第73話 よろしくお願いします
「ねーねー。お名前なんて言うの?」
「え、エリザベスです」
「エリザベス? 贅沢な名前だね」
「えぇ……」
エリザベスを孤児院に押し付けて逃げようと思っていたが、どうやら保護者的な意味合いでここにいなければいけないようだ。
まあ、あのクソガキを俺が相手するよりはマシか。
しかし、俺の貴重な時間を潰されたことは、未来永劫まで根に持とう。
あのガキは本性を隠しているせいか、案外あっさりと孤児たちに受け入れられていた。
というか、新しい友達が来たみたいな感じで、多くの孤児たちが群がりエリザベスはその輪の中心にいた。
彼女も戸惑いを覚えているようで、演技もそぞろになっている。
『この子たち、とってもいい子ばかりだね。イスコの教育が良質なものでしっかりと浸透していることが分かるよ……』
感動したように言う魔剣。
あ、このパターンは……。
『よし! これから頻繁に寄付に訪れようか!』
ほらあああああああああああああ!! また余計なこと思いつきやがったああああああああ!!
無理だってぇっ! 何でガキンチョのために俺が危険で怖い思いをして稼いだお金を渡さなきゃいけないんだよぉ!
こういうのって社会全体が支えるものだるぉっ!? 俺だけにやらせんじゃねえよぉっ!!
「ねえ、エリザベスちゃん! 髪の毛、すごくサラサラで綺麗だね! 羨ましいなぁ……」
「そう、ですか? でも、あなたもちゃんと手入れすれば、これくらいにはなりますよ」
「本当!?」
「ええ。えと……確か、櫛が……。背中を向けてくれますか?」
「うん!」
俺が魔剣の脅威に震えている頃、エリザベスは孤児の少女と交流を深めていた。
ニコニコと笑いながら無防備に背を向けている少女の髪を、優しく高そうな櫛ですかしている。
……よくあんな無防備でいられるな。他人に背後立たれるとか怖すぎぃっ!
『君は少し警戒しすぎだよ』
そんなことないだろ。
背中を向けたら殺意をぶつけてくるマガリもいたし。
しかし、エリザベスも楽しそうだな。
最初からそんな純粋な感じだったら、俺だってもっと優しくしてやったのに……。
『嘘だ』
うん。
「お優しいんですね、アリスターくんは」
そう言って近づいてきたのは、イスコだった。
お分かりですか、イスコさん。
「彼女はあまり同年代と触れ合ったことがない様子。しかし、同年代と触れ合って成長することは、とても大切なことです。それができない状況だったということは……やはり、複雑な事情もあるのでしょう」
貴族の子女っぽいからな。普通の庶民よりは複雑だろう。
うーん……何とかエリザベスを通して都合の良い貴族の女を捕まえられないだろうか?
なるべく、地位もあまり高くない人で。
「そんな彼女に、少しでも普通の経験をさせてあげたいという気持ち……。やはり、シルクさんと演劇をしてくださったことから分かっていましたが、本当にお優しい」
分かってるじゃん?
だけど、謝礼ちゃんと渡さないのはおかしいぞ。
「いえいえ。イスコさんがしっかりと孤児院を運営されていることがわかります。孤児の皆はとても優しく良い子で……エリザベスを受け入れてくださって、感謝しかありません。俺には、そういった同年代の友人という立ち位置でいることはできませんから……。これからは、微力ながらお手伝いできればと思います」
『うわぁ……相変わらず、猫を被るのは完璧だ。汚い……』
「本当ですか!? いや、こちらこそ感謝しかありませんね」
俺とイスコはにこやかに笑い合う。
うーむ……こいつが俺の役に立つかはわからないが……まあ、いいや。
エリザベスが本当に貴族の子女で、こいつの親が人の話も聞けない馬鹿で俺に誘拐容疑を吹っかけようとしてきたときは、イスコを人身御供に仕立て上げよう。
「本日はお泊りされていかれてはどうですか? エリザベスさんやうちの子たちも、とても盛り上がっているようですし」
「え…………」
イスコの言葉に、表情をこわばらせる俺。
えぇ……それは嫌だなぁ……。
どうして最高級宿に泊まるにふさわしい俺が、こんな金のない孤児院なんかに……。
『マジでゴミだな』
「いえ、そこまで迷惑をかけるわけには……。よければ、エリザベスだけ一日泊めてやってくれませんか? 明日迎えにきますので……」
「おや、そうですか……。子供たちも喜ぶので、残念です」
よし、これで完璧だ。
クソ生意気なエリザベスからも解放され、俺はちゃんとした最高級宿で寝ることができる。
俺はニヤリと笑い……また袖を引っ張られて背筋が凍りついた。
見れば、やはりそこにはエリザベスが……。なんだぁ、テメエ……。
彼女は頬をうっすらと赤らめながら、もじもじとしつつ小さく呟く。
「あの……一緒にいてくれないんですか……?」
上目づかいに可愛らしく聞いてくるエリザベス。
クソがっ! どうしてこいつもマガリみたいな演技をするんだ!!
性悪演技女はあいつだけでお腹いっぱいだぞ!?
そもそもの輪の中心にいたエリザベスがこっちに来て余計なことを言ってくれたおかげで、孤児たちが一斉に寄ってきた。
や、やめろぉっ!
「えー! お兄さん、帰っちゃうの?」
「今日はここにいてよ!」
「俺たちと遊んでよ、兄ちゃん!」
「う、うぐぅ……! そ、そんな一斉に抱き着いてこないで……」
ドス! ドス! と魔力弾のように突っ込んでくるガキども。
それぞれの身長が小さいため、ちょうど腹部のいいところにぶつかるので、俺は鈍いダメージを蓄積されてしまう。
くっそ……! しかも、ワイワイと集まるものだから、ほとんど身動きが取れず苦しい!
子供の体温の高さゆえか、暑くなってきやがった……!
暑くて苦しいとか、地獄かよ……!
「子供たちもそう言っていますし、どうです?」
何がどうですだ、イスコ!
こんな貧乏な場所で寝泊まりなんてできるか!
「うっ……」
しかし、キラキラと期待に目を輝かせるガキどもを見て、これで拒否したら俺の評価が……。
いつか、このガキどもの中に一人くらい成功を収める者が現れるかもしれないし、その時に便宜を図ってもらうことを考えたら、拒否なんてできず……。
『子供に媚び売るとか、見下げ果てる精神だね』
「くくっ……」
チラリと目をやれば、エリザベスがあくどそうに微笑んでいた。
俺が翻弄されている姿を見るのが、そんなに楽しいかぁっ!?
だが、やはりこの状況を打破する手段を思いつくことができず、俺は……。
「…………じゃあ、よろしくお願いします」
俺が声を絞り出してそう言えば、わっと歓声が上がってガキどもがまた抱き着いてくる。
ぐわああああああああ!? 暑苦しいから止めろ!!
こうして、俺は嫌々孤児院に一日泊まることになったのであった。




