第8話 魔剣
「な、何だよ!? いきなり悲鳴なんか上げやがって……!」
断末魔の叫びのような声を上げるので、俺は思わず聖剣を落としそうになる。
改めてこれを見ると、武器に興味のない俺でも綺麗なものだと思う。
中に潜んでいるのは悪霊みたいだけど。
岩に突き立てられて野ざらしにされていたというのに、さび一つないし刃こぼれもしていないように見受けられる。
うーん……ただの剣ではないことは間違いないな。
そんなことを思っていると……。
『ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! ぼ、僕が侵食されていくぅぅぅぅ……っ!!』
剣の色が、どんどんとどす黒くなっていく。
最初は野ざらしにされていたのかと疑うほどきれいでどこか神聖さを感じるような雰囲気だったのに、何か鈍い黒に侵食されていた。
え、なにこれ気持ち悪い。
そんな気持ち悪いことが、俺の手と剣が接触している柄から始まっていることが見て分かった。
……えぇ……これ、俺のせいなの?
い、いやいや、まっさかー。
『君のせいだよぉぉぉぉぉっ!!』
絶叫する聖剣……いや、何か黒くなっていっている剣。
……あれ? 俺、今言葉にしたか?
『聖剣と契約したら精神的なつながりが生まれるから、内心で考えていることが分かるんだよねあああああああああああああああああああああああ』
うっそだろ!? 最悪じゃねえか!!
くっそぉ……だから、こんな意味不明な生物なのかそうでないのかすらも分からないものに頼りたくなかったんだ……。
これで、俺の本性を知る奴がマガリ以外にも生まれてしまったじゃねえか……。
せっかくあのウザい性格ブスを処分できたというのに……これも処分しないといけないじゃないか。
『内心で怖いこと考えないでよああああああああああああああああああああああ』
というか、さっきからうるせえよ! お前!!
『仕方ないでしょ! 君は自分の身体を無理やり開発されている気持ちが分かるのかい!? ああああああああああああああああああああああ!! 僕が変えられていくぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!』
止めろ!! お前、声音からして男だろ!?
その声で、開発とか変えられるとか言うな!!
聖剣の気持ち悪い悲鳴でげんなりとする俺だったが……そうか、こいつは今苦しんでいるのか。
そう思うと、心がスッとするな。嬉しい。
『こ、この極悪人んんんんんんんんんん!!』
絶叫する聖剣だが、そもそも俺を利用しようとする方が悪い。
何が正義を為す、だ。自分でやれ。
だからこそ、俺はこの聖剣から手を離してやらなかった。
ふふふふ、綺麗なものが汚れていく様は、なかなかどうして……。
『ぐっ、くそぉっ!! 聖剣の神聖さを侵食できるほどの邪悪さ……君は本当に人間かい!?』
邪悪とか、お前なかなか言うな。
そーれ。もっと黒く染まれー。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?』
悲鳴を上げる聖剣。
そして、ついに光り輝いていたその姿はかき消え、どす黒くて近寄りがたい雰囲気を醸し出す真っ黒な剣へと変貌したのであった。
…………えぇ……なにこれぇ……。
何だか急展開が続いていて、ついていけないんだけど……。
「ギギッ!」
「ギギャァァァッ!!」
「あっ、マズイ!!」
こんな聖剣もどきの変化にニヤニヤしている場合ではなかった!
ゴブリンたちは、そんなことは知ったことかと襲い掛かってくる。
まあ、そうだよな。獲物がいたら襲い掛かってくるよな。低能だし。
「よし、聖剣くん! 今こそ君の力を発揮するときだよ!」
俺は誇らしげに剣を上に掲げる。
さあ、何だかよく分からない力を発揮して、あのクソゴブリンたちを血祭りに……!!
しかし……。
「……あれ? 聖剣くーん?」
何も起きない。
シーンと静まり返り、ゴブリンたちの気持ちの悪い鳴き声しか聞こえてこない。
おいおい、止めろよ。これ、マガリに見られていたら大笑いされていたじゃないか。
ほら、さっさと力を発揮しろよ!
『…………嫌だ』
「はぁっ!?」
何を言ってやがるんですの、この無機物は!!
嫌だ? 正気かこいつ!!
「おい! 話が違うじゃねえか!!」
『それはこっちのセリフだよ!! 僕、聖剣なのに凄くどす黒くなっているじゃないか!! どうしてくれるんだ!!』
俺が怒鳴れば怒鳴り返してくる無機物。
知らねえよ!!
「良いからさっさと力を出せよ! ゴブリンがもうかなり近くまで来ているんだぞ!!」
聖剣が変なことを言って何もしないため、ゴブリンたちはもう目と鼻の先である。
マジで嫌だ! リンチされるじゃん!
