第79話 初めて役に立った
異端審問官たちの任務は、異端者の排除である。
異端者とはすなわち天使教以外の宗教を信仰する者であったり、天使教に対して害をなす者であったりのことを指す。
排除とはすなわち命を奪うことであったり、拷問などを加えて天使教に帰依させることであったりを意味する。
それゆえ、彼らは暗殺者のプロという側面を持つ。
静かに移動し、誰にもばれないように殺害や拉致を敢行する。
そのための力を、彼らは一人一人が持ち合わせていた。
そういった任務はやはり残酷であり、良心を持つ者の中には耐えられなくなるようなことも多々ある。
しかし、異端審問官に選ばれる者たちは、天使教徒の中でも精鋭中の精鋭である。
それは、技能は身体能力というものももちろんあるが、最も大きなところは天使教に対する絶対的な信仰心である。
その信仰心がゆるぎない限り、彼らは粛々と残虐な行為に手を染めることができるし、裏切りや逃亡をすることはないのである。
そんな、まるで機械とも呼べるような暗殺者たちが、アリスターに襲い掛かった。
「(ひぎゃああああああああああああああ!?)」
もちろん、そんな冷たくて純粋な殺意を向けられている一般人(内面は逸脱しているが)であるアリスターは、内心で絶叫していた。
シュッ! と夕闇に輝く危険な刃物。
そのすべりはド素人のアリスター程度ではまったく視認することができないほど、彼ら異端審問官は刃物の扱いに長けていた。
それほど、今まで使い慣れて暗殺を実行してきたということである。
アリスターはよくわからないうちに首を切り裂かれて死ぬ……。
『おっと』
ことはなかった。
もはや、百戦錬磨の戦士のように無駄のない動きで聖剣を抜き取ると、その刃物に打ち合わせたのである。
ギィン! と甲高い金属音が鳴り響き、異端審問官の動きが制止されてようやくアリスターの目が捉えることができた。
そう、この身体はアリスターだけが動かすのではない。
何百年も前に激戦を潜り抜けてきた経験が、聖剣には蓄積されているのである。
ゆえに、アリスターは戦闘後の地獄の筋肉痛を考慮しなければ、ほとんどの存在とまともに戦うことができるのである。
「すっげぇ……」
そして、背中を見ていたエリザベスがまたアリスターが強いと勘違いしてしまう。
こうして、アリスターの被害者が増えていくのだ。
「(おい! できる限り俺の後遺症が残らないように戦えよ! もちろん、俺に傷を負わせるなよ! 敵は別に殺してもいいから)」
『いや、殺さないから』
自分以外はどうでもいいアリスターらしい言葉である。
しかし、他人に優しい聖剣は、もちろん積極的に殺しに行こうとはしない。
たとえ、自分たちが本気で殺されかけていたとしても、だ。
アリスターはブチ切れそう。
「がはっ!?」
「ぐあっ!?」
しかし、殺意をみなぎらせて襲い掛かってくる精鋭を相手にしても、殺さずに無力化することができるほど聖剣には力と経験があった。
的確に首や目などの急所を狙ってくる異端審問官たちの攻撃を受け流し、身をひるがえして避け、反撃のカウンターを叩き込む。
刃の部分で斬れば、聖剣の斬れ味だと人間を両断することなど容易いため、刃のない方で強く打撃を叩き込む。
本来なら鍛え上げられた拳や脚で無力化するということも手の一つなのだろうが、ろくに鍛えていないアリスターの身体でやってしまうと、無力化できてもアリスターの身体にダメージが蓄積してしまうため、できる限り剣を使っている。
これにはアリスターもニッコリ。
「……精鋭の異端審問官たちが、手も足も出ていない。まるで、大人と子供のようだ」
異端審問官のリーダーが、思わずその光景を見て呟く。
流れるように対象を殺害することができる彼らを手玉に取り、一切傷を負わずに無力化していっている姿は、あまりにも実力差があることを示していた。
しかも、殺すことの方が簡単なのに、気絶させるという手間をとっている。
つまり、そんな手間をとることができるほど、実力差があるというわけで……。
「かっ、はっ……!!」
最後の一人が、みぞおちに柄頭を叩き込まれて悶絶。ぐったりと全身から力を抜いて、地面に倒れこんだ。
「ふー(ご苦労、魔剣)」
『うん。それは別にいいんだけど……何か偉そう』
聖剣を鞘に収めながら、息を吐くアリスター。
彼の周りを囲むようにして倒れる異端審問官たち。
その戦いを見ていたエリザベスは、目をキラキラと輝かせる。
「うおー! すげえじゃん、アリスター! お前、こんなに強かったのかよ!?」
「はは……(全部魔剣がやったことだけどな)」
楽しそうに笑いながら近づいてくるエリザベスに、アリスターは苦笑する。
近づくな疫病神、とさえ考えていた。
しかし、今日は案外大したことなくてよかった、とアリスターも気を抜いていたその時だった。
『まだだっ!!』
「(はいっ!?)」
エリザベスを迎え入れようとしていた(不本意)のに、急に身体を動かされて目を丸くするアリスター。
ぐるりと目が回ってしまうほど素早く回転したのだが……。
「うあっ!?」
鞘から聖剣を抜こうとしていた腕を、ザッと切り付けられた。
夕闇にパッと赤い鮮血が飛び散る。
「(ひょげええええええええええええええええええええええええええええええええ!?)」
すぐさま痛みと熱さを感知したアリスターは、悲鳴を上げる。
それでも、表に出さない演技力は流石の一言だが。
さらに、続いて凶刃が迫る。
