第85話 ゴリゴリ
「おぉ……やはりここに来たか。ふっ……お前と聖女の関係性は調べがついている。故郷からの幼馴染らしいな。そりゃあ、見捨てることなんてできないだろうなぁ」
「…………」
ルボンの言葉に、アリスターは鋭い目を返すだけ。
無言は肯定である。ルボンはそう考えて、にんまりと悪辣に表情を歪める。
人質というものは、使う相手によってはあまりにも有効的すぎる。
もちろん、その価値があるべき存在でないと効力を持たないが……アリスターにマガリはぴったりだったらしい。
「(やっと来たわね! 遅いのよ! さあ、私だけを助けなさい!)」
「(嫌です……)」
「(何で?)」
アイコンタクトで会話している内容までは、流石のルボンも気づくことはなかった。
というよりも、アイコンタクトでここまで詳細な会話をできるアリスターとマガリが異常だし、それを一切察しさせないほど二人の演技は完璧だった。
アリスターはマガリを助けようとする強い表情、マガリはそんな彼に危険な思いはさせたくないという心配そうな表情を作り出しておいて、あのアイコンタクトでの会話である。誰が想像できるだろうか。
「そして……エリザベス。お前も来ていたのか。勇者に危険なことはされなかったか? 父は心配していたんだぞ」
ニッコリと笑みを浮かべてエリザベスを見るルボン。
一見すると、子供を心配して思いやる父親の姿に見えなくもないのだが……。
「嘘つけ、クソ親父。あんたが心配したのは、俺自身じゃなくて聖女としての俺だろうが。俺がいねえと、寄付金も十分に得られないどころか信仰心も減ってしまうかもしれねえからな」
エリザベスの言葉に、眉をピクリと動かすルボン。
「エリザベス……父に向かって、どうしてそんな乱暴な口調を使うんだ。今までのお前は、そんなことは決してしなかったじゃないか」
「それは、あんたが俺のことをちゃんと見てくれていなかったって証拠だよ。俺は昔っからこの性格だし、この口調だよ」
ルボンとエリザベスの口論が続く。
アリスターとマガリは、どうでもいいからさっさと終わらないかなと思っていた。
「……やはり、勇者はお前に対して悪い影響を与えたようだな。処分しようとしたのは、間違いではなかった」
「(俺のせい!? さっきこのガキが昔からそうだって言ってただろうが! 自分の都合の悪いことは聞こえないのか!?)」
自分のことは棚に上げてルボンを罵倒するアリスター。
彼も自分に都合の悪いことは聞いておきながらも無視する模様。こっちの方が悪質だ。
「だが……何も暴力にだけ頼るというのもよくないだろう。私もできる限りは、そういうことは避けたい」
「(いきなり異端審問官ぶつけてきたり、信者を使って街全体で追いかけまわしてきたくせに、今更何言ってんだこいつ? 信じる奴いるの?)」
「交換をしようではないか、勇者」
「交換……?」
アリスターはすぐに察する。
要は、人質交換みたいなものだ。人質をとっているのはルボン側だけなのだが。
「エリザベスをこちらに渡していただきたい。そうすれば、そちらの聖女……マガリを渡そう。どうだ?」
「(え? エリザベスは渡すし、マガリは引き取ってほしいんですけど。そうしたら、俺は喜んでその提案に乗るんだけどなぁ……)」
「(おい)」
アリスターの考えていることを似た者同士で同じ思考回路を持つマガリは察して睨みつける。
逆の立場だったら、彼女も同じことを考えていた。
「……ヘルゲさんたちは?」
「ヘルゲさんたちは私を守ろうと戦ってくれたんだけど……」
「なかなか強い護衛だったな。しかし、精鋭の異端審問官たちに囲まれては、彼らも屈するしかなかったよ。なに、殺しはしていないから、安心してくれ。なんだったら、聖女と一緒に引き渡そう」
「(結局役に立たなかったな、あの連中……)」
