剣伝説』第九章より抜粋。
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