『聖剣を丁寧に扱わない人は、少し痛い目を見るべきだと思う』
「少しじゃすまないだろうが!!」
見ろ、あのゴブリンたちの弱者をこれからいたぶります的な目を! 笑みを!
気持ち悪いだろうが!!
「良いのかよ!? 俺がボコボコにされている間に、下手をしたらお前もゴブリンたちに持って行かれるんだぞ!?」
俺は、聖剣のことを脅迫することにした。
しかし、声音からしてかなり余裕を持っているようだった。
『残念。僕は聖剣だからね。魔の……邪な気持ちを持つ者に、僕を使いこなすことはできないのさ』
「……今のお前って、聖剣なの?」
『……えっ?』
予想外という声を出しているが、こいつは考えなかったのか?
だって、俺が手に取る前の輝きと神聖さは、今のどす黒い色からまったく感じられないぞ?
これが聖剣だと言われて、信用する人がどれほどいるだろうか。
なるほど、確かにこいつは聖剣なのかもしれない。俺を利用して乗っ取ろうとするところはとてもじゃないがそうは思えないが。
しかし、だ。今のこいつを、どこから見たら聖剣と言えるのだろうか?
『え? いや、だって……僕ずっと聖剣だったし。確かに、君の内面のどす黒さに侵食されたけど……え?』
「というか、今お前聖剣の力みたいなのを使えるのか?」
俺がそう聞けば、カッと怒ったような声音が脳内に響き渡った。うるせえ。
『な、舐めないでよ! いくら君が腹黒いからって、僕は聖剣だよ? それで力を失うなんてことは……』
こいつ、さっきから俺を腹黒いやらどす黒いやら言いたい放題だな。
ゴブリンたちを退けることができたら、あいつらの死体の中に放り込んでやろう。
そう思いつつ、聖剣の返事を待っていると……。
『……あれ? 使え、ない……?』
唖然とした声が返ってきた。
『えっ!? ちょっと待って! どうして僕の力が使えなくなっているの!?』
「ポンコツだからじゃないの?」
『君のせいだろ! 百パーセント!!』
人のせいにしてくる聖剣かぁ……ないな。
しかし、見た目だけじゃなくて能力もダメになったのか。愉快だ。
『そんなに余裕を見せていていいの!? ゴブリン、もうだいぶ近いけど!』
「馬鹿野郎!! 何とかしろ!!」
『豹変した!?』
もっとそれを早くに言えよ!
聖剣の言う通り、もうゴブリンは開けた場所まで出てきてしまっていた。
木々があったからこそ、あいつらが全力で走ることができなくなっていたのだが、それがない今、もう俺の元まで到達するのに一分とかからないだろう。
マズイ! ここにマガリがいればあいつをゴブリンの中心に投げ込んで華麗に立ち去るのだが、この無機物を囮にしてもおそらく意味がないだろう。
『他人を簡単に囮にしようと考えるのが、本当に黒いよね、君』
「のんびり言っている場合じゃねえぞ! 何か策はねえのか!? 聖剣だろ、お前!?」
『う、うーん……僕の名前を呼んで力を振るえばあんなゴブリンたちなんて余裕なんだけど……今僕は聖剣もどきっぽいし……』
つっかえねえな、こいつ。
『酷い!!』
「ギギャァァッ!!」
「ギギッ! ギギィィィィィィッ!!」
くそっ、ゴブリンたちはもうすぐここに到達してしまう。
こ、こうなったら……。
俺は聖剣を天に掲げる。
『ど、どうするの!? まさか、僕を投げるなんてことはしないだろうね!?』
それはどうしようもなくなったときにする。
『するの!?』
俺は聖剣の声を無視して、目を閉じて集中する。
こいつの言う通り、おそらく脳内に流れてきたこいつの名前を叫んだところで、何かしらの力は働かないだろう。
何だか黒く染まっているし……。
だが、この状況を打破できるのも、こいつしかいないのだ。
このどす黒さ、人を不安にさせるような嫌な雰囲気を醸し出す武器のことを、俺はマガリの本を勝手に拝借して知っていた。
そう、その名は……。
「魔剣!!」
俺は剣を空に掲げて高々と宣言した。
一瞬、空白が生まれる。
ゴブリンたちは突然の大きな声にビクッと身体を震わせながらも、再び俺に向かって猛然と走り出した。
『いやいや、それで力なんて出せるわけないでしょ? まったく……本当に君が適合者なの――――――』
聖剣がさらに言葉を続けようとした、その時であった。
ブワッと剣からどす黒い瘴気のようなものが溢れ出し、天高く昇って行ったのであった。
『嘘ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!? 何これぇぇぇぇぇぇっ!?』
聖剣……いや、魔剣のうろたえた声が響き渡る。
ふっ……俺の予想は正しかったか。