第86話 エゴとおせっかい
あまりにも衝撃的な光景に、アリスターは唖然とするしかなかった。
自ら命を捨てるということさえほとんど理解できないのに、自殺して笑みを浮かべていることなんて尚更だ。
「(なに、こいつら? 頭おかしいの? 天使教の狂信者ってことで頭ぶっ飛んでるのは分かってたけど、それ以上だわ。天使教って、自殺したら喜べって教義でもあるの?)」
しかし、チラリと見たエリザベスの顔も、アリスターに負けないくらい唖然としていたので、どうやらそういうことではないらしい。
とはいえ、天使教の狂信者が命を自ら捨ててまで笑みを浮かべるということは……当然、その天使教に貢献することができたという満足感からくるものだろうと、アリスターも予想できる。
ということは……。
「ふっ、ふふふふ……はははははははははっ!! これで……これでようやく溜まったぞ!! 今までの信仰心と信者の命……これで、私は……天使に近づく!!」
「きゃあっ!?」
ゴウッとルボンの身体から魔力が溢れ出し、彼の側にいたエリザベスが吹き飛ばされる。
娘としても、聖女としても大切な存在を、あまりの興奮でもはや気遣うことすらできていないようだった。
聖剣に操られて彼女の小さな身体を受け止めたアリスターは、それよりも異質な力を纏い始めているルボンに目を奪われていた。
「(あかん! なんかパワーアップしそうだ! 今のうちに殺そう!!)」
『い、いや、だから殺すのは……』
「(なに日和ってんだテメエ!!)」
聖剣の制止を聞かずに魔力の斬撃を撃ち放とうとするアリスター。
しかし、残念ながらそれは間に合わなかった。
ブワッと、まるで爆発のような魔力の光が煌めき、彼らの視界を奪う。
そして、その光が収まって中から出てきたルボンは……。
「これが、天使様のお力か……」
彼の姿は変貌していた。
頭上に輪っかを、背中に翼を、手には槍を……まるで、本当の天使のように武装している姿。
ルボンは手に持つ槍を試すように振るう。
「うぉっ!?」
すると、土煙を巻き上げるほど風圧が発生し、アリスターに恐怖を与える。
「これが、天使様のお力……聖具の力か! これは素晴らしい! これさえあれば、世界を征服することだって可能だろう!?」
「(それは言いすぎじゃね?)」
そう思うアリスターであったが、少なくとも自分が立ち向かって良い相手ではないことは分かった。
聖具……それは、天使教に代々伝わる天使の力を宿したアイテムのこと。
その使用には多大な魔力と体力の消耗が必要とされ、また天使に対する信仰心を集めて蓄積していかなければならないので、そうそう何度も使えるものではない。
事実、ルボンだってこれを使うのは初めてなのである。
今までのエリザベスを使った信仰心の高まりと、異端審問官たちの生命力……それを吸収することによって、初めて使うことが許される強力なアイテムなのだ。
「(ほらあああああああああああ!! お前がわけのわからない理由で躊躇しているから、めちゃくちゃ強くなったじゃん! どうしてくれるの!? どうしてくれるの!?)」
『ご、ごめん……』
今回は流石に自分が悪いと、正直に謝る聖剣。
なお、アリスターが許すことは決してない。
「さて、エリザベス。大人しくこちらに戻ってきなさい。そうすれば、勇者は殺すまではしないぞ? ああ、もちろん、そちらの聖女も渡してもらおうか。王国との交渉で役立つだろう」
「…………ッ!!」
「(どうぞどうぞ)」
「(さあ、アリスター。たとえ、手足がもげても戦う時が来たわよ)」
「(来てないです)」
ルボンの脅迫に、歯噛みするエリザベス。
自分が父の元に戻り、今までのように信者たちを騙して寄付金を貪ればいいのだろうか?
そうすれば、自分に初めて自由を与えてくれたアリスターを、助けることができるのか?