痛みに悶えているアリスターは知る由もないのだが、聖剣がしっかりとカバーする。
彼の身体を操って後ろに下がらせ、その攻撃を避けた。
「くっ……!!」
「アリスター、大丈夫か!?」
「(大丈夫なわけあるかぁっ!! こっちは血ぃ出してんねんぞ!?)」
心配そうに駆け寄ってきてくれる子供に向かって、本気の怒りを感じる愚か者アリスター。
傷つけられた腕を手で押さえれば、指の間から血が溢れてくる。
「(ひー! 痛いぃ、痛いぃ……! なしてこげなことになったんですの!?)」
『支離滅裂になったねぇ……』
「(当たり前だろ! 割と重傷だろ、これ!?)」
大げさ……とはさすがの聖剣も言えなかった。
アリスターの言う通り、確かに軽傷ではなかった。
血もだくだくと流れ出しているし、激痛も襲いかかってくる。
とくに、痛みに耐性のないアリスターは今にも大声で泣き出してしまいそうだ。
「(てか、何で対応できてないんだよ!? お前無能か!? 余計なことに顔突っ込むんだったら、せめて俺に痛い思いはさせるなよ!!)」
『ご、ごめん。でも、なんかおかしくって……』
「(おかしいのはお前の頭だ!……あ、頭ないか)」
普通だったら、聖剣はどのような攻撃にも対応できるはずである。
事実、今までもそうやって対応し、アリスターに傷を負わせたことはほとんどなかったのだから。
しかし、今回は違った。本当にギリギリになるまで、察知することができなかったのである。
「ほう。流石は勇者殿。私の攻撃を寸前とはいえ気づいて対応するとは……。この一撃で終わらせるつもりだったんですがね」
「……どこにいる?」
憤怒の表情で周りを見渡すアリスター。
報復するつもり満々である。
しかし、周りに声を発した異端審問官の姿はなかった。
「私の闇魔法で、姿を隠させていただいております。あなたと正面から戦うのは、どうにも分が悪いようですから」
闇魔法……光魔法の対極に位置する魔法である。
異端審問官のリーダーが使っているのは、闇魔法の中で自身の姿を闇夜に紛れさせることができる【マリヤーニ】という魔法である。
闇のある夕方や夜にしか使えないという欠点があるが、自身の姿を隠すことができるという非常に優れた魔法だ。
しかし、ただ姿が見えなくなるくらいでは、アリスター程度なら十分だが聖剣ほど経験と力を持っている者なら何とでもしてしまえる。
しかし、それができなかったのは……。
『この魔法、姿だけじゃなく息遣いや敵意、足音も消してしまえるのか……!』
まず、目で捉えることができなければ耳で捉えようとする。
足音、息遣い、心音……そういったもので敵の居場所を特定することができるのは、数こそ少ないものの確かに存在する。
それでもダメなら、自身に向けられる敵意や殺意といった意思で居場所を探す。
これもまたごくまれにだができてしまう存在がある。
聖剣はそれらに該当する稀有な存在なのだが……【マリヤーニ】という魔法はそれらをも隠して消してしまうのである。
『これは……厄介だな』
「(おらぁっ! 何とかするんだよぉっ!!)」
ヒュッと風を斬る音がする。
そこに聖剣が素早く剣を割り込ませれば、ギン! と強い金属音が鳴る。
敵の存在を知ることはできないが、確かにここにいて明確な殺意を持って攻撃を仕掛けてきている。
さらに、何度も何度も風を斬る音が鳴り、凶刃がアリスターの急所に迫る。
見えない存在に攻撃を受け続けているアリスターは、もはや半泣きである。
しかしながら、聖剣はその経験を活かして全て防ぎきっているため、初撃の手痛いダメージ以外一切傷を負うことはなかった。
それでも、反撃をすることは不可能だった。
「はっ!」
アリスターの身体を操り、大きく剣を横なぎに振るう。
異端審問官も大きく飛び退いたのだろう。あれほど連撃を繰り出していれば、疲労も溜まるに違いない。
「(うごごご……! 本当に痛い! どうにかならんのか、これ!?)」
ポタポタと血が地面に垂れ落ちる。
アリスターは限界であった。
「おい! こっちに腕出せ!」
そんな時、アリスターの元に駆けよって来たのがエリザベスであった。
彼女は真剣な表情で、傷ついた腕を差し出すように言う。
「あ、危ないから下がっていてくれ(足手まといがぁ! ウザいだけだから引っ込んでろや!)」
「いいから!」
「(ひぇ……)」
クズなことを内心で考えていれば、エリザベスの強い表情と口調に気圧され腕をおずおずと差し出すアリスター。情けない。
エリザベスは差し出された腕を痛ましそうに目を細めながら見ると、小さな手をそこにあてがった。
すると……。
「おぉ……」
珍しくアリスターが感嘆の息を素で出した。
なぜなら、エリザベスの小さな手のひらから温かな光が溢れ出し、それが傷のある腕に当てられると、みるみるうちに傷が塞がっていったからである。
少しの間そうしていると、完全に傷は治癒し、痛みは微塵もなくなっていた。
「……後遺症はなさそうか?」
「あ、ああ」
エリザベスに聞かれて腕を回すアリスター。
とくに異常はないようだ。
「エリザベス、今のは……」
「……俺が聖女として祭り上げられている理由だよ。俺は、回復魔法を使えるんだ」
「(初めて役に立った……)」
エリザベスの言葉に、アリスターは相変わらずクズだった。
特典について活動報告で補足を追加しましたので、ご確認ください。
発売日の20日まで毎日投稿(予定)です!