いざというときは彼らに戦闘を任せようと考えていたアリスターは、あからさまにがっかりする。
さて、ルボンの提案である。
アリスターとしては、エリザベスも引き渡すしマガリもこっちに寄越さなくて結構という無条件降伏を受け入れる準備がある。
「(ねえよ!!)」
マガリの目は無視だ。
しかし、だ。異端審問官を使った暗殺まがいのこと、信者たちを使った人海戦術……これらのことを考えると、本当にエリザベスとマガリを引き渡したところで自分の安全を保障してもらえるのかという強い疑問がある。
というようなことを考えると、やはり……。
「あなたがエリザベスに向き合っていない以上、彼女をおいそれと渡すわけにはいかないな。それに、マガリも(いざというとき盾にも生贄にもできる)大切な存在だ。返してもらおう」
「アリスター……」
「アリスター……(心の声が聞こえてるんですけどー?)」
聖剣を構えてキリッと格好つけるアリスターを見て、エリザベスとマガリは感動したように彼を見る。
後者は内心憤っていたが。
「ちっ。やれるものならやってみろ。この天使教の精鋭たちを相手にできるのならなぁっ!!」
忌々しそうに顔を歪めたルボンは、そう言って側に控えさせていた異端審問官たちにアリスターを襲わせた。
それぞれが厳しい鍛錬と経験を積み重ね、しかも天使教のためにその命を使うことはもとより捨てることさえためらわない最強の戦士たち。
アリスター本体であるならば、手も足も出ずにボコボコにされて終わりだろう。
だが、そんな彼らでもかつてアリスターのようなまがい物ではない勇者と共に経験を積んだ聖剣ならば、打ち倒すことができなかった。
「がはっ!?」
「ぐっ!?」
「ぎゃあああっ!!」
「そ、そんな……!」
次々に無力化されていく異端審問官たちを見て、ルボンは愕然とする。
アリスターを先に襲っていた異端審問官たちが敗北していたということは知っているが、しかし目前でその光景を目の当たりにすれば、その衝撃というものも大きく変わってくる。
強力な戦士たちが殺されもせずに無力化されていく光景は、ルボンにとって悪夢以外のなにものでもなかった。
「(てか、こいつらマジで理解できねえな。宗教のために命を捨てるって、なんだよ?)」
『自分の身よりも大切な何かを持つ人っていうのは、一定数存在するものだよ。それが、カルトというのはどうかと思うけどね』
「(自分よりも大切なもの……?)」
アリスターは聖剣に身体を操られているがゆえ、案外冷静になって異端審問官たちを見ることができた。
彼らが繰り出す攻撃は全く見えないが。
アリスターには到底理解できないことだった。
なぜなら、彼には自分以上に大切なものなんて、この世に存在しないからである。
それこそ、世界中全ての命よりも自分の命が重いと思っているし、自分のためだったら他人なんてどうでもいいと思っている。
彼もまた異常な思考回路と性格をしているのだが、彼からすれば異常なのは自分以上に大切なものを持っている人々なのである。
「(うごおおおお……! 気味悪い。さっさと倒してくれや)」
自分絶対主義者であるアリスターは、宗教に命を捧げる異端審問官たちのことが理解できず、多大なストレスと精神的ダメージを負っていた。
昨日にそれなりに大きな身体的ダメージを負っていたことや、今までシルクやマルタといった人々を救うために、本来であれば決して対峙したり経験したりすることのなかった不本意なことをしてきたことも、大きな要因となっている。
「ぐはっ!? く、クソ……! 天使教のため……聖女様のために……!!」
聖剣はたとえアリスターの命が危機にさらされようともできる限り敵でも生かそうとするので、今回も攻撃方法は聖剣で斬るというより殴ったり叩いたりしている。
そのため、攻撃を受けても根性で意識を保ち、アリスターに掴みかかってくる者もいる。
