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【書籍化・コミカライズ】偽・聖剣物語 ~幼なじみの聖女を売ったら道連れにされた~  作者: 溝上 良
第三章 黒の発露編

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第94話 発露したもの

 










「な、んだ……?」


 ラガエルは、殺そうと決めていたエリザベスに槍を振り下ろすことができず、硬直してナナシを見ていた。

 その隙に、エリザベスは天使教徒に助け出されて彼の近くから離されたのだが、それを気にする余裕すらなかった。


 彼の注意を集めているのは、自身がラッパで召喚した終末の化け物が吹き飛ばされた無残な場所である。

 ヘドロが飛び散り、付着した地面を音を立てながら溶かしていく。


 それも、ナナシの毒性である。そんな毒を体内に入れられ、あまつさえその毒の塊に包み込まれた勇者アリスターは、間違いなく死んだ。

 そう、死んだはずなのだ。


 それなのに……。


「どうして、そこに立っている?」


 アリスターはしっかりと二つの脚で立っていた。

 ナナシのヘドロの身体を爆散させ、その毒の牢獄から抜け出していた。


 それだけでも驚嘆に値すべきことで、信じられない光景であるのだが、ラガエルの目を引きつけたのは彼の変貌した姿にもあった。


「……なんだ? その気味の悪い姿は」


 アリスターは、人間にしては整った顔立ちとスタイルをしていたはずだ。

 意思が強く、正義感を持ち、底なしの優しさで回りを癒すような、そんな癪に障る男だった。


 だが、ナナシの上に立っているあの姿はなんだ?

 全身から黒々とした瘴気のようなものが溢れ出し、それどころか彼の身体を覆うように纏っている。


 そのため、アリスターの肌も、衣服も、黒に染められてしまっており、唯一その汚染から排除されているのは、紅く爛々と光る二つの目だけである。

 あまりにも異質な容貌。ラガエルはもちろんのこと、本来であれば喜ぶはずのエリザベスやマガリですらも唖然としていた。


「アリスター、か……?」

「馬鹿。いいから離れるわよ」

「お、おい……!?」


 エリザベスはフラフラと近寄ろうとするが、マガリに引っ張られて離される。

 アリスターに懐いていたエリザベスは異質な様子になっても子犬のように近づこうとしたが、自分大好きで危機管理能力がずば抜けているマガリは、今の彼に近づいてはいけないことを直感で悟ったのだ。


「いえ、あれはそもそもアリスターなの?」


 ナナシの内側から現れたということから、ほぼ間違いなくアリスターである。

 だが、あの変わり様はなんだ? あの黒々とした姿はなんだ?


 マガリにも……いや、超常の存在として人間を見下していたラガエルですらも、『あれ』が何者なのか、理解することができなかった。


「……魔剣使いか? いや、その問いはどうでもいいな。私の呼び出したナナシから現れたということは、おそらくそうだろう」


 ラガエルは槍を構え直し、変わりきったアリスターを睨む。


「馬鹿が。そのままナナシの中で跡形もなく消滅しておけば、楽に死なせてやったものを。この場にどのような手段で舞い戻ってきたか知らないが、苦痛を伴って死ぬことになっただけだ」


 アリスターが変貌していようがいまいが関係ない。

 愚かにも再び自分の前に出てきたのであれば、もっと無残に殺すだけのことだ。


 それに、ナナシだってあれくらいで死ぬような生命体ではない。

 自分に注意を引きつけておき、後ろからナナシが触手を伸ばしてズタズタに引き裂いてやればいい。


 今度は、確実に殺してやるために、首を槍で突いてやろう。

 少し先に待っているであろう未来を思い描き、ニヤリと嗜虐的に笑うラガエルであったが……。


「…………あ?」


 彼の視界から、アリスターが消えた。

 ふっと、何の予兆もなく蜃気楼のように消えたのだ。


 視線を外したことはなかった。それなのに……。

 しかし、ラガエルだって馬鹿ではない。


 目の前から消えたということは、特殊な力でも使っていない限り、おおよそは……。

 そんな考えの元、ラガエルは視線を上に向けた。


 はたして、それは正しかった。アリスターは、上に跳んでいた。

 だが、その跳躍はラガエルに接近するためのものであり、それに気づくまでに少しのタイムラグがあったせいで、アリスターはもはや目と鼻の先と言えるほどラガエルに接近していた。