悩む。悩んで、悩んで……。
「そ、の……必要は、ないさ。エリザベス」
「あ、アリスター!?」
エリザベスの小さな肩に手を置いたのは、アリスターだった。
やけに苦しそうにしているのが印象的である。
「で、でも、このままだとアリスターが……」
「お前を引き渡して安全を、貪ろうなんて、思わないさ。俺がなんとか、してやる……」
ふっと笑うアリスター。
めちゃくちゃ頬が引きつっていたが、まるで物語に出てくるような、危機に陥ったヒロインを助けに来る主人公みたいなアリスターに、エリザベスはそのようなところが見えなくなってしまっていた。
「(クソがああああああああああああああ!!!!)」
『見捨てるなんてできるわけないだろ!』
もちろん、こういったことを言わせたのは聖剣である。
全力で抵抗していたがゆえの頬のヒクヒクだ。
「(あいつ、めっちゃ強そうじゃん! 何で戦うんだよ! よしんば戦うとして、だったら何で変身する隙を攻撃しなかったんだボケぇ!!)」
『さあ、行こう!』
「(……お前さ、都合悪くなったら無視するの止めたら? というか、多分今のお前って俺以上のクズだぞ)」
『…………』
聖剣は答えなかった。
「ほう? 今の私を……天使様のお力を使っているこの私を、倒すことができると? どうやら、勇者は無知で力の差も理解できないらしい」
アリスターは理解している。
それゆえに、さっさと逃げようと主張していたのだ。
「まあ、いい。この力に慣れる必要もあるだろう。相手をしてやる」
ふわりと翼をはためかせて空に浮かぶルボン。
「(ほら、空にいるじゃん。もう攻撃も届かないし、諦めてよくね? 謝って聖女二人差し出したら許してくれそうだし)」
アリスターはこの場を見逃してさえもらえれば、自分の安全は保障できると踏んでいた。
というのも、ルボンは強大な力を手にしたことで調子に乗り、王国の聖女……マガリまでも手中に収めようとしている。
そうすれば、王国との衝突も必至だ。
いくらルボンが強大な力を持つことができたとはいえ、所詮それは聖具に頼ったものだし、代償が何もないとは思えない。
いつまでも四六時中発動し続けることだって不可能だろう。
そうなったら、規模と数に勝る王国が勝つに決まっている。
個と国家が本気でぶつかり合えば、個がそれこそ大陸を制覇することができるほどの力がない限り、必ず国家が勝つのである……と思っている。
そんなわけで、案外余裕の態度を見せるアリスターであるが……。
『僕とアリスターの正義の力、思い知れ!』
「(お前のエゴとおせっかいの力の間違いじゃね?)」
当然、そんなことを聖剣が認めるはずもなかった。
もはや諦めの境地に来ているアリスター。こっそりと聖剣を溶かすための鍛冶屋と交渉を始めているのは内緒である。
聖剣に操られて、凄まじい脚力で大ジャンプを披露するアリスター。
そのままの勢いで、ルボンに斬りかかった。
いくら強力な聖具を持っているとはいえ、その扱う者が素人では宝の持ち腐れである。
事実、アリスターの接近に対応できず、ルボンはただ立っているしかできなかったが……。
「ぐおっ!?」
ルボンを守るように現れた魔力の障壁によって、聖剣は弾かれてしまう。
大半の障壁など聖剣の切れ味であっけなく切り裂くことができるのだが……天使の力は、聖剣の斬撃を防ぐほど強大なものだった。
「はっ、ははっ。空中でそんな無防備な姿をさらしてもいいのかぁっ!?」
ルボンは嘲笑い、ふわりと地面に落ちようとしているアリスターに槍の矛先を向ける。
すると、その切っ先に光が集まり、まるで太陽のように丸く形作られて……。
「がっ……!?」
「アリスター!?」
そこから発せられた目もくらむような光線によって、アリスターは地面に物凄い勢いで叩き付けられるのであった。