「(いやああああああ!! 触らないで! 犯されるうううう!!)」
「ぎゃっ!?」
『うわぁ……』
とっさに身体を動かしたアリスターは、掴みかかってきた異端審問官の顔面を殴りつけた。
鼻血を噴き出して倒れる彼を見て、容赦のなさに聖剣は引いた。
「ば、かな……!!」
「……クソ親父、やり直そうぜ」
愕然とするルボンに、エリザベスは語りかける。
「あんたのやり方、やっぱり間違ってたんだよ。これからは、一人一人の信者をちゃんと見て、そいつらの柱になってられるような天使教を作ろうじゃねえか。アリスターも、聖女さんも……謝ったら許してくれる。まだやり直せるんだよ」
「(許さんが?)」
『自分優位だと思ったとたんこの態度……!!』
そもそも、アリスターはこんなことをしでかしてきた天使教に対して、恐ろしく評価を下げている。
もともと、宗教というものに懐疑的な目を向けてきていた彼だが、カルトに襲われたことによってすべからくクソだという何とも言えない評価をしてしまっていた。
なので、たとえルボンが改心しようが絶対に許すつもりもなかった。
なお、とっ捕まったマガリも同じ考えの模様。
「わ、私が間違っていた? そんな……そんな……」
ブツブツと呟くルボン。
エリザベスは憐憫の表情を浮かべて、彼を慰めようとして……。
「そんなわけがあるかぁっ!!」
「っ!?」
ルボンの怒声にビクッと身体を震わせるのであった。
後ろのアリスターも震えていた。
「私に間違いなんてあるはずがないだろうが! お前は自分の意思を持つ必要なんてない! 聖女として、ただそこにいればいいのだ! 救いを求めてくる信者に、一度に軽く多数に回復魔法をかければ、効率よく信者と寄付金を増やすことができる! どこに間違いがある!? 天使教の運営と規模の拡大を邪魔しようとする存在を異端として消すことは正しいだろう!? なぜなら、天使様は私にそう命令してくださったからだ! 私には天使様がついているのだ!!」
「(ヤベー奴じゃん。分かってたけど)」
存在しない偶像から何か言われて実行したとか、危険な薬物をヤっている人間と同レベルとしか思えないアリスター。
あれは殺しておいた方がいいんじゃないかと思った。
殺すのは聖剣であり、自分の手は汚れないという凄まじい論理も準備されている。
「親父!!!!」
「黙れ! お前もまともに戻してやる! その勇者を、殺してからなぁ!!」
「(僕っすか!? マガリで勘弁してください!!)」
ギロリと明らかに正常ではない目を向けられて、心の底から怯えるアリスター。
チラリとマガリを見るが、彼女はアリスターが異端審問官たちをバッタバッタと倒している間にそそくさとこちらに逃げていた。
「(何俺の背中に隠れてんだおらぁん!?)」
「(ふっ。これからまた戦いがありそうだし、ちゃんとあなたからは離れるわ)」
「(逃がさん……!!)」
「(ちょっ、その汚い手を離せ!!)」
アリスターとマガリが無言の掴み合いを繰り広げている。
幸い、誰もそれを見ていなかったが。
『ちょっ!? いちゃついてる場合じゃないって! ルボンを見てよ!』
「(嫌! 怖い!)」
『子供か! いいから見ろや!!』
「おぐっ!?」
聖剣の身体操作で無理な首の動きをされたアリスターは、小さく悲鳴を上げる。
首がグキッていった。グキッて。
首の激痛に涙目になりながらアリスターの目が捉えたのは……。
「ぐっ!?」
「がはっ!!」
残っていた数少ない異端審問官たちが、自ら心臓に刃物を突き立てる凄まじい光景だった。
しかも、そんな自殺をした彼らは、皆笑みを浮かべて血だまりに沈んだのである。
「えぇ……」
アリスターの精神がゴリゴリと削られた。
彼の背中から覗き見たマガリはちょっと吐いて彼の服で口を拭いていた。