「――――――」


 その光景は、ラガエルの目に張り付いて消えないだろう。

 全身から禍々しい瘴気を溢れさせた黒い男が、目を紅く爛々と光らせながら拳を硬く硬く握りしめているのである。


 あれは、人間だ。人間のはずだ。だから、上位の存在である自分が怯えることなんてありえない。

 そのはずなのに……ラガエルは、今生まれて初めて恐怖というものを味わったのであった。


「ごっ……!?」


 空気を切り裂き、まるで大砲のようにアリスターの拳が打ち出された。

 慌てて槍を構えて防ごうとするラガエルであったが、間に合うはずもない。


 端整に整った顔面にめり込む拳。

 高く突き出たスッとした鼻をゴキゴキとへし折り、綺麗な歯を欠けさせ……。


 ドン!! と凄まじい音と共に、ラガエルは後方に吹っ飛んだ。

 それは、人間に殴られて生じる現象とは思えないようなもので、それこそ本当に大砲の弾丸に撃たれたかのようだった。


 折れた歯や血しぶきを撒き散らしながら、ラガエルは地面に倒れこむのであった。


「……あれ、本当にアリスターなのか?」

「私はあんなの知らないわよ」


 エリザベスの言葉に、夢うつつといった状態で返すマガリ。

 そもそも、アリスターにあれだけの硬い拳と筋力があるとは思えない。


 人は、鍛えていなければ、人を殴ることだって満足にできない。

 いや、殴ることはできるのだが、それこそ体格のいい素人でない限り、手首を痛めたりするものだ。


 アリスターも人を殴れば手首が痛くなるし、人を蹴れば足を痛める。

 聖剣に動かされることにぐちぐちと言っていたことを、なんとなく彼に寄りかかりながら聞いていたことがあるマガリ。


 だから、大人の男をあれだけぶっ飛ばすことのできるほどの力で殴りつけたということが、信じられなかった。

 とてもじゃないが、アリスターには見えなかった。


「ひっ……!? ふっ、うぐっ……!」


 ラガエルの端正に整っていた顔は、見るも無残な姿になっていた。

 鼻は潰れ、歯は折れ、それらの場所から出血までしている。


 涙を流して地面をのた打ち回るその姿は、人間を見下し上位存在であることを傲慢に誇示していた男とは思えないほどだ。

 自分たちを駒として嘲笑い、大切な指導者であるルボンを殺された天使教徒たちは、その不様な姿に笑ってもいいはずだ。


 だが、誰一人として笑えなかった。

 自分以外どうでもいいと思っているマガリですらもだ。


 それほど、あの黒いアリスターに畏怖を感じていた。


「て、天使であるこの私の顔面を殴り飛ばすとは……不敬にもほどがあるぞ! 人間風情がぁ……!!」


 ラガエルは涙や血で濡らした顔を、鬼の形相に変えて立ち上がる。

 しかし、先ほどまでの余裕のある優雅な立ち方ではなく、プルプルと膝が震えている小鹿のような頼りなさがあった。


 それは、痛みとダメージということもあったが、アリスターに対する恐怖というものがあった。

 生まれて初めて味わった負の感情。だからこそ、上手く扱うことができないのだ。


 黒く変貌したアリスターと相対しているだけで、身体が震えてしまう。


「こ、殺してやる……! 生きてきたことを後悔させてやる! ズタズタに引き裂いてから、オークの餌にしてやろう!!」


 その呪詛は、直接向けられていないエリザベスやマガリの背筋を凍りつかせるほどの迫力があった。

 しかし、禍々しい瘴気を立ち上らせるアリスターは、それに応えることなくただ佇んでいた。


 しかも、ラガエルはそう言いつつも、自らが槍をとって彼に近づくことができないでいた。

 たった一撃。彼が受けた攻撃は、たった一撃である。


 しかし、その一撃は、ラガエルにとって拭いがたい衝撃と恐怖を叩き込んだのであった。


「ひっ……!?」


 その恐怖は絶大で、紅く輝く両目に見据えられただけで、小さく悲鳴を上げるほど。

 大きな声で悲鳴を上げないのは、ひとえにラガエルのプライドである。


 周りに天使教徒をはじめ、多くの人間が集まっているというのに、そこで不様な姿をさらすことはできない。

 そんな張りぼてのような強気の態度は、しかし時間を稼ぐには十分だった。


「やれ! ナナシ!!」


 アリスターに弾き飛ばされたはずのナナシは、その体積を拡大させて彼の背後に立っていた。

 終末の化け物は、ヘドロでできている。


 いくらそのヘドロを吹き飛ばそうが、核を破壊しない限り倒されることはない。


「キョアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」


 初めてナナシが声を張り上げた。

 それは、まるで怪鳥が発するような、甲高く薄気味悪い声だった。


 事実、エリザベスやマガリなどは思わず耳を塞いでしまったほどだ。

 黒い魔力に身体を覆わせているアリスターは、間近でそれを受けても平然としており、ゆっくりと振り返ろうとしたところで、ナナシのヘドロに再び飲み込まれるのであった。


「はっ、はははははははっ!! 油断したな!? 馬鹿め! 低能な人間にふさわしい最期だ!!」


 目の前で猛毒のヘドロに飲み込まれたアリスターを見て、盛大に嘲笑うラガエル。

 先ほどまで怯えていた男とは思えない。


「いや、私も油断できないな。私自ら殺してやる」


 そう言って槍を強く握りしめ、ナナシに近づくラガエル。

 先ほどは、ナナシだけに任せていて舞い戻ってきたのだ。


 ならば、動けない今確実に殺しておこう。猛毒のヘドロに囚われて動けない彼を、串刺しにしてやろう。


「これで、終わりだ!!」

「アリスター!!」


 ナナシの側まで来て、槍を振り下ろすラガエル。

 それを見て、エリザベスは思わず彼の名前を呼ぶ。


 あの禍々しい瘴気を纏っているのが、本当にアリスターなのかわからない。

 しかし、それでも……。


 エリザベスの声はラガエルの動きを止めることは当然なく、ナナシの身体にズブリと槍が突き刺さった。


「くっ、くひひひひひひひ……ひっ……?」


 ついに止めを刺せたと、狂ったように笑っていたラガエル。

 しかし、その表情は徐々に凍りつく。


 人を刺した感触が、しなかったのだ。

 だが、槍はナナシのヘドロに埋まって動きをとめている。


 それは、どういうことか?

 ドロドロとナナシのヘドロが地面に落ちて溶かしていく。


 ジュージュー音を立てるそこを見ることができず、ただラガエルは唖然としてその異常な光景を目にした。

 ラガエルの突き出した槍は、がっしりと黒い手によって掴みとられていた。


 中から現れたのは、紅い目。


「ひっ、ひいいいいっ!?」


 ラガエルは必死に槍を引き抜こうとするが、がっしりと掴まれている手によってビクともしなかった。

 彼は両手で引っ張り、それこそ全身の力を使って何とか逃れようとしているのに、ただ片手でとくに力を入れている様子を見せないアリスターから逃げることができなかった。


 そして……。


「ァ――――――」


 アリスターの黒い脚が跳ねあがる。

 ラガエルの無防備な腹部にめり込み、ドン! と凄まじい音を立てた。


 彼の身体が「く」の字に曲がり、吹き飛ばされるのであった。




